
『マイ・ストーリー』発売記念トークセッション
全世界で1000万部を突破した、ミシェル・オバマの自伝“Becoming”。彼女の幼少期からファーストレディー時代までが、等身大の言葉で綴られています。2019年8月23日(金)、集英社から翻訳書『マイ・ストーリー』が発売されるのを記念して、発売日の夜にイベントが開催されました。開催場所は、東京都虎ノ門にあるTHE CORE KITCHEN / SPACE(ザ コアキッチン スペース)。『マイ・ストーリー』にちりばめられたミシェルのパワーフレーズをもとに、トークセッションが繰り広げられました。その一部をダイジェストで紹介します!
トークセッション登壇者は、篠田真貴子さん(「翻訳書、ときどき洋書」連載中)、小島慶子さん(エッセイスト・タレント)、山本知子さん(株式会社リベル代表取締役)、長内育子さん(éclat編集長)。モデレーターは『マイ・ストーリー』の編集を手掛けた、集英社学芸編集部ビジネス書編集 編集長の八鍬しのぶさんです。
ライター・松尾美里
八鍬しのぶさん(以下、八鍬):登壇者のみなさんが、ミシェルの自伝を読んで印象に残ったところを伺っていきたいと思います。まずは篠田さんから。篠田さんは2016年、トランプ大統領が女性蔑視の発言をした際に、ミシェルの力強いスピーチを自ら日本語に訳して発表されていました。原書“Becoming”が世に出されたときも、いち早く取り寄せたそうですね。

篠田真貴子さん(以下、篠田):ミシェルと私が似ているというとおこがましいかもしれませんが、お子さんを育てながら、自分らしいあり方を模索する姿に共感しました。
彼女のスピーチには感銘を受けてきましたが、心の底からの言葉というのが伝わってくるんですよね。ヒラリー・クリントンの民主党大会での応援スピーチは、まさにそうでした。「奴隷によってつくられたホワイトハウスで、私は毎朝、目を覚まして娘たちを見守っている」。こうした短い言葉のなかで、ご自身の信条や生活に引き寄せながらも、奴隷の子孫である黒人の自分が大統領夫人になっているという歴史を語っていました。聞き手がグッと引き込まれるようなお話をされる方ですね。
小島慶子さん(以下、小島):私もフィラデルフィアでのミシェルの演説を聞いたとき、涙を流さずにはいられませんでした。「女性と子どもをどう扱っているかがその社会を表している」。この発言が印象的で。緊張からか声も震えていて、ミシェルが繊細な感性の持ち主であることが伝わってきました。同時に、彼女の演説は、とても力強く、真摯で、温かい。オーディオブックではご本人が“Becoming”を朗読されており、その声も表情豊かで、彼女の生真面目さや人となりが伝わってきました。

八鍬:バラクはスピーチ集が出版されるほどスピーチが上手ですが、ミシェルもスピーチの名手なのですね。山本さんは、『マイ・ストーリー』の訳者に最適な翻訳者お二人を紹介してくださり、ご自身もミシェルに合った日本語表現を考え抜いてくださいました。翻訳の現場で感じたこと、意識されたことはありましたか?
山本知子さん(以下、山本):“Becoming”は等身大のミシェルが表現されていて、読みやすかったですね。ユーモアも過剰ではなく、飾らない文章。普段のスピーチ以上に、理知的で自己抑制がきいた方であることが伝わってきました。
ただ、深い感情をとてもシンプルな言葉で表現されるので、翻訳者の二人はどう訳すのか、とても悩んだそうです。たとえば「~になる」という意味の“Becoming”。「自分らしさ」や「変化していく」というニュアンスもあるのではないか。“Becoming us” を「私たちの道」と訳してはどうかなどと、議論を重ねました。結果的には、読者それぞれのイメージを広げてもらうために、英語をそのまま使うことにしました。
ですが、本文は日本語にしないわけにはいきません。たとえば”Not enough.”というシンプルな言葉も、「私は不十分」と訳しましたが、彼女の本心からくる言葉なので訳すのが難しかったですね。



