世界最大のタブー、「トイレ問題」になぜ切り込めたのか?
SDGsの時代に必要な「フェミニン・フィロソフィー」とは

世界最大のタブー、「トイレ問題」になぜ切り込めたのか?

日本では当たり前のように整備されているトイレ。しかし世界に目を向けると、約42億人が安全で整備されたトイレにアクセスできていません。それが水の汚染や病気などの問題の原因となっています。こうした現状を変えるべく、世界のトイレ・衛生問題に取り組まれているのが、「ミスター・トイレ」の異名をとるジャック・シムさん。40歳で社会起業家となり、2001年にWTO(世界トイレ機関)を設立。2013年には、国連の全会一致でWTOの創設日(11月19日)が「世界トイレの日」に制定されるに至りました。

シムさんは、どのようにしてトイレ問題を世界に認知させ、メディアや政府などを動かし、社会変革を起こしてきたのでしょうか。『トイレは世界を救う』(PHP研究所)の執筆動機にも迫りました。

人生の質をもっとも高めてくれるのは「社会に貢献すること」

── シムさんが『トイレは世界を救う』で一番伝えたかったメッセージは何ですか。

人生は短いものであり、人生の質をもっとも高めてくれるのは「社会に貢献すること」だというメッセージです。これに気づいたのは、アジア通貨危機が起きた90年代末期のことです。当時私は16の会社を立ち上げ、ビジネスでの成功は築いていました。だが果たして、このまま富や名誉を追い求めていいのだろうか。そう自問したとき、人生最期の日に後悔のないようにしたいという思いが湧き上がってきたのです。そんなとき、当時のシンガポール首相が「私たちの社会の成熟度は、公共トイレの清潔さに比例していると考えるべきだ」と発信しているのを知りました。それが引き金となり、トイレ問題に人生を懸けて取り組もうと決めました。いまやこの社会課題に関わることが生きがいになっています。

取り組む課題は、富の分配の不平等、ホームレスやメンタルヘルスの問題など、何でもかまわない。みんなが素通りしている問題のなかから解決に寄与したい課題を、個々人が発見していってほしい。そんなメッセージを本書に込めました。



トイレは世界を救う
トイレは世界を救う
ジャック・シム,近藤奈香(訳)
PHP研究所
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トイレは世界を救う
トイレは世界を救う
著者
ジャック・シム 近藤奈香(訳)
出版社
PHP研究所
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「ユーモア」はトイレという「タブー」の扉を開けるカギ

── トイレ健全化が世界的に重要な課題であるにもかかわらず、シムさんが動き出すまで、ほぼ手つかずであったのはなぜでしょうか。

最大の理由は、トイレについて語ることがタブーとして忌み嫌われてきたためです。私たちは幼い頃から、トイレや排泄物の話をしないようにと教わってきました。それゆえ、話題に出すだけで羞恥心を抱いてしまうのです。ところが実際には、トイレが確保されていないことで、水の汚染、公衆衛生の欠如による子どもの死亡が後を絶ちません。

さらには、世界中の女性の3人に1人が安全なトイレ環境がないために、病気やハラスメント、ひいてはレイプなどの危険にさらされています。こうした深刻な事実は、これまでないものとされ、むしろ被害者側の責任とする風潮までありました。トイレがきちんと整備されれば、こうした問題が解決し、人々は尊厳を取り戻し、就学率も向上する。

ではトイレ問題がタブー視されない社会にするにはどうしたらいいか? しかも私たちのように資金のないNPOが世界にインパクトを与えるには? こう考えた末にとった戦略は、「ユーモア」の力を借り、ストーリーテラーになることでした。

── ユーモアの力ですか。

トイレのように話しづらい話題については、ユーモアがアイスブレーカーの役割を果たしてくれます。みんなが話題にしたくなるようなストーリーを発信すれば、メディアが取り上げてくれるだろうと。私たちのNPOをWorld Toilet Organization(世界トイレ機関)と名づけたのも、ユーモア戦略の一環です。世界貿易機関(WTO)にかけた名前なら、認知が広がると踏んだのです。もちろん訴訟されるリスクもあったわけですが、運良く免れて、狙い通り世界のメディアがこの話題に飛びつきました。

何かを普及させたいとき、「トイレを使わなければ病気になる」などと、恐怖を煽る方法もあります。ですが、「面白い」「つい人に話したくなる」などと、ポジティブな文脈で伝えるほうが、はるかに効果がある。ユーモアはタブーという扉を開けるカギになるのです。



── そこから社会的なムーブメントを生み出すうえで、どのような工夫をされたのでしょう?

