どんな人も、非難されても自分の非を認めようとはしないものだ。
アメリカ犯罪史に残る、「二丁ピストルのクローレー」という凶悪犯がいる。彼は、ほんの些細なきっかけからでも、簡単にピストルを撃ちまくり、人を殺した。しかし、彼がしたためた手紙には、彼自身のことがこう語られていたという。「私の心――それは、疲れ果てた心ではあるが、やさしい心である。だれひとり人を傷つけようとは思わぬ心である」。自分の行為は正しいと考えている犯罪者は、めずらしくないそうである。
極悪人たちがそうだとしたら、一般の人間が自分のことをどう思っているかは、想像に難くない。どんなときも、自分のことを正当化するのが人間というものなのだ。すると、他人を批判したり、非難したりすることは、じつに無益で、相手を怒らせるだけのことだとわかるだろう。人は他人の批判を恐れ、賞賛こそを強く望んでいる。
ある工場では、ヘルメットの着用を義務づけることにし、工場長はそうしない職員を厳しくとがめた。すると相手は不満そうにして、見られていないところではヘルメットを脱いでしまった。そこで、工場長はやり方を変えた。ヘルメットは確かに快適ではない、と何気なく切り出し、でも危険が防げるのだからかぶろう、と穏やかに話すと、相手は怒らずにヘルメットを着用するようになったという。
リンカーンは若い頃、ある政治家を風刺する文章を新聞に寄稿したところ、プライドの高い政治家は激怒し、リンカーンに決闘を申し込んだ。いよいよ果し合いというところで介添人が割り込み、事なきを得たが、リンカーンは人の扱い方について教訓を得た。その後、どんなことがあっても、人を馬鹿にせず、人を非難しなくなったという。
南北戦争の折、彼の指揮下にあったミード将軍が、ここぞという場面で命令に従わず、ポトマック河地区での戦闘の勝機を逃してしまった。落胆し、腹を立て、リンカーンはミード将軍へ手紙を書いた。しかし、その手紙は、死後にリンカーンの書類の間から発見された。つまり、リンカーンは投函しなかったのである。
人を非難するよりも、その人がなぜそういうことをしたのか、考えてみるほうがよいのではないだろうか。「神様でさえ、人を裁くには、その人の死後までお待ちになる」とは、英国の文学者ドクター・ジョンソンの言葉である。
人を動かすには、人が欲しがっているものを与えることだ。
人の欲求のうち、睡眠や食欲といったものは、なくてはならないものだが、たいていは満たされている。案外根強い欲求で、なかなか満たされないものは
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