出井氏は1960年、当時まだ小さなベンチャー企業だったソニーに入社し、1995年に社長に就任した。事実上、ソニー初の新卒入社のサラリーマン経営者だった。69歳でソニーを離れると、ベンチャー企業の手助けをしたいと考え、小さな会社をつくった。社名は量子力学の世界で「非連続の飛躍」を意味する「クオンタムリープ」だ。ベンチャー企業は、あるとき突然急成長することがある。そうした「非連続の飛躍」の手助けをしたいと思ったのだ。関わってきたベンチャー企業は100社を超える。
日本の企業には、50代にさしかかったときに、出世したからと自分は動かずに部下に指図ばかりする人がいる。一方、出世コースから外れたからと、仕事に興味を失い、退職金だけを目当てに会社に残ろうとする人もいる。出井氏からすると、仕事にコミットできなくなった時点で、どちらも同じように見える。
「仕事を続けたいが働く場がない」「今の時代に対応できるスキルがない」と思い込んでいる人は多い。だが、それは自分が大きな価値を持っていることに気づいていないだけである。スキルを積み重ねたサラリーマンであれば、輝ける場所は見つかるはずだ。仮に会社を辞めたとしても、そこで終わりとは限らない。人生に引退はないのだから。
サラリーマンとして輝き続けるには、一つの専門性にこだわるのではなく、いろいろな部署で働いて多くの引き出しを持った方がいい。ポイントは、起業家のような精神、視線で社内を見渡すことだ。そして、開拓できる分野や挑戦できる分野を見つけ出し、新しい提案をすることである。つまり社内ベンチャーのような動き方をするのだ。
ソニー時代、出井氏は異動することを「越境」と呼び、望んでそれを繰り返した。1979年には自ら手を挙げて文系で初のオーディオ事業部長になった。世間の関心がテレビやビデオといった映像機器に移っていた時代で、社内でも「オーディオ事業部に未来はない」といわれていたときだ。
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