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ビジネスパーソンが文化人類学を学ぶ意義 「分類をなくせば、社会は良くなる」は本当か?
『急に具合が悪くなる』磯野真穂が読み解く、メアリー・ダグラスの処方箋

ビジネスパーソンが文化人類学を学ぶ意義 「分類をなくせば、社会は良くなる」は本当か?

ビジネスの分野でも注目を集めている人類学において、存在自体がほとんど知られていない、1冊の名著。それが、約50年前に書かれた人類学の古典、メアリー・ダグラスの『ナチュラル・シンボル』(邦題『象徴としての身体: コスモロジーの探究』)です。

人類学者の磯野真穂さんが、ダグラスの古典を読み解き、アップデートさせたのが『社会が壊れるその前に』(新潮社)です。「分類をなくすこと」ではなく、「分類があるからこそ、そこにはまらない存在が輝く」。その視点は、新人への指導や、エンゲージメントといった言葉に悩むビジネスパーソンにこそ響くはずであるといいます。ダグラスの理論を今こそ知る意義とは何なのでしょうか。

『急に具合が悪くなる』刊行後に覚えた違和感

── 磯野さんは、哲学者・宮野真生子さんとの往復書簡をまとめた共著『急に具合が悪くなる』(のちに濱口竜介監督により映画化され、今年のカンヌ国際映画祭で女優賞を受賞)を刊行されました。その後、「境界を曖昧にすることが大切」「複雑性に耐えろ」「マニュアルはよくない」といったテーマでの依頼が増えたことに、ある種の違和感を覚えたそうですね。ご自身の意図と実際の受け取られ方に、具体的にどのようなズレを感じられましたか。

『急に具合が悪くなる』で哲学者・宮野真生子さんと語り合った「偶然性」や「枠組みを揺らすこと」の重要性が、こちらの意図とは少し異なる形で一人歩きしてしまった感覚がありました。制度や境界をなくして、本音で対話すれば良い社会になるーーそんな形でフレーズだけが切り取られてしまった面があったのです。

ですが、私たちが「これは偶然だ」「これは余白だ」と気づけるのは、その背景に「必然」や「分類」が存在するからです。何が日常のルールであり必然であるかという構造を知っているからこそ、そこからはみ出た偶然の価値が立ち現れる。境界や分類を完全に取り払えば、偶然性や余白を生み出す土台そのものがなくなってしまいます。

また、ネガティブケイパビリティという言葉にあるように、「すぐに答えを出さずに複雑性に耐えよ」という主張にも疑問がありました。人間は本質的に、言葉を使って世界を「分類」する生き物。なぜ分類するのかというと、複雑な世界だと不安になるからです。

古来、人々が不可解な現象を「妖怪」や「霊」のせいにしたのも、複雑性を消し、自分たちの枠組みで世界を理解し、安心して生きるためでした。よくわからない現象を「妖怪」や「霊」といった存在と因果関係で結びつけ納得しているのです。複雑性に耐えているわけではない。そう考えると、「複雑性に耐えよ」という主張は、大切ではあるものの、人間のそもそもに反しているように私には思えます。

── 本書を通して伝えたかったメッセージは何でしょうか。

メアリ・ダグラスの古典を特にビジネスパーソンにも知っていただきたいと思いました。人文学や社会科学の知は、当たり前とされている概念を解体(脱構築)する役割を持っています。その学問的アプローチには非常に価値がありますが、それをそのまま日常やビジネスの現場に持ち込みすぎると、仕事や生活は立ち行かなくなります。仕事は答えを出すことの連続ですよね。

もちろん、ビジネスパーソンがリベラルアーツや人文知に関心を持つのはありがたいことです。ただ、人文知が既存の当たり前に疑義を唱え、概念を解体することを、「〜は幻想だ!」「〜は間違っている!」といった形で、ただただ批判をするためだけに掲げる人々が一部存在していることに、危機感を覚えます。そのような本がかなりの短期間で数多く出版されることにも違和感を覚えます。ある意味、それは「粗悪化した人文知」といえるものでしょう。

