「私の人生の転機を支えた一冊」vol.03 高津尚志さん
コロナの時代にこそ立ち返りたい「セキュアベース」の意義

「いま振り返ると、あの本が人生の転機を支えてくれた」
「あのとき出合った本が自分の人生観を大きく変えたかもしれない」
あなたには、そんな一冊がありますか?
フライヤーでは、「人生の転機を支えた一冊」についてのインタビューを始めています。第3回目に登場していただくのは、スイスのビジネススクールIMDの北東アジア代表で、世界の経営幹部育成に携わる高津尚志さんです。
高津さんは、フライヤーが運営するオンライン読書コミュニティflier book laboにて、パーソナリティーを務め、「地球時代のリベラルアーツ」という音声コンテンツを届けてくださっています。高津さんにとって「人生の転機を支えた本」は何だったのでしょうか?
「個人内多様性」に目を向けることで、相手を慮ることができる
これまでの人生を振り返ってみると、それは「自分とは何か」「自分には何ができるのか」を探究し続ける旅でもありました。少年期からの、いささか屈折した歩みのせいかも知れません。そのなかで目を向けるようになったのは「個人内多様性」でした。
人間には必ず陰と陽、光と闇があります。それをどう自覚し、健康的な形で活用できるか。もちろん、社会で生きていくためには、自分の陰や闇の部分とも折り合いをつけなければなりません。こうして自分自身のなかの多様性に目を向けていると、他者のなかの多様性に関する感受性も醸成されます。例えばある人が思わぬリアクションをとってきても、「その裏には何か事情があるのではないか」と、相手を慮ることができるのです。
自分とは違う価値観や感じ方、目に見えない心の機微を知るにはどうしたらいいのか。そのひとつとしてですが、女性作家の小説を読むのは私にとってとても面白いことです。最近では、綿矢りささん、金原ひとみさん、そして村田沙耶香さんの作品に感銘を受けました。他者の物語の深い部分にふれることは、自分自身の陰や闇を受け入れたうえで、陽や光を放つために何ができるのかを考えさせてくれます。自他の内面の多様性に気づくきっかけにもなります。ここからは、こうした探求に寄り添ってくれた、私にとって特に大事な4冊の本を紹介していきたいと思います。

「右脳的な側面」を活かす後押しをしてくれたダニエル・ピンクの名著
1冊目はダニエル・ピンクの『ハイ・コンセプト』です。原題『A Whole New Mind』は2005年に発刊され、直後にアメリカで開かれた人材育成の国際カンファレンス・ASTD(現:ATD)でも大きな話題となっていました。私はフロリダから東京への機上でワクワクしながら一気に読み切ったのを覚えています。
本書のテーマは、これからの時代を切り拓く「新しいことを考え出す人」の特徴についてです。ダニエル・ピンクはその1つを「右脳・左脳の両方を活かしていること」と語っています。当時は右脳・左脳論をこれほど端的にまとめた本はなく、革新性に満ちていました。
それまでの私は銀行や戦略コンサルティング会社で、どちらかと言えばファクトやロジック、つまり「左脳的」な世界にいました。そんなときこの本が、自分のなかにある「右脳的な側面」をもっと活かしてもいい、と背中を押してくれました。そこから導かれるようにして、桑沢デザイン研究所というデザインスクールへ通うことになったのです。
2007年1月、ダニエル・ピンク来日を知った私は、本の感想と自分の企てを伝えたいと手紙を送り、幸運にも会うチャンスを得ました。刺激に満ちた対話ができ、心が通じ合う感覚がありました。最後に感謝の意を述べると、彼はこう返したのです。「お礼をいいたいのは私のほうです。私は世界を変えたいと思い、この本を書きました。それを読んでまさに世界を変えようと考えたあなたと話せて、著者冥利に尽きます」と。彼の姿勢に、発信者としての矜持を学びました。
その後私は、本の執筆、翻訳、企画など、発信する側に立つことが増えましたが、読者から感想をいただいたときは、「彼のような姿勢で読者に向き合えているだろうか」と自問します。なにより、本書の「“whole new mind”を活かせるか」という基準は、キャリアの指針になってきたように思います。
「スローダウン」「一点集中」。人生の質を変えた本
2冊目は『スローライフでいこう』です。この本はある年の夏休みのお供でしたが、旅先で何度も繰り返し読みました。「スローダウン」「一点集中」。著者が推奨する暮らし方と、自分の暮らし方や働き方が真逆でハッとさせられたのです。その後ゆったりした暮らし方を実践するようになってから、人生の質が上がってきました。