篠田:彼女は自伝でも「失敗するのが嫌」と本心を書いていましたが、その恐れよりもはるかに強い使命感をもっています。失敗したくないという気持ちを乗り越えて言葉を紡ぎ出している。だからこそ、こちらも「ミシェル、頑張って!」と応援したくなるんですよね。
長内育子さん(以下、長内):ミシェルは以前からファンの間で「オバ美(おばみ)」と呼ばれているほど、親しみやすい方。私も「この人なら仲良くなれそう」という気持ちで見ていましたし、彼女の動向を追うオバ美ウォッチャーの間では、「困ったときは心のなかのオバ美に聞け」が合い言葉のようになっています。
山本さんから翻訳の苦労を聞けて学びになりましたし、『マイ・ストーリー』は「われらのオバ美」の良さを引き出してくださった本だと改めて感じました。読者の多くがそう思うのではないでしょうか。
小島:強く心に残ったのは、ミシェルが学生時代の親友スザンヌを亡くしたときのこと。
20代前半までのミシェルは相当な努力家だったため、「努力しないのは許せない」と考えているような面が見受けられました。けれども、スザンヌの死から、「人生には限られた時間しかなく、その瞬間を楽しむことや回り道をすることにも意味がある」と学んだのです。
大事な人をなくす経験は、人生が思い通りにならないという、人間の無力さを思い知る経験。この経験によって、彼女はそれまで以上に人間的な眼差しを得たのではないでしょうか。
篠田:ミシェルのお母さまも知恵に満ちあふれた方。進路に悩む娘に「まずはお金を稼いでから心配するものよ」と応えるところに、お母さまの人生観の深さを感じました。

八鍬:長内さん、ミシェルのファッションについてはどうでしょうか。
長内:オバ美ウォッチャーの一人として、彼女のファッションにも注目してきました。彼女は当初、「カンカンに怒っている女」と評されたときもあった。それを通じて、「世の中の人は私の発言内容よりも服装を気にしている」ということを知るのです。
ですが彼女はショックを受けて終わりではない。「じゃあどうすればいいか?」と前向きに考え、ファッションを戦略的に活用する方法を見出していきました。若手アジア系のデザイナーの服を起用するなど、ファッションでメッセージを発信していったんです。
小島:私も過去に見た目が取り沙汰される職業に就いていたので、「結局見た目しか評価されないのか」と苦々しく思ったことも。ミシェルがそこで「ファッションという効果的に自分のメッセージを伝えられる手段があった」と発想を切り替えたのは、すごいですよね。
長内:そうなんです。彼女が来日する際に選んだのは、日本のブランド「ケンゾー(KENZO)」のサテンドレス。「あなたたちの文化を尊敬していますよ」というメッセージを発信していて、こうしたメッセージを読み解くのも楽しかったですね。

小島:それにしてもバラクは自由というか破天荒というか。ミシェルはワンオペ育児状態でしたよね。大統領に当選していなければ、「この結婚は失敗した!」と思ったのではないかと思うくらい(笑)。
篠田:バラクは楽観的ですよね。大統領選に出馬する意欲もあり、周囲もそれを待望しているのに、「出馬するかどうかは家族に相談する」だなんて! それまで妻の話を全く聞いてこなかったのに(笑)。
小島:最後の決定をミシェルに託すなんて、ちょっとひどいですよね(笑)。

長内:この話は一番盛り上がりますね。彼が大統領になって本当によかった!
篠田:ミシェルは大家族的な雰囲気のなかで育ってきて、家族のあたたかさを知っている方。だから政治にまい進するあまり家族との約束を守れない夫でも、ちゃんと家庭を築いていこうという意思が明確で、バラクに家庭人であることを教えていけた。ホワイトハウスでは、家族で衣食住をともにすることができてよかったですが……。
山本:いくら仕事をバリバリやっていても、家庭内でそこまでダメダメだと、夫や父親としての権威を失うことが多いはず。けれども、ミシェルはバラクの良いところを理解して、あとは自分が補おうとしていて、素晴らしいと思いました。
篠田:もちろん夫婦でカウンセリングを受ける前は、彼女自身も揺れていたと思います。カウンセリングの力は大きかったのかもしれません。また、自己肯定感の高いバラクと一緒にいるのは、明るくて楽観的なお兄さんと一緒に育ってきたことと重なったのかもしれませんね。
長内:ミシェルは人生の節目節目での出会いを大事にしていますよね。昔からの女友達との付き合いも続けているし、困ったときにはメンターに相談している。人との出会いによってBecomingしています。
山本:ホワイトハウスのスタッフにも旧友にも、好奇心をもって接していますよね。だから、読者も「私の友達でもおかしくない」「私と同じ」と近しい存在に感じられるのでしょう。
篠田:彼女の素晴らしいところは、エリザベス女王にもケニアで会ったバラクのおばあちゃんにも、分け隔てなく接するところ。これは、自分が何者であるかを深く内省し続けた結果なのかなと。
小島:彼女の言葉ですが、ミシェルは無視される側の立場を、痛みとともに味わってきた人。大統領夫人になってからもそれは変わらない。だからこそ、相手の立場や肩書きにかかわらず、相手の抱えている感情を深く読み取る感受性が人一倍強いのだと思います。