そこで、50年前に書かれた、人類学者メアリ・ダグラスの古典『ナチュラル・シンボル』に備わる古典の知の力を、今こそ現代社会に解き放ちたいと考えました。

本書では、私たちが想像以上に「象徴」の力に感情を突き動かされていることを示しました。わかりやすいのがコロナ禍のマスクです。当時はマスクがドレスコードと化し、マスクをつけている人は「他者に気を使える人格者」といったイメージが明確に立ち上がり、他者からどう見られるか気にしてマスクをつけ続けた人も一定数いたはずです。これが象徴の力です。日本は特に象徴の力で社会が動いてきました。明治時代の火災の際、学校に飾られた御真影(天皇の肖像)を守って教員が命を落としたという事件があったそうですが、これも象徴の力です。

保守とされる立場であれ、リベラルとされる立場であれ、どちらも何らかの象徴に駆動されています。今求められているのは、対岸の人々を批判する前に、「自分はどんな象徴に巻き込まれ、どのように感情を動かされているのか」を客観的に分析することです。

ダグラスの象徴理論はいっけん縁遠いようにみえるかもしれません。ですが組織運営や企業再建に関わるビジネスパーソンの方には、特に参考になる知見がたくさん詰まっていると確信しています。

社会が壊れるその前に:メアリ・ダグラスの人類学 (新潮選書)
社会が壊れるその前に:メアリ・ダグラスの人類学 (新潮選書)
磯野真穂
新潮社
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社会が壊れるその前に:メアリ・ダグラスの人類学 (新潮選書)
社会が壊れるその前に:メアリ・ダグラスの人類学 (新潮選書)
著者
磯野真穂
出版社
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なぜ今こそ、ダグラスの「グリッド&グループ分析」を学ぶべきなのか

── 社会を壊さないために必要なのは既存の分類体系や枠組みをとっぱらって、人々を自由に解放することではなく、分類や枠のあり方を組み替えることであると理解しました。本書で紹介される、メアリ・ダグラスの「グリッド&グループ分析」の重要性や意義について、改めて教えていただけますか。

ダグラスは、社会を「グリッド」(個々人が共同体の中での自分の立ち位置を見つける指標)と「グループ」(共同体の枠)という2つの軸で捉えました。このフレームワークを使うと、職場で起きる様々な問題の見え方が変わるはずです。グリッドが具体的に何かを端的に示すのはかなり難しいのですが、とりあえず、グループ内の序列や立ち位置と考えてもらえれば大丈夫です。

私がこの分析に出会ったとき、個々人の資質のせいにされてしまっていた組織内の対立が、実は集団やグリッドの設計そのものに原因があるのではないか、と考えました。例えば、職場でドロドロした対立や嫉妬が起きたとき、私たちは「あいつの性格に問題がある」「女性だけの集団は嫉妬が渦巻く」などと、個人の資質や性別に原因を求めがちです。しかし、ダグラスの視点を借りれば、それは「組織の構造」が引き起こしていることが見えてきます。

たとえば、ダグラスは、グループが強く、グリッドが弱い集団を「小グループ」と名付けます。小グループでは、グループの枠ははっきりしていますが、グループ内の序列は不明確です。部長や課長といったリーダーはいるけれども、その配下にいる社員の序列は不明確な状態を考えていただければいいでしょう。

小グループではどんな問題が起こりやすいか? グリッドが弱いため、内部の成員は、自分のグリッドを高めるためにリーダーに気に入られようと画策したり、派閥を作って自分の立場を高めようとしたりします。

ダグラスの言葉を借りると、小グループで発生しやすいのが「妖術告発」です。何か悪いことがあると妖術師探しが始まり、妖術師を罰すれば共同体の平和が訪れるという世界観が立ち上がる。妖術というとおどろおどろしいですが、これはスケープゴートと言い換えてもいい。

