
フライヤー主催のオンライン読書コミュニティflier book labo。その主要な活動として、1冊の書籍をテーマに語り合うワークショップ「LIVE」があります。今回のゲストスピーカーは、翻訳家の土方奈美さんです。数々のベストセラーの訳書を手掛けられ、フライヤーにも多くの要約があります。 そんな土方さんが取り上げた1冊は『これからの生き方。』(北野唯我著、世界文化社)。働き方や生き方を見つめ直すに当たり、個々人のキャリアタイプを「スキル型」「意志型」などに類型化し、各タイプの志向やそれぞれに応じた方策を示します。
土方さん自身も、過去に幾度となく「これからの生き方」を見直す機会が訪れ、今もなおどう生きるべきか模索中だと言います。土方さんの考える「生き方」について、インタビューで伺いました。


読書会でlabo会員の皆さんが、組織の中でいかに自分らしさや価値観を出していくか、真剣に悩まれている様子に胸を打たれました。私自身は、翻訳家になる前に新聞社に勤めていたのですが、本来やりたかったことが叶わなそうだと分かると、見切りをつけてすっぱりと辞めてしまいました。
もともとは海外特派員に憧れていました。きっかけは高校2年時のイタリア留学です。
世界60カ国から集まっている子たちと一緒に生活し、海外の人と分かり合う難しさなどを肌で感じました。日本の文化を海外に発信し、海外を日本に紹介する仕事をしたい、特派員になりたいと思うようになりました。「これからの生き方」を考える大きな転機でしたね。
実際に記者となり、激務と呼ばれるような仕事もこなしてきました。しかし、子どもを産み育てていくうちに、産前のような働き方はできず、特派員のポストが遠のいていくのを感じました。その後の人生、記者として勤め上げるよりも、強みの語学を生かせる道を探したいと考えているうちに、翻訳の仕事に辿り着きました。
過去を振り返ると、私は先々の人生が見えてしまった時に、生き方を変えている気がします。
最初の転機は、留学した高校時代。当時、日本の中高一貫の私立校に通っていて、そのまま推薦で大学に進み、平凡な生活を送る将来の姿が何となく見えてしまった気がしました。「このままじゃつまらない! もっと広い世界を見てみたい」と思い立ち、イタリア行きを決めました。
記者を辞めたのも「私の人生、もっと可能性があるはず!」と信じたかったからです。記者を13年ほど経験し、特派員になれる可能性が低まる中、このまま組織にとどまってその延長線上で10年、20年と生きていくよりは、自分の可能性に賭けてみたかったのです。
ただ、実のところイタリア留学は成功と呼べるものではありませんでした。
世界中から集まった人たちと交流し、互いの価値観や文化を知りたいと理想を抱いて飛び込んだものの、当時の語学力が低過ぎてうまくコミュニケーションが図れませんでした。人と交われなかったのが負い目として残り、ずっとコンプレックスでした。
その悔しさもあり、特派員となってリベンジしたかったのですが、それも果たせず……。翻訳家に転じた後もわだかまりはありました。
翻訳書を10冊ほど手掛けた頃、専門的な勉強をしないまま、英語力と経済記者としての蓄積だけで翻訳を続けても、いずれ行き詰まるのではないかという危機感が強くなっていました。そうして迎えた30代最後の大晦日。夫の実家で過ごしていた際に「来年で40歳か。そういえばやり残していたことがあったな」と海外留学に対する意欲が俄然湧いてきました。
その日のうちにいろいろと調べ始め、米国に良い大学院があると分かり、勢いで夫に相談しました。2人の子どもたちをどうするかという話になりましたが、「米国に連れていくよ」と言って話はすぐにまとまりました。当時夫は仕事で忙しかったため、主に私が家事・育児を担いながら、翻訳の仕事をしていました。そうした「ワンオペ」を日本でやるか、海外でやるかの違いくらいに考えていたので、その点は全く問題ありませんでした(笑)。子どもたちにもいい経験になると思いました。
この留学は成功でしたね。1年間、同じ志の翻訳者や通訳者が集まり、その人脈が仕事の幅を広げました。留学するまで、なかばOJTのように翻訳してきましたが、留学を通じて良い翻訳とは何だろうと深く議論し、それまでの自分の仕事を振り返り、客観視するよい機会となりました。
国内外のニュースを伝える特派員になりたいという目標は果たせませんでした。ただ、今翻訳家として海外の思想を伝えられていることは、特派員としてやりたかったことと重なってもいます。
一方、それだけで満足していない自分がいます。恥ずかしながら、いまだに自分が本当に求めている道が分かりません。このままただの翻訳者で終わりたくないということだけははっきりしていますね。自分でオリジナルな何かを生み出せる人間になりたいというのが、大きなテーマです。
『これからの生き方。』の中で提示されている4つのキャリアタイプのうち、私は専門性や技術を重視する「スキル型キャリア」に当てはまると感じました。このタイプの人に対し、「自分のテーマを見つけよう」と本書はアドバイスしますが、まさに耳が痛いというか、胸に響きました。
スキル型は差別化できる要因がないとコモディティ化してしまいます。つまり、翻訳業なら、より単価が安い人間が請け負うようになり、じり貧になりかねません。
私自身、ジャーナリストとして経験を積んできたことは差別化要因かなと自負しています。『2030年』(NewsPicksパブリッシング)や、ネットフリックスの『NO RULES』(日経BP)など洋書の原著は、日本の読者のニーズ、日本の状況にぴったり当てはまらない部分があります。「ネットフリックスの成功体験を、日本で再現できるのかな」と疑問に感じることもあります。
そうしたモヤモヤを追加取材で解消していくなどして、米国の作者と日本の読者の間に横たわるギャップを埋めていくような仕事ができれば、独自性を打ち出せるはずだという漠然としたイメージはあります。