八鍬:立派なキャリアを築いてきたミシェルが、大統領夫人という、ある意味では無職の状態になるわけですが、そのなかで印象に残ったエピソードは何でしたか?
長内:彼女の立場なら、「ファーストレディーはこうあるべき」といった「べき論」の優先順位が上がっていってもおかしくない。けれども彼女は、家族のあり方にしても子どもの教育にしても、自分なりの基準をもっています。これはなかなかできないことだなと。
小島:「大統領になるほど立派な男性をゲットした私」という立場に栄誉を感じる女性も少なくないでしょう。けれどもミシェルは、そうした考えはせず、「いま与えられた立場で自分にできることは何か?」を考えている。そして、菜園づくりや教育への取り組みなどに、大統領の妻としての権限を主体的に使っていく。これは主体的にキャリアを築いてきたミシェルらしいファーストレディーの姿を提示したといえます。
篠田:学齢期の子どもを育てている最中だったこともあって、母親の目線を大事にし、そこから自然に食生活に目が行った。そんな普通さが失われないところが素敵だなと思いました。ミシェルのお母さまも8年間ホワイトハウスに同居されていたのですが、地に足のついた生活をし、家庭を大事にしていくうえで、お母さまの存在も大きかったのではないでしょうか。
山本:子育てもファーストレディーとしての行動も地続きなんですよね。身近な発想をもとに動いているからこそ、多くの人に受け入れられていると思います。
小島:周囲からどう評価されるかではなく、この場を生かして自分には何ができるか。ミシェルはこれを常に考え続けて、彼女自身が大事だと思っていることを伝えていますよね。彼女は生まれながらのリーダーシップの持ち主だと思います。パワーで引っぱるのではなく尊敬を集める形のリーダーシップの参考になるのではないでしょうか。
八鍬:自伝はトランプ大統領誕生のシーンで幕を閉じます。バラクが大統領に就任したときはホワイトハウスに女性も黒人もいましたが、トランプの就任では白人の男性ばかり。「私たちが築いてきたものはどうなるのか」と思いを馳せるミシェルの姿が印象的でした。彼女は政治家にはならないと公言していますが、将来の予測、もしくは「彼女にこうなってほしい」というのはありますか?
小島:大統領という方法ではなく、彼女なりの別の方法でメッセージを伝えていくのではないでしょうか。もしかしたら、上院議員にはなるかもしれませんが。政治家がSNSを用いてメディア批判をくり返し、分断が深まる一方の現在、オバマ夫妻として、どんなメディアでどんなメッセージを打ち出していくのか。そこに注目していますし、アメリカの今後に良い影響を与えていくことを期待しています。
山本:彼女は野心のない人という印象があります。流れに逆らわず、自分らしい道を選んでいるので、今後も色々な可能性があるのかなと。非常に聡明な娘さん、マリアとサーシャが上院議員などの道に進むかもしれませんね。
篠田:ご夫婦でオバマ財団を立ち上げており、この本の収益も財団に寄付するとおっしゃっています。もともとの彼女の関心領域である教育に力を入れるのではないかなと。新しい形の「社会のリーダー」になってほしいですね。
八鍬:登壇者のみなさん、貴重なお話をありがとうございました。



プロフィール
篠田真貴子さん
大学卒業後、銀行、グローバル企業3社に勤めたのち、(株)ほぼ日の取締役CFOに就任。2018年に退社し、現在は充電中。「翻訳書、ときどき洋書」連載中。
小島慶子さん
エッセイスト・タレント。1995年TBS入社。アナウンサーとしてテレビラジオに出演。2010年に退社後、各種メディア出演のほか、執筆・講演活動を行っている。東京大学大学院情報学環客員研究員。
山本知子さん
株式会社リベル代表取締役。大学卒業後、フリーの仏語翻訳者をへて2000年書籍翻訳家に。2003年多言語書籍翻訳会社リベルを設立。『マイ・ストーリ―』の翻訳の現場に携わる。
長内育子さん
éclat編集長。1989年株式会社集英社入社。Seventeen配属後、LEE、 COSMOPOLITANを経て2005年MAQUIA 副編集長に。2011年よりéclat副編集長、2019年6月より現職。
八鍬しのぶさん
集英社学芸編集部ビジネス書編集 編集長。翻訳書、ノンフィクションを担当。