グリッドの弱い小グループでは、嫉妬や怨嗟が起こりやすいため、そのような問題を防ぐためには、「グリッド」を強めると、不要な感情的対立を防ぐことができるでしょう。

一方で、グループが弱くなり、グリッドが強くなりすぎるとどうなるか。ダグラスはこのような共同体を「強グリッド」と名付け、この社会形態が広がっていくことに強烈な警告を発しました。「強グリッド」は、戦国時代を想像してもらえればわかりやすい。本書の議論をかなり荒くまとめますが、この場合の「グリッド」は、ルールがはっきりしない中でも勝ち残れる力と捉えてください。

強グリッド社会では、誰がリーダーで、社会の形がどのようなものであるかがはっきりしないため、下剋上が起こり、力の強い者が天下をとっていきます。この社会体系は強者にはやさしい、住みやすい社会です。ですが、勝ち組になれるのは一握りであり、大多数の弱者は何が正しいのかがわからず、誰に付き従ったらいいのかもわからず、強者の作るルールに翻弄され、搾取をされやすくなります。

私は、「強グリッド」がさらに進展した形を「能力資本主義」と名付け、現代社会はまさにこれであるとし、ダグラスを引き継ぎつつ、警告を発しました。

「能力資本主義」の果てにある「カーゴカルト」あるいはミレニアリズムの熱狂

── その「能力資本主義」への警告について、一般的な「能力主義(メリトクラシー)批判」との違いを含め、詳しく教えていただけますか。

ここで丁寧に切り分けておきたいのは、私が掲げる「能力資本主義」における「能力」とは、企業の業績評価や学校の偏差値評価を指しているわけではないということ。また私は、これら評価方法を一義的に批判しているわけではないという点です。

偏差値や企業の業績評価といった仕組みは、歴史的に見ると「身分や家柄によって個人の未来が決め打ちされる」という社会への問題意識から批判的に生み出された仕組みです。誰もがフェアに挑戦できるように社会が試行錯誤の末に作り出した「制度」です。

「点数で評価されて傷つく人がいる」という批判は妥当です。しかし、これらの制度をただただ批判する人には、「では、身分制度や縁故主義に戻しますか?」という問いを投げたい。「その人らしさ」を評価すればいいとすれば、たしかに聞こえはいいですが、このような全人的評価は往々にして、評価者に気に入られようという振る舞いを生み出し、それは共同体内の嫉妬や怨嗟を生み出します。

対して、私が言うところの「能力資本主義」とは、戦国時代よろしく、何が正しいのか、誰がリーダーなのかもはっきりしない中、自分の才覚に依って勢力を拡大できる力を持つ人が、一人勝ちしていく社会です。では、勝ち組になれない大多数はどうなるのか。かれらは、自分を守ってくれる存在を自分の外側に感じられないまま、疎外感を強くしていきます。自分の仕事はAIに奪われてしまうかもしれない、このまま安心して生きていくことはできないかもしれないと、不安が募ります。

能力資本主義下で阻害された個人はどうなるか。かれらは、権力者に対して強い不満を抱くようになります。既得権益を奪っているあいつらのせいで、自分たちは不幸である。あいつらさえ倒せば、自分たちの生活はよくなると信じます。あるいはかれらは、トランプ大統領に代表されるような、よそ者を追い出してかつての強い自分たちを取り戻そうというかけ声をかけてくれるリーダーを待望し、そのようなリーダーを情熱的に支持します。どちらも社会の大きな変化を待ち望む熱狂です。

なぜこのような極端なことが起こるのか。それは、不満を抱えている人たちが知性が足りないからではありません。能力資本主義の犠牲者である大多数にとって、日常生活のやりきれなさや、無力感を解消するための最善の方法が、そのような極端なやり方であるように思えてしまうのです。

