なぜ、世界最高峰の大学MITは「音楽」を重視するのか?
リベラルアーツ全盛の時代に「音楽」を学ぶ意義

なぜ、世界最高峰の大学MITは「音楽」を重視するのか?

ハーバード大学、スタンフォード大学、マサチューセッツ工科大学(MIT)。アメリカの名だたる大学が「音楽の授業」をカリキュラムに盛り込んでいます。なかでも90名以上のノーベル賞受賞者を輩出してきたMITでは、毎年1500名が音楽科目を履修しており、この10年で履修生が50%増加しているそうです。

MITが音楽の学びを促すのはなぜなのか? 丹念な取材のもとに実際のカリキュラムとその本質を明らかにしたのが、『MIT(マサチューセッツ工科大学)音楽の授業-世界最高峰の「創造する力」の伸ばし方』(あさ出版)です。著者であり、音楽ジャーナリストとして海外での音楽教育取材や研究、講演を行う菅野恵理子さんに、授業の背景にあるMITの狙いをお聞きしました。

MITの音楽教育が「コラボレーション」を重視するワケ

── 『MIT(マサチューセッツ工科大学)音楽の授業』の執筆動機は何でしたか。

MITの音楽教育にはいかにイノベーティブな精神が生かされているかを知っていただきたいと思ったためです。数年前にアメリカの主要大学におけるリベラルアーツ教育について現地取材した際(『ハーバード大学は「音楽」で人を育てる』として2015年に出版)、ハーバード大学と同じボストンにあるMITのカリキュラムについても調べました。すると、思っていたよりも音楽に力を入れており、「西洋音楽史入門」「ワールドミュージック入門」、作曲、アンサンブルなど、多種多様な授業が展開されていると知りました。いつか掘り下げた取材をしたいと思っていたところ、出版社の申し出により、MITの音楽教育をテーマにした本の執筆に至りました。

── MITというと科学、テクノロジー、工学、数学のSTEM教育に強い印象ですが、芸術科目が必修だと知って驚きました。なかでも多彩な音楽科目が開講されていますが、MITの音楽のカリキュラムで特徴的な点は何でしょうか。

1つは、「理論」で終わらず「実践」を伴っている点です。たとえば初心者向け「音楽理論」の授業でも、学期末には作曲の課題が組み込まれています。「西洋音楽史入門」でも音楽の歴史を時代ごとに学んで、その理解度をチェックして終わり……ではありません。生のコンサート2本に足を運び、実演を考察するレポート課題があります。またいずれも、一方的な講義形式ではなく対話形式をとっていて、学生が次々に質問を投げかけていました。

こうした背景には、MITが建学時から大事にしてきた「ものづくりの精神」があります。またMITの学生たちの85%が「学びを形にするプロジェクト」を好むという特性も、授業に反映しているようです。

2つめの特徴は、コラボレーションを重視している点です。たとえばクラスメイト同士で作曲した曲についてフィードバックし合うなど、互いに学び合う文化があります。これはMITの育てたい人材像と結びついています。MITが輩出してきたトップレベルの科学・工学の研究者・技術者たち。彼らに今後求められるのは、色々な専門分野の知見をシェアしながら課題解決をはかる力です。

科学や工学が向き合う課題は、一人の想像力や専門性だけでは突破できない難題が多くあります。過去の学者たちの業績を学びつつ、いまいる科学者たちの知見を融合しないと、解決の道筋を描けない。そうした教育方針が、音楽教育におけるコラボレーション重視に反映されているのです。

MIT マサチューセッツ工科大学 音楽の授業
MIT マサチューセッツ工科大学 音楽の授業
菅野恵理子
あさ出版
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MIT マサチューセッツ工科大学 音楽の授業
MIT マサチューセッツ工科大学 音楽の授業
著者
菅野恵理子
出版社
あさ出版
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── 菅野さんから見て印象的な授業はどのようなものでしたか。

印象的なのは、授業が学生の「パーソナル」な体験を起点にしている点です。世界の音楽の多様性を学ぶ「ワールドミュージック入門」という授業では、各自がどんな音環境で育ったのか、パーソナル・ミュージカル・エスノグラフィーを書き出していました。このように自分の経験と向き合うことで、自分の内面から問いを引き出すのです。個としての自分と向き合うからこそ、他の個性にも目を向けられるのでしょう。

そのうえで、学生同士でエスノグラフィーをシェアします。MITでは多様な国籍・民族・背景の学生がいるので、それぞれのエスノグラフィーにふれることで多様性を認識できるようになっています。面白いのは、音楽を通じて「違い」だけでなく「共通項」にも目を向けられる点です。異なる文化圏の民謡を初めて耳にしたのになんだか懐かしい――。そんな郷愁にも似た感覚を覚えたことってありませんか? こんなふうにパーソナルな音楽の経験を共有することで、多様性と普遍性に目を向けられるのです。

MITで音楽が重視されるのは、「より根源的な問い」に向き合う必要があるから

── MITでは、音楽科目を履修する人がこの10年で50%も増えているそうですね。MITで音楽が重視されている理由は何でしょうか。

この10年で、AIをはじめとするテクノロジーが大きな進歩を遂げてきました。そこで、人間とテクノロジーがどう共存していくべきなのか。そもそも人間はどうあるべきなのか。MITを巣立っていく科学技術者たちは、こういった、より根源的な問いと向き合わざるを得なくなっている。つまり、技術革新によって人間理解がますます重要になっているのです。また自然との共存やSDGsのように、人間と地球、さらに宇宙にまで目線を広げる必要が出てきています。それが人文学や芸術科目の重視につながっているのでしょう。