特に「一点集中」は、私のコミュニケーションの指針でもあります。「いま目の前にいる相手の話に、本当に耳を傾けられているだろうか」。そう私に問いかけてくれるのです。
これはデザインの学びにも通じています。デッサンで大事なのは、「9割の時間を、対象を見ることに費やし、1割の時間を描くことに費やす」ことだと習いました。何らかのアウトプットを出す前に、五感を研ぎ澄ませて、対象に集中できているのか。この「一点集中」によって、目に見えるものはもちろん、その奥にある目に見えないものをも感じ取ることができるのです。玄人(くろうと)とは、「くらいところ(玄)が見える人」を意味する、と聞いたことがあります。だれかの友人としても、また何らかのプロとしてもそうありたい、と思います。
私の「境地」が変わるきっかけをくれた『かもめのジョナサン』
人生を変えた本として思い浮かぶ3冊目の本は、世界的なベストセラー小説『かもめのジョナサン』です。ジョナサンは「飛ぶ歓び」を追い求めてストイックに飛行技術を磨いていました。ところが、限界を突破しようとする彼は、仲間から理解されず、ついには群れから追放されてしまいます。
この小説に出合ったのは2008年、リクルートワークス研究所で機関誌『Works』の編集長をしていた頃です。意義のあることを発信していこうと意気込んでいましたが、組織長としては苦労の連続。この2年間は、端から見れば「光」だったかもしれませんが、私の内側は「闇」そのものでした。
そんなとき私のコーチである森川有理さんが『かもめのジョナサン』をすすめてくださいました。本書のPart 1のおわりで、二羽のカモメがジョナサンにこう呼びかけるのです。
「あなたと同じ群れの者だよ、ジョナサン。わたしたちはあなたの兄弟なのだ」
その言葉は力強く、落ち着きがあった。
「わたしたちは、あなたをもっと高いところへ、あなたの本当のふるさとへ連れていくためにやってきたのだ」
当時1歳の息子を膝にのせてこの一節を読んでいると、涙があふれてきたのを今でも覚えています。村八分にされて失意のどん底にいたであろうジョナサンに、組織の人の課題に絡めとられていた自分自身を重ねたのでしょう。そうだ、私はもっと大きくて意味のあるものを作り、伝えたかったはずだ、と原点に立ち返らせてくれました。

では私が高いところに飛び立つ手助けをしてくれる「兄弟」とは誰なのだろうか? それはすでにリーダーとして行動している方々でした。そうした方々と積極的に交流するようになりました。幸い彼らにかわいがってもらい、導かれ、護られ、そして感化されて今があります。目の前に大きな問題が横わたっていても、自分がいまとはまったく違う境地に至ることで、その問題自体を無力化し、別の解を生み出せる。そんな学びを得ました。このように、『かもめのジョナサン』は私の「境地」が変わるきっかけを作った本なのです。
コロナの時代に立ち返りたい「セキュアベース」の意義
私の人生の目標は「自分の能力を他者のために使い切って死ぬこと」です。自分の力を自分ではなく他者や社会のために使うという境地に至ると、物事が順回転していく。こうしたパラダイムへと私をいざなってくれた本が、『セキュアベース・リーダーシップ』です。
セキュアベース(安全基盤)とは、「守られているという感覚と安心感を与え、思いやりで支えると同時に、リスクをとって挑戦する意欲やエネルギーをもたらす人物であり、場所であり、目標であり、目的」を意味します。リーダーがセキュアベースとなり、フォロワーと心でつながるからこそ、フォロワーは高いレベルの挑戦ができる。これが本書の主旨です。