2019年に翻訳した『アリババ』(文藝春秋)では同社のナンバー2に取材し、日本語訳のオリジナルコンテンツとして出したり、『フューチャー・ネーション』(NewsPicksパブリッシング)の訳書を手掛けた際は著者インタビューの記事をプロモーション用に書いたりもしています。
新しい可能性として、自分らしい色、翻訳家としての私の付加価値を少しずつでも出していきたいですね。そうした工夫や努力をしなければ、たとえ翻訳書の累計が100冊に達したとしても、キャリアとして納得できないような気がしています。




目指しているのは、「私の名前で本を買ってもらえるような翻訳者」です。普段、翻訳者の名前によって本が買われることはあまりないでしょう。しかし「土方奈美が選んだ本だったら間違いない」と、そういう領域に入っていけたらいいなと考えています。
私の尊敬する翻訳者の故・東江一紀さんや、『フェルマーの最終定理』など科学系ノンフィクションの翻訳を手掛ける青木薫さんは、「その方が翻訳しているから買おう」という読者がついています。そこまで信頼される目利き力と翻訳力、そうした総合力で評価してもらえるような翻訳者になりたいですね。
さもなければ、AI(人工知能)で代替可能なただの翻訳マシンで終わってしまいかねません。




私はスキル型だとお話しましたが、記者時代は違い、バランス型キャリアに近かったです。バランス型の特徴として挙げられている通り、「そつなく仕事をこなし」、上司からすれば「使いやすい便利な人間」だったと思います。
記者の中には自己主張の強い人も少なくないですが、私は周りと和して事を荒立てず、「四の五の言わず、とにかく動こうよ」というタイプでした。重宝された一方、残念ながら突き抜けることもなかったですね。
自分のかつての同僚を思い浮かべると、頭一つ抜けていたのは「自分はこうしたい」という意志型の記者でした。
近年、AIなどテクノロジー関連の書籍を翻訳することも多いですが、技術が進化するほど人間の心の問題、悩みは深まっていくと感じています。
世の中が便利になり、いろいろな問題が解決されるほど、「自分の存在意義は何だろう」という悩みに向き合う機会は増えるでしょう。それらは人間にとって本質的な問いであり、むしろ今後どんどん深刻になっていく。そうした風潮を背景に、最近のビジネス書も、企業はいかに経営を効率化するかより、いかに個人個人を大切にしてクリエイティビティ(創造力)を発揮してもらうかということに、論点が移ってきています。
AIの台頭により、人間の最後のレゾンデートル(存在意義)は、コンピューターにはない創造力、自分らしさ、人間らしさをどう発揮できるか、そこにあると思います。こうした悩みはどんどん深まり、残り続けるでしょう。
そういった「人間とは……」みたいな本が好きです。これまでの翻訳作品のうち、私にとってのベストは『超一流になるのは才能か努力か?』(文藝春秋)。「人間にはすごい能力が備わっていて、それを引き出せるかどうかは努力次第」といった趣旨の本です。
自分の可能性も信じたいし、人間そのものの可能性も信じたいという思いがあります。自分らしさを発揮しながら、そういった本の翻訳を手掛けていきたいですね。
今回は土方さんが翻訳家になられた経緯や、目指されている理想像について詳しくお聞きすることができました。50冊もの作品を世に送り出しながら、常により良い翻訳、伝わりやすい表現を追求する謙虚な姿勢、飽くなき向上心に感銘を受けました。
土方さんが手掛けてこられた翻訳書のうち、フライヤーは10冊近い要約をご用意しています。今回のインタビューを踏まえてお読みいただければ、より深い読書体験につながるものと期待しております。土方さんはまた、flier book laboの音声コンテンツ「TALK」の第4期パーソナリティとして、labo会員向けに配信をされています。ご興味をお持ちいただければ幸いです。
今後も、さまざまなゲストスピーカーがおすすめの1冊を紹介してくださいます。お楽しみに!
土方奈美(ひじかた なみ)
翻訳家。日本経済新聞記者を経て独立。米国公認会計士資格(CPA)所有。訳書に『NO RULES:世界一「自由」な会社、NETFLIX』『HOW GOOGLE WORKS:私たちの働き方とマネジメント』(以上、日本経済新聞出版)、『財政赤字の神話:MMTと国民のための経済の誕生』(早川書房)、『BOLD 突き抜ける力』(日経BP)、『フューチャー・ネーション:国家をアップデートせよ』(NewsPicksパブリッシング)ほか多数。