【インタビュー】
サヘル・ローズさんを自殺から救った言葉とは?
優等生を演じ続けた「着ぐるみ」生活

テレビや映画、舞台などで幅広く活躍する俳優サヘル・ローズさん。このたび自身の半生や、人々との出会いの中で感銘を受けた言葉を綴った著書『言葉の花束』が刊行されました。
忙しい俳優業の傍ら、難民キャンプを訪問するといった活動にも精力的に取り組んでいます。
背景には、自身も戦争によって翻弄されてきた生い立ちがあると言います。イランの孤児院で育ち、そこから養母に引き取られて8歳のときに来日、日本ではイジメに遭ったり、一時路上生活を送ったりしました。
そうした過酷な半生を赤裸々につづった本書ですが、不思議と重苦しい雰囲気はなく、前面に出るのは爽やかで可憐な「花束」のイメージです。
サヘル・ローズさんが救われた言葉、届けたい言葉について単独インタビューで伺いました。
本は友達
── 『言葉の花束』にはこれまでの人生で出会われたさまざまな印象深い言葉が綴られていました。想定されている読者層をお教えください。
最初は、私が経験したように、孤児院で育った方や里親さん、イジメで悩んでいる人を想定していました。ただ、それだけではなく、私の心の声、経験をまとめたこの本を通して、読者が「私と同じ考えかもしれない。同じように感じている人がいたんだ。私は一人じゃなかった」と思ってもらえたらなといいなと思って書きました。
── どのような反響がありましたでしょうか。
「読んでいくうちに、サヘルの声が聞こえてきた気がする。読み聞かせをしてくれている。そばにいてくれている」といったコメントが多く寄せられてうれしかったですね。
もともと目標としていたのは、本から声が聞こえてくるような、誰かに寄り添う一冊にすることでした。
私は幼少期、図書館によく通い、本が友達でした。本が隣に座ってくれていて作者を感じ、登場人物に心を通わせることで、救われたことが何度もありました。
この本が誰かの友達になったり、寄りかかれる存在になったりしたらいいなと思っていたので、実際そういう声が多く、私がそこにいるように感じてもらえてうれしかったです。

優等生のブレーカー
── 中学時代には自殺も考えられるほど悩まれたと伺いました。
はい。最初は、同級生による言葉のからかいから始まりました。先生に相談すると、「冗談だから気にするな。気にし過ぎ、繊細過ぎる」と言われてしまったんです。
でも、言葉の刃で刺されて本当にしんどかった。物理的な暴力のほうが傷やあざが残るので、相手もやったことに気づけますが、暴力的な言葉や無視などは精神的苦痛でしかなく、目に見える痕跡が残りません。そのうち実際に暴力を振るわれ、持ち物に落書きされるなどエスカレートしていきました。
── 中学3年のときですね。
はい。もう感情が抑えられなくなりました。それまでは、学校から家まで泣いて泣いて走って帰ってデトックスをしていました。それで、お母さんが仕事から帰ってきたときに「優等生のブレーカー」をあげていました。そして「学校はどうだった?」と聞かれれば、「すっごく楽しかったよ。○○ちゃんと遊んでね……」と架空のストーリーを仕立て上げて生きていました。それをし過ぎて結局サヘルという人間を見失い、自分自身を拒絶するようになりました。
一方で、お母さんは毎日必死で働き、朝から晩までトイレ掃除の仕事をして疲れ切って帰ってきていました。そんな状態では相談しづらいし、日本語もおぼつかないお母さんに宿題のことを聞けない。成績は下がる一方でした。
どうしても親に気を遣ってしまっていました。お互いに「着ぐるみ」を着てよく見せようと強がった生活をしている親子でした。
愛溢れる「いいよ」
── その苦しい状況をどうやって乗り越えたのでしょうか。
そうした取り繕った自分に限界がきて、あるときお母さんに「死にたい」と打ち明けました。お母さんは意外にも「いいよ」と言って、私の感情を全部受け止めてくれたのです。「いいよ、でも私も連れて行って」と。
そう言われて私たちはハグをしました。その時、抱きしめたお母さんの体が皮と骨で、あばら骨が触って分かるぐらいだったんですね。孤児院から引き取ってくれたときのお母さんの手は、本当にきれいでふくよかだった。それなのに、必死で働いて、女性一人で何もかも分からないこの国で生きるうちに、骨と皮と血管でぼろぼろの手になっていました。
── 相当ご苦労されてきたのですね。
ええ。その瞬間、すごくいろいろと頭に浮かびました。
私は死ぬことがイジメっ子たちへの復讐と思っていましたが、本当にこれでいいのか、と。ここまでしてくれた目の前の養母に、何も恩返しができていない。それどころか彼女の人生まで道連れにしようとしている、そう率直に感じました。
彼女は自分のために生きてくれた。自分は生きていたんじゃなく、生かされていたと気付かされました。その瞬間、生きる目標が母親を幸せにすることへと変わりました。
私は本書と人生を通し、お母さんがやってきたこと、存在したことを歴史に刻みたかったのです。この本は、お母さんに向けてのラブレターであり、感謝状です。
── お母さんは本書を読まれましたか。
はい。読んで、泣いていました。「サヘルがここまで自分の足で立って生きてくれていることが本当に良かった」と言ってくれています。宝物のように受け止めてくれました。
面と向かって言えないことも書いたのですが、それによってお母さんの思いも聞けました。いい交換日記になったのではと思います。