物理化学者・社会科学者のマイケル・ポランニー氏は、「身体や情念を含む個人の暗黙知こそ、科学的な発見を前進させてきた」と語っています。「この現状を変えたい」「こうした未来を創りたい」。音楽は、こういった自分の内側から出てくる生々しい感情を解き放つものでもあります。そしてこうした情動こそが、創造性をかきたてて、イノベーションを促す大きな力をもっているのではないでしょうか。

リベラルアーツ全盛の時代に音楽を学ぶ意義とは?

── ビジネスパーソンの間でも、哲学や歴史、美術など、特に人文学のリベラルアーツを学ぶためのビジネス書への注目がこれまで以上に高まっています。また、「センスメイキング」や「アート思考」といったコンセプトが広がりつつあります。そんな現代において、芸術の中でも音楽を学ぶ意義は何だとお考えですか。

美術と音楽の特性の違いを挙げながらお話しましょう。美術は静止した作品の前に立ち、目から情報を受け取り、そこに表現されている一瞬に対し想像を膨らませます。これに対し、音楽というのは空気振動を通じて、直感的・立体的に情報が体に入ってきます。音楽はまた時系列に展開していく芸術でもあります。そのため、あるモチーフやそこに込められた喜怒哀楽が、1曲の中で、また楽章ごとにどのように変遷していくかを、まるで一つの物語のように味わえるのです。よって感情の変容を汲みとる感性を養いやすいですね。

音楽が数式や言語とも異なるのは、音楽には、振動することで生じる「揺らぎ」がある点です。脳の構造上、音を聴覚野で受けとり、大脳周縁系で情動を感じます。さらに、「この曲はどのような流れでできているのか」「このメロディやハーモニーはどんなニュアンスなのか」といった文脈や意味を考えることは、社会脳と言われる前頭前野などにも関わってきます。脳が活性化する部位が増えるのも音楽の効用といえるでしょう。

また右脳・左脳という言葉をよく耳にすると思いますが、音楽は右脳にも作用します。左脳が直線的・論理的に物事をとらえるのを得意とするのに対し、右脳は全体を見ることや、あいまいな状況に対峙することを得意とします。このように、文字の言葉だけではこぼれ落ちてしまうものをすくいとれることが、音の効用ではないでしょうか。

── 音のもつ「揺らぎ」にはそんな効果があるのですね。

特にこの1年はコロナ禍により、対面ではなくオンライン会議の機会が増えました。その際、対面よりもやや相手の心の機微が読みとりにくいと感じたことはありませんか? もしそうならば、スクリーン越しでは、同じ空気を共有し、一緒に揺らぎを味わえないことが影響しているのではないかと思います。たとえば音楽のコンクールなどでも、演奏の最初の一、二音でその人がどのような意志のもとに演奏しているかがわかることがあります。それほど音には情報量があるのです。

音楽をより深く楽しむための方法

── 菅野さんのおすすめの作曲家を教えていただけますか。

ぜひ紹介したいのは、フランスの作曲家フランシス・プーランクです。ユーモアや皮肉、遊び心のあふれた曲をつくるかと思えば、厳かな宗教的な曲も残していて、揺らぎの激しい作曲家なんです。音楽評論家たちからは「聖職者といたずら小僧が同居している」と評されたほど。

彼のおすすめの一曲は、第二次世界大戦中に書かれたカンタータ『人間の顔』の最終曲「自由」です。ポール・エリュアールという反ナチスの詩人の詩を採用しているのですが、自由への渇望がにじみ出ています。

音楽は自由に楽しむものですが、どうか目を閉じて聞いてみてほしいなと思います。人は視覚から多くの情報を受け取っているので、視覚情報を遮断すると、より聴覚に集中できる。だから没入感が大きくなり、体全体で音楽を味わえるはずです。

── 最後に、菅野さんの今後のビジョンをお聞かせいただけますか。

音楽ジャーナリストとして各国の音楽教育や国際コンクールを探究するなかで感じるのは、クラシックにはもっと広い可能性があるということです。その可能性を読者にお伝えできるような本を今後も執筆していけたら嬉しいですね。

MIT マサチューセッツ工科大学 音楽の授業
MIT マサチューセッツ工科大学 音楽の授業
菅野恵理子
あさ出版
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MIT マサチューセッツ工科大学 音楽の授業
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著者
菅野恵理子
出版社
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プロフィール:

菅野恵理子(すがの えりこ)

音楽ジャーナリストとして海外での豊富な音楽教育取材・国際コンクール演奏評をもとに、音楽で人を育て、社会を繋げることをテーマとして調査研究・執筆・講演などを行っている。著書に『ハーバード大学は「音楽」で人を育てる』『未来の人材は「音楽」で育てる』(共にアルテスパブリッシング)。オンライン連載に『海外の音楽教育ライブリポート』 (ピティナHP)などがある。

上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。

全日本ピアノ指導者協会研究会員。

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文責:松尾美里 (2020/12/28)

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