哲学は「はぐれ者」のためにある
近内悠太が語る「人生の転機を支えた一冊」

「いま振り返ると、あの本が人生の転機を支えてくれた」
「あのとき出合った本が自分の人生観を大きく変えたかもしれない」
あなたには、そんな一冊がありますか?
「人生の転機を支えた一冊」に関するインタビュー第9回目に登場していただくのは、私塾で数学などを教える教育者であり、哲学研究者の近内悠太さん。デビュー著作の『世界は贈与でできている』は第29回山本七平賞、奨励賞を受賞しました。
読書コミュニティflier book laboでもパーソナリティとして活躍される近内さんにとって、人生の転機を支えた本は何だったのでしょうか? テーマは、近内さんの考える「哲学の役割」にも及びました。
「長年抱えていた問いが、哲学者たちの向き合ってきた疑問に通じている」
人生の転機を支えた本と聞いてまず思い浮かんだのが、哲学者の野矢茂樹先生の著書『哲学の謎』です。大学受験の頃にたまたま書店の新書コーナーで手に取りました。「私が見ている木は本当にそこにあるか」「私とあなたは本当に同じ色を見ているのか」。僕は小さい頃からこうした根本的な問いを考えることが多かった。考えることが多かったというか、そういう疑問につまずいてしまうことがありました。本書はまさにこうした分析哲学の問いとの向き合い方を、ゼロベースで書いてくれた本です。問いを問いとして、提示してくれる本でした。
同時期に読んだのが、哲学者の永井均先生の『〈子ども〉のための哲学』。本書の冒頭で印象に残った点があります。それは、中学の理科の先生には、科学だけでなく「科学の根拠に関する疑いと、その疑いに対して科学を弁護する議論」を教えてほしいと書いていたことでした。また歴史の先生には、史実だけでなく史実の推定の根拠と方法を教えてほしいというのです。永井先生自身も、哲学者クワインの名を引きながら、「科学は神話」だと知って安心したそうです。自分が長年抱えていた問いや、もやもやした気持ちは、哲学者たちが向き合ってきた疑問に通じている――。お二人の著書を通じて、こんな問いをもっていてもよかったんだと、ある種の安堵感を覚えました。
大学の専攻として選んだのは数学科。たとえば、仮説と法則をわけ隔てる境界条件が一義的には決定できない科学に対して、数学であれば定義や公式が自明で扱いやすいと考えたからです。その後、若者らしい紆余曲折があって、ウィトゲンシュタインの哲学と出会いました。出会ったというよりは、出会い直しました。なぜかというと、野矢先生、永井先生の哲学的背景には、ウィトゲンシュタインがいたからです。ですが、最初は、ウィトゲンシュタインが自分にとって大きな意味を持つ哲学者だとは気づきませんでした。紆余曲折のあとに、やっと気づけたわけです。ウィトゲンシュタインは言語ゲームという概念を生み出した、20世紀を代表する哲学者の一人です。ウィトゲンシュタインの見たものを自分も見たい、そんな思いに突き動かされ、いまに至っているように思います。