社会は形式と反形式でできている——熱狂への処方箋

── ビジネスパーソンは、こうした熱狂から距離をとり、冷静に対処していくために、どのようなことを意識していく必要があるとお考えですか。

保守側にいる方向けなのか、リベラル側にいる方向けなのかでメッセージの方向性は変わります。

まず保守側にいる方は、社会とは「反形式」つまり、自分たちとは異なる外側のものを取り入れないと死ぬということを心に留めるべきだと思います。もちろん保守と言っても多様性はありますし、「形式」を守ろうとすることは大事ですが、社会は外側からの、自分とは全く違うものが入ってきてはじめて活性化されます。

他方で、リベラル側にいる方に伝えたいのは、社会の枠組みにはたしかに人を抑圧する側面もあり問題がありますが、それを全て壊すと社会の底が抜けてしまうということです。「枠組みをなくせば心と心が通い合い、和睦のある世界が訪れる」というようなことは決してなく、むしろ魑魅魍魎とした戦国時代のような社会が訪れる可能性が高くなります。そして、世間の耳目を集めた人だけが一人勝ちしてしまうような競争社会になりかねない。フォロワーの多いインフルエンサーの過激な一言が、社会の動きに関わってしまうような社会です。

保守側もリベラル側も、対岸にいる相手ばかりを批判しがちな面がありますが、実は両方とも、社会にとって必要なエッセンスを持っています。両者をうまくブレンドしてきたからこそ、人間社会にはこれほど多様な形がある。形式と反形式の配分が異なるからこそ、社会の多様性が生まれているのだと思います。

文化人類学は「好奇心を絶えず喚起してくれる学問」

── 最後に、文化人類学という学問の魅力は何だとお考えですか。

文化人類学の面白さは、他に類を見ないと私は思っています。文化人類学は狩猟採集民の社会か現代社会まで、考古学や霊長類を扱う自然人類学ともつながりながら、人間という存在を非常に壮大なスケールで捉えます。

人類学のもう一つの魅力は、「当たり前」だと思い込んでいるものを、一度相対化してみせることです。くわえて、「こんなものは幻想だ」と解体して終わりにするのではなく、人間社会はそうした幻想にこそ支えられているというところまで踏み込んで描き出す。そのバランス感覚のよさに強く惹かれています。

人間はもともと好奇心のある生き物です。自分とは違う考え方に出会うと、単純に「面白い」と感じずにはいられません。人類学はそうした好奇心を絶えず喚起しながら、人間とは何かという壮大な問いに取り組む行為の大切さを教えてくれる学問だと思っています。

社会が壊れるその前に:メアリ・ダグラスの人類学 (新潮選書)
社会が壊れるその前に:メアリ・ダグラスの人類学 (新潮選書)
磯野真穂
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著者
磯野真穂
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磯野真穂(いその まほ)

人類学者。東京科学大学リベラルアーツ研究教育院教授。長野県安曇野市出身。早稲田大学人間科学部スポーツ科学科を卒業後、トレーナー資格を取るべく、オレゴン州立大学スポーツ科学部に学士編入。しかし自然科学のアプローチに違和感を覚え、文化人類学に専攻変更。同大学大学院にて応用人類学修士号取得。IT企業にて2年間の派遣社員を経た後、早稲田大学文学研究科に入学し、2010年に博士(文学)取得。早稲田大学文化構想学部助教、国際医療福祉大学大学院准教授を経て、2020年より在野の研究者として活動。2024年より現職。専門は医療人類学。著書に『なぜふつうに食べられないのか:拒食と過食の文化人類学』(春秋社)、『医療者が語る答えなき世界:「いのちの守り人」の人類学』(ちくま新書)、『ダイエット幻想:やせること、愛されること』(ちくまプリマー新書)、『他者と生きる:リスク・病い・死をめぐる人類学』(集英社新書)、『コロナ禍と出会い直す:不要不急の人類学ノート』(柏書房、第33回山本七平賞受賞)、宮野真生子との共著に『急に具合が悪くなる』(晶文社、濱口竜介により映画化。カンヌ国際映画祭主演女優賞受賞)がある。

文責:松尾美里(2026/10/13)