人々が自分の「利己的な欲求」に従って動くことで、ムーブメントができる仕組みづくりです。メディアが頻繁に取り上げるテーマには、当然政治家も注目します。その背景にあるのは、「票を集めたい」というモチベーションです。すると今度は、政府や官僚が話題となっているテーマに重点的に予算を割くようになります。その予算から、注目されているテーマに関して大学の研究費が支給され、学会にも影響が及ぶ。さらには、セレブリティの注目も集まり、彼らの発信によりそのテーマが広く知られていく。

このように、人々が自分の欲求を満たそうとするなかで、社会を動かすムーブメントができていくのです。

トイレ問題の根底に横たわる「人間の尊厳」という問題

── シムさんがトイレ問題の解消を、人生のミッションとしようと思った原体験はありますか。

子ども時代、独立前のシンガポールの貧しい村で生活していたことです。最初は汲み取り式の共同トイレを利用して生活していました。もちろん決して不幸ではありませんでした。ですが、5歳のときに公共団地に移り住み、水洗トイレを初めて使ったときは衝撃を受けました。家に整備されたトイレがあることで、安全性や健康、衛生面が改善しただけではありません。自分がれっきとした社会の一員なんだというプライドが芽生えたのです。

貧困を、メディアで見聞きするだけでなく、実際に経験してきたこと。そして、村社会のダイナミクスのようなものを体感したことは、社会起業の原動力にもなっていますし、トイレの普及活動にも活きています。

── 村社会のダイナミクスに身をおいて、一番の気づきは何でしたか。

貧困にある人は、金持ちの層から見下されてもあまり気にしません。ですが、同じコミュニティ内で比較し合うため、隣人から見下されるのを非常に嫌います。それはなぜなのかと掘り下げていくと、「人間の尊厳」の問題が大きく横たわっていることに気づきました。

人は尊厳のために死を選ぶことすらあるほど。たとえばインドでは、貧しい家庭で女の子が産まれたときに、その子を殺してしまうという悲しいことが起きています。理由は、将来その娘が結婚するときに必要な持参金を用意できないから。また日本でも、ルイ・ヴィトンなどの高級ブランドを所有するのは、ステータスを証明し、尊厳の欲求を満たしたいからでしょう。



この尊厳に働きかけていくことが、途上国でのトイレの普及では重要になります。具体的には、「嫉妬」という感情を建設的に活用しました。地元で噂が好きの女性たちに、「あの人の家にはトイレがあるが、あの人の家にはトイレがない」と話してもらうのです。そうすることで、トイレがステータス・シンボルになりました。

多くの人は、複雑な問題が起きているとき、目に見えている現象にとらわれ、複雑に考える傾向にあります。ですが私は、その現象の背景にあるシステムや根源的な理由に目を向けるようにしているんです。シンプルにしか物事を見ないのは、私が学生の頃は落第生だったからでしょう。知らないことが多いからこそ、子どものようにゼロベースで物事を見られる。それに、バカげた質問でも臆せず投げかけられるのです。

トイレ文化こそ、日本が輸出すべきソフト・パワー

── 数ある国の中から、日本の読者に向けて本書を書き下ろそうと思った理由は何でしたか。

日本の方々にこそ他国のトイレ事情について知ってほしいから。そして、日本のトイレ文化の素晴らしさに気づいてほしいからです。日本はインフラとしてのトイレだけでなく、他国に類を見ない洗練されたトイレ文化をもっている。たとえば、トイレを次に使う人への配慮、丁寧にものを扱おうとする気持ち。こうした日本では当たり前とされているものを感謝することが、幸福感にもつながる。同時に、日本食や漫画と同じくらい、他国に輸出すべき日本のソフト・パワーだと知っていただきたいと思っています。

