
「哲学」を知れば、世界の見え方が変わる!
どうしたら幸せになれる? どんな風に死ねたら最高?――。そんな「答えのない問い」に人生を懸けて挑んできたのは、古今東西の哲学者たち。哲学は「正解のない時代」に生きるわたしたちに、多くの気づきを授けてくれると『哲学者たちが考えた100の仮説』(三笠書房)の著者・白取春彦さんは言います。 哲学を通して、自分らしく豊かな人生について考えてみませんか?
ライター・白取春彦
この世の中には、さまざまな疑問や「答え」のわからない問題が、数えきれないほどあります。
「幸せってなんだろう?」「人は死んだらどうなるの?」「正義って、いったい何?」……など。みなさんも、ふとした時にこうしたことを考えてしまった経験があるかと思います。
こうした難しい問題にたいして、「人生を懸けて」考え続けたのが哲学者であり、その「知の結晶」とでもいうべきものが、哲学という学問です。
ただ、そんな哲学者たちの考えも、人によって違っていることが多く、時には矛盾しているように思える内容もあります。
哲学者たちの主張は、「絶対的な答え」というわけではなく、一つの「仮説」にすぎないのです。

ですが、考えてみれば世の中にはたくさんの仮説があふれています。
たいていそれらは、根拠の乏しい俗説であるにもかかわらず、私たちは疑いもせずにそれらを信じ、平然と暮らしているのです。
その点、哲学者の仮説というのは、「頭のいい人たち」が考えぬいたすえに生み出されたものであり、“とびきり上質な思考の結晶”といえます。
「どれが正解」ということはありませんが、それら一つ一つがあなたの人生に大きな気づきや学びを与えてくれるだけの力を秘めています。場合によっては、今あなたが直面している問題や課題を解決するためのヒントにもなってくれるでしょう。
そしていちばん大切なのは、それらの仮説について自分なりに考えたり、疑ったりして、思考を深めること。
哲学者たちの考えた仮説は、私たちの思考力を鍛えてくれる「最高の教材」なのです。
世界、幸福、時間、死……。
古今東西の哲学者たちが考えてきたことは多岐にわたりますが、その中でも深く議論されてきたのが「幸福」についてです。
「どうしたらもっと幸せになれるのか」という悩みは、今も昔も変わらないということでしょう。

たとえばアリストテレスは、『ニコマコス倫理学』という書物のなかで、人の意志や行動の究極の目的は幸福だと主張しています。
そしてその幸福の条件とは、いっときの快楽のようなものではなく、簡単には失われず、永続的なものである、といいます。
さらにアリステレスは、人間の能力が徳にもとづく場合のみ、それを幸福だとしました。この徳はギリシア語でアレテーといい、人間をすばらしい状態にしてくれる特質、卓越性、有能性を指します。
なんだか特別な能力のように聞こえますが、決してそんなことはなく、いわゆる気品や勇気、健康、創造性などのことを一括りにしているだけで、これらは訓練によって誰でも身につけることができるといいます。
つい、目先の快楽にとらわれてしまいがちな現代人にとって、アリストテレスの考える「幸福論」から学べることは非常に多いといえるでしょう。
みなさんは、「自分の記憶や思い出」について深く考えてみたことはありますか。
「記憶の正体」や「記憶は本当に正しいのか」ということも、哲学者たちが考え続けてきたテーマの一つでした。

バートランド・ラッセルという哲学者は、『心の分析』に次のような仮説を提示しています。
わたしたちがある事を記憶しているからといって、その事が過去にあったのは確かだということはできない。なぜならば、今のこの世界全体がたった五分前に今ある通りに創造されたかもしれないからだ。したがって、異なった時間に起きたことを今と論理的に結びつけることは不可能なのだ。
こんなふうに「世界が五分前に創造されたかもしれない」というのはとっぴな発想ですが、要するにラッセルは、異なった時間に起きた二つの出来事を論理的に結びつけることはできないということを述べているのです。
この場合の二つの出来事とは、過去にあった出来事、と、それを自分が記憶しているという出来事、になります。記憶しているからという理由で、過去にその記憶通りの出来事があったとはいえない、ということです。
基本的に私たちは、「自分の記憶は正しい」と思い込んでおり、また多くの知識や常識も、何らかの形で「記憶」というものが前提とされています。
ゆえにラッセルによるこの問題提起は、私たちが持っているさまざまな知識というものをはなはだ不安定なものにする衝撃をもたらしてきます。
このように、私たちの「当たり前」を揺るがし、思考の枠を取り払う手助けをしてくれる力が、哲学にはあるのです。
「死」は、哲学の最も大きなテーマのうちの一つです。

「人は死んだらどうなるのか」「魂は存在するのか」など、多くの疑問がある中で、中国の楊朱は「最高の死に方とはどういうものか」について、次のように思索を巡らせています。
実質のある者が必ずしも名声を受けるとは限らない。人はしかし、富がほしいがために名声を求め、地位を求める。自分がいずれ死ぬからこそ、富で子孫を幸福にしようと、苦しい目にあっても名声や地位を求める。しかし、名声を受ける者は実はそれにそぐわない者ばかりなのだ。
この世に生を受けたならば、自分の性質のままに好きなことを勝手にやって寿命が来るのを待つのがよい。力ずくでなんとかしようとせず、ただなりゆきにまかせることだ。そうすれば、早いだの遅いだのといった文句がなくなる。
他人のために自分を犠牲にしないこと。また、他人を自分の手段に利用しないこと。
わが身は自分のものではない。だから、大切にしなければならない。
「人はいずれ死ぬ」ということを受け入れて、そのうえでどうすればより良い人生を生きることが可能なるか、と考える楊朱の哲学は、私たちの人生に当てはめても非常に参考になる点が多いのではないでしょうか。
白取春彦(しらとり はるひこ)
青森市生まれ。ベルリン自由大学で哲学・宗教・文学を学ぶ。哲学と宗教に関する解説、論評の明快さに定評がある。 主な著書に、ミリオンセラーとなった 『超訳 ニーチェの言葉』のほか、『頭がよくなる思考術』(ともにディスカヴァー・トゥエンティワン)、『超要約 哲学書100冊から世界が見える!』(三笠書房) 、『この一冊で「聖書」がわかる!』(三笠書房《知的生きかた文庫》)など多数。