僕の場合は「人生の質」を高めようとするのをやめました。
自分が心底がっかりしたり、辛かったり、絶望したり、そういう事の中で、それまでの自分には見えなかったものが見えてくる事、発見に目が開かれること、そういう事が人生には待っていると感じています。
それは大体は後悔したり、自分にはどうすることもできなかったりする事の中に現れてきます。
自分で人生の質を高めることを目指す時期もあって良いと思うし、必要なときもあるでしょう。しかし、僕は絶望から発見することに自分の目を背けることになりそうで、なんだか随分もったいないことをしている、そう思うときもあるのです。
精一杯、自分をこじらせて、七転八倒して、その中で弱り切った時に、自分が新たにされることを、あと何度僕は人生の中で経験するだろうと思います。
人生で出会う様々なうまくいかない出来事、想定外の事態、そういった突然訪れる人生の「他者」に、勝手に自分が作ってきた「自分」を揺るがされるときに、僕は生きる事が持つ計り知れなさを感じるのです。
「人生の質」が下がったと思う時は発見に拓かれ、質が上がったと思う時は発見から目を閉ざしている。そのことを忘れずにいること。そして、このどうしようもならない自分と向き合って生きていくこと。その事が自分がやむにやまれずやっていることであり、人は習慣と呼ぶのかもしれません。
そういう意味では、習慣にしていることは、失敗や後悔も含め、しっかり自分を観察することです。