哲学は脳の「ズレ」を補正してくれるもの
そもそも哲学がなぜ必要なのか。その根本理由は、僕らの脳が「ズレている」からだと考えています。人間の脳は器質的には7万年くらい前からほぼ同じ。それなのに日々情報は増えていく一方。僕らが覚えたいことをいちいちメモするのは、日々の生活や行動が脳のキャパシティーを超えてしまっているからなんです。人間の脳が文明の進化のスピードに追いつけていない。
人間の脳はバグだらけ。認知バイアスは必ず生まれるもので、たとえば同じ事象が3回起きたら一般化してしまう。「自分の周りはみんな○○だ」とか「君はいつも○○している」と一般化してしまうのは、だいたい3回その○○が起こったときだそうです。こうした脳の特性を考えると、脳が混乱して悩んでしまうのは当たりまえだといえるでしょう。
こうしたズレを補正するために生まれたのが哲学です。哲学が古代ギリシャで誕生し、発展したのも、民主主義社会では合意形成に向けた意見のすり合わせが必要だったから。そうなると、「正義」一つとっても統一的な見解が必要で、解釈のズレを直すことが求められる。哲学史に名を残してきた哲学者たちは、ズレの補正に長けている人たちだといえます。だから哲学は、僕らが心と思考を整えて生きていくために、必然的に生まれたものだととらえています。
哲学は「心と思考を整える」ために必要なもの
僕は「人間は愚かであり、いじらしい存在である」という人間観をもっています。だから愚かさを完全に排除しようとするより、邪悪なものに対処して生き延びる方法や、心が折れそうな状況でも回復できるレジリエンスの育て方を教えるほうが大事ではないかと思うのです。なかには「訓練すれば理性的に対処できる」という人もいます。ですが、『ケーキの切れない非行少年たち』を読めば、現実には誰もがそうできるわけではないとわかるはず。理性で判断できない人がいることを、どう包摂していくのか。最近はこんな課題意識をもつようになりました。
こんな僕の人間観に影響を与えた本は、心理学者・岸田秀さんの『ものぐさ精神分析』です。人間が他の動物と一線を画している点は、本能が壊れていること。20代半ばでこの本を読み、人間が文明や文化、宗教を創造していったのは、自分たちが進化の流れからはぐれてしまったからだと気づきました。そんな「はぐれ者」のためにあるのが哲学なのだと。哲学を学ぶことで、はぐれてしまってもまた戻ってこられると思えるようになる。つまり、哲学は「心と思考を整える」ために必要なもの。そんなふうに哲学の定義を言語化できたことで、前より少しは自信をもって「哲学をやっています」といえるようになったかなと思います。


難しい本と読み手の「あいだ」に立ちたい
僕がやっていきたいのは、難しい本と読者との「あいだ」に立つこと。たとえば言語ゲームについて、いきなりウィトゲンシュタインの著書を読んで理解するのは敷居が高いかもしれない。だから、名著の「第0章」を書くような気持ちで、読者がその本を理解する入り口をつくりたい。知的な遺産と人をつなぐことは教育や啓蒙の役割ともいえますが、自著『世界は贈与でできている』で書いたメッセンジャー的な存在になれたらと思っています。
ではどんなふうに「あいだ」をつないでいけばいいのか。その語りかけ方を教わったのが、小松左京さんや星新一さんのSFでした。星新一さんは、SFの意義とは「根源的問いかけの日常化」だと語っています。SFというエンターテインメントを通じてなら、根源的な問いを人々にメッセージとして伝えられるということです。たとえば小松左京さんの代表作『復活の日』は、軍事用に開発されたウイルスの蔓延により、南極以外の地にいるすべての人類が死に至るさまを描いた物語です。これも、災厄への備えの重要性をエンターテインメントとして描くことで、読者が抵抗なく受け取れるようにしているのです。


先ほど難しい本と読者をつなぎたいと語りましたが、flier book laboはまさにその実践の場でもあります。本を介在すると、講師と生徒といった上下関係は生まれず、その本の偉大さに対して横並びでいられるんです。本を読むと、いかに自分が知らない世界が広がっているかがわかる。だから謙虚になれるし、マウンティングは起こりにくくなります。「この本いいよね」と、推し本について同じ目線で語り合える機会を大事にしながら、僕自身も色々なかたちで「あいだ」をつなぐ役割を果たしていけたらと思います。
編集後記
近内さんはflier book laboで「世界と出会い直す哲学」という音声コンテンツを届けてくださっています。今回は、近内さんが哲学の道へ進むことにつながった本についてお聞きするなかで、哲学を学ぶ意味、近内さんの人間観についてもふれることができました。心と思考を整えていくためにも、哲学の本にいまからでもじっくりふれていきたい。そんな思いが強まる貴重な機会でした。
近内さんがゲストスピーカーを務めたLIVEのインタビュー記事はこちら!


近内悠太 (ちかうち ゆうた)
1985年生まれ。教育者・哲学研究者で、リベラルアーツを主軸にした統合型学習塾「知窓学舎」講師。専門はウィトゲンシュタイン哲学。
デビュー著書は『世界は贈与でできている:資本主義の「すきま」を埋める倫理学』(第29回山本七平賞 奨励賞、紀伊國屋じんぶん大賞2021 第5位/2020年3月13日発売)。