私が2009年にリクルートを辞め、2010年にIMDに参画するまで、実は1年半の空白があります。この時期には、仕事だけでなく信頼していたメンターも失いました。さらには自分を信じる力すら失ってしまうほど、悲しみの淵に立たされていたのです。
そんなときIMDの仕事をしないかと誘われ、スイスのIMDのキャンパスでの、世界50カ国の経営幹部が集まる5日間のプログラムに参加しました。そこで聴講したセキュアベースの話が胸に突き刺さりました。いまの私が困難にぶつかっているのは、自分のセキュアベースが崩れていたからではないか。そう気付いたのです。
私は自分のセキュアベースの立て直しに取り組みました。それ以降の10年間、IMDの代表として多くの素晴らしい方々と様々なことを実現してこられたのも、そのセキュアベースの再構築があってのことです。2018年には、「セキュアベース・リーダーシップ」メソッドを基盤に、日本で、日本語によるIMDの本質的なリーダーシップ教育プログラムを開催しました。また、この本の日本語版を刊行することもできました。大きな円を、多くの縁によって描けた感覚があります。それは大きな喜びであり誇りでもあり、感謝の念に堪えません。

この『セキュアベース・リーダーシップ』は、これまでの日常が消えたコロナ禍でこそ読むべき一冊だと考えています。医療崩壊は避けなければなりませんが、その過程で飲食サービスやライブ・エンターテインメント業などの崩壊も起こっています。そうしたサービスに携わる方々にとって、お店や会場にお客さんが来なくなることは、収入が途絶えるだけではなく、生きがいそのものの喪失でもあると思います。お客さんが目の前で楽しんでくれることこそが、彼らにとってのセキュアベースかもしれません。
もしかするとあなたも、何らかの喪失感を抱えているかもしれません。この本は、セキュアベースを失っている方々への想像力を育み、みずからのセキュアベースを見つめなおす機会を与えてくれることでしょう。
自分にとってのセキュアベースとは何なのか?
自分はだれかのセキュアベースになれているのか?
セキュアベースになるためにはどうしたらいいか?
本書を通じて、こんな問いをフライヤー読者のみなさんに投げかけたいと思います。



編集後記
高津さんは、個人内多様性の探究があってはじめて、人との信頼関係を築き、リーダーシップが発揮できると語ります。「人種やジェンダーといった多様性に目を向けることはもちろん大事だけれど、自分や身近にいる他者のなかの多様性にも目を向けてほしい」。そんなメッセージを届けてくださった高津さんのインタビューでは、私自身、それぞれの本への想いの深さを知り、心が震えました。「自分にとってのセキュアベースとは何なのか?」と、この問いと向き合うところから始めたいと思います。
flier book laboでは、こうしたlaboパーソナリティーの方々の本の読み解き方にふれられる場を今後もつくっていきたいと思います。
コミュニティの詳細はこちらから。flier book labo広報委員が更新中!
プロフィール:
高津尚志(たかつ なおし)
企業の幹部育成や変革支援に特化をした、スイスに本拠を持つ世界的なビジネススクール・IMDの北東アジア代表。早稲田大学政治経済学部卒業後、1989年日本興業銀行に入行。フランスの経営大学院INSEADとESCP、桑沢デザイン研究所に学ぶ。ボストン コンサルティング グループ、リクルートを経て2010年11月より現職。
主な共著書に『感じるマネジメント』『なぜ、日本企業は「グローバル化」でつまずくのか』『ふたたび世界で勝つために』、訳書に『企業内学習入門』(シュロモ・ベンハー著)がある。