書籍という形態をとったのは、トイレ問題の深刻さと解決への道筋を、1つの完成されたストーリーとして伝える必要があったためです。最近のメディアでは、ニュースがスナップショットのようにしか取り上げられない傾向がありますから。

これからの時代に必要なのは「フェミニン・フィロソフィー」

── 現在日本でも、SDGs(持続可能な開発目標※)への取り組みが重要視されています。シムさんのように、世界に影響を与えていく社会起業家をめざすには、どんなマインドがいるとお考えですか?

SDGsにしても、1つの開発目標だけを追うのではなく、領域を横断して解決をめざすことが求められます。たとえば、5つ目の目標「ジェンダー平等の実現」と、6つ目の目標「安全な水とトイレを世界中に」。トイレの整備を進めることで、女性の健康や教育機会の改善という効果を見込めるというように、相乗効果をめざせば、解決のためのリソースをシェアできる。
重要なのは、他の領域の専門家とコラボレーションする発想です。各目標のための予算には限りがあるので、現実問題として、セクターや領域を越えた協力を迫られることでしょう。こうした動きを促すために推奨したい思想が、「フェミニン・フィロソフィー(女性的な哲学)」です。

※2015年9月の国連サミットで採択され、「持続可能な開発のための2030アジェンダ」に記載された、2016年から2030年までの国際目標のこと。

── どのような思想でしょうか。

現代社会は、男性的なゲームのルールに支配されています。限られた資源を、ゼロサムゲームのように奪い合っているのが現状です。しかしこれでは「敗者」の数が増える一方。搾取や破壊の連鎖が続いてしまう。

これから持続可能な社会をつくりあげるために必要なのは、愛情をベースにし、互いにバランスをとる発想、「フェミニン・フィロソフィー」です。「他人から手柄を奪う」よりも「お互いを助け合う」。こうしたアプローチが重視されるようになれば、世界をよりよくする行動がもっと社会的に承認され、バランスのとれたエコシステムを維持できるはずです。



── シムさんのビジョンをお聞かせください。

短期的な目標は、トイレを全世界の人にとって日常的な存在にすることです。これにより水の汚染をなくし、人々が教育やヘルスケアにアクセスでき、QOLが担保されるようにしたい。

中長期的に2つ目のムーブメントを起こしたいのは、「貧困の終焉」という課題。その一歩が、シンガポールで設立した「BOP(ベース・オブ・ピラミッド)ハブ」というアクセラレーションプラットフォームです。BOPとは、世界の所得者層をピラミッド型のグラフに描いたときに最下部を占める低所得者層、つまり全世界人口の約7割である40億人を指します。彼らを市場に招き入れることで、市場の拡大につなげるという試みです。こうした取り組みをすすめる起業家たちを支援していきたい。私が生きている間に、少しでも貧困問題が解消に向かっていれば本望です。

トイレは世界を救う
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ジャック・シム

Jack Sim

シンガポールの社会起業家、別名「ミスター・トイレ」。会社経営などを経て、2001年、国際NPO団体WTO(世界トイレ機関)を創設。世界各国での「ワールド・トイレ・サミット」開催や「世界トイレ大学」創立、サステナブルなトイレのデザイン・製品開発などの事業を通し、トイレの普及啓蒙に努める。2013年、国連の全会一致でWTOの創設日(11月19日)が「世界トイレの日」に制定された。『TIME』誌が選ぶ環境ヒーロー賞、エリザベス女王の「ポイント・オブ・ライツ」賞など数々の賞を受賞。

WTO(世界トイレ機関):http://worldtoilet.org/

BOPハブ:https://bophub.org/about-us/

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文責:松尾 美里 (2019/11/20)

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