弱みを見せる
── ここで少し、仕事の人間関係の悩みについて伺いたいと思います。よく、職場での不満やネガティブな感情を抱え込んでしまうといった声を耳にしますが、どうしたら吐き出すことができるでしょうか。
お互いの関係性が大事だと思います。私は仕事先でいつもと違う様子の人がいたら、率先して声を掛けるようにしています。
「大丈夫? 元気?」と聞くと、その人は「元気じゃない」とは言いづらいので、「うん、元気……」という答えになりがちです。「何かあった?」と聞くと、相手も答えやすいように感じます。
声を掛けるとともに、自分の弱さをさらけ出すようにしています。すると、「この人は失敗や苦しかったことを話してくれる。それなら、自分の苦しみも聞いてくれるはずだ」と思ってもらえるものだと、経験から学びました。
「腹を割って話す」という言葉がありますが、日本には意外とそういう関係が見られません。むしろ、殺伐とした空気、「阿吽の呼吸」で物を言わせない空気があるように感じています。
電波塔になりたい
── 今後の活動についてお教えください。
役割として、エンターテインメントの仕事をきっちりこなし、表現していきたいです。電波塔になることによって、世界で置き去りにされている人々、声を届けることができない子どもたち、日本の養護施設のこと、路上生活の方々、さまざまな課題を抱える家庭の方々など、いろいろな声を当事者と関わっていく中で、伝えられるようになりたいです。
そのために、自分の名前の力、自身の影響力を高めたいと思ったことが、この世界に足を踏み入れた一番の目的でした。
でも結果的に、そうしたお芝居の仕事が、自分の救いにもなっています。今までたくさん苦労した経験は引き出しでもあり、それらを糧としてお芝居や作品で表現していきたいと思っています。
好きな言葉は「ありがとう」
── タイトルにある「言葉の花束」、一番好きな言葉は何ですか。
とてもシンプルなのですが、「ありがとう」です。
一つ一つ、自分に対してやってくれることは当たり前ではないので、きちんと相手に一つ一つ「ありがとう」と言うようにしています。
それを言い過ぎてロケで「ありがとう、言い過ぎです」って怒られちゃったこともありますけどね(笑)。
今日もインタビューのためにいろいろ準備してくださり、本当にありがとうございました。

サヘル・ローズ
俳優・タレント
1985年イラン生まれ。幼少時代はイランの孤児院で生活し、7歳のときにフローラ・ジャスミンの養女として引き取られる。8歳で養母とともに来日。高校時代に受けたラジオ局J-WAVEのオーディションに合格して芸能活動を始める。レポーター、ナレーター、コメンテーターなど様々なタレント活動のほか、俳優として映画やテレビドラマに出演し舞台にも立つ。
また芸能活動以外では、国際人権NGOのすべての子どもに家庭を」の活動で親善大使を務めていた。現在も社会貢献活動を続け、公私にわたる活動が評価され、アメリカで人権活動家賞を受賞。著書には『戦場から女優へ』(文藝春秋)、フォトジャーナリストの安田菜津紀氏との共著で写真詩集『あなたと、わたし』(日本写真企画)がある。