歴史的名著をベストセラーとして蘇らせた漫画家
『漫画 君たちはどう生きるか』のこだわりとは?

「自分の生き方を決定できるのは、自分だけだ――」。
人間としてあるべき姿を追い続けるコペル君とおじさんの交流を描いた名作、『君たちはどう生きるか』。
出版から80年の時を経て、初の漫画版『漫画 君たちはどう生きるか』が発売されました。この作品は2017年9月時点で10万部を突破しています。
今回は漫画版作者の羽賀翔一さんに、制作の中でこだわった点や舞台裏についてお聞きしました。
原著から感じた、吉野源三郎さんと同じ「表現したいこと」


── 漫画化にあたり、『君たちはどう生きるか』の原著を最初に読んだときの感想を教えてください。
この作品は漫画化の依頼をいただいてから読みました。
勇気、いじめ、人との絆、貧困、格差といった壮大なテーマを扱っているのに、起きているのは日常の些細な出来事ばかり。例えば、主人公のコペル君がふとミルク缶を手にとったことから、「この缶はどんなプロセスをたどってここに届いたんだろう」と思いをめぐらすシーンがあります。こうした日常の一コマを通じて、人間の想いや本質的なものを丁寧に描き出した物語なのだと感じました。
当初は「原作つきで描けるのだろうか」という不安もあったのですが、読み終えてその不安は解消されました。これは僕が週刊モーニングで連載していた『ケシゴムライフ』で表したかったことに非常に近いと感じたのです。
『ケシゴムライフ』で描いた、「ケシゴムを貸す」という小さな出来事が誰かにとっては大事な記憶であり続ける――そんな想像をめぐらすのが好きですし、吉野源三郎さんもそれに近い感性をもっているのではないか。これなら漫画化できるかもしれない、と思ったんです。

── 原著の世界観を漫画で伝えるために、工夫したポイントはありますか。
原著が扱うテーマは、勇気、いじめ、貧困といった直球で哲学的なテーマ。だからこそ、それを小さな演出や表情の見せ方などで工夫を積み重ねていかないと、上滑りしてしまってリアリティが出ない。漫画版の設定は何度も練り直しましたね。
例えば、コペル君の友人である浦川くんの家が貧乏なことをどう伝えるか。原著のような何行にもわたる記述は、漫画にはそぐわない。そこで、浦川くんが授業のノートに小さな文字を詰めて書いているのをコペル君が知るというワンシーンを加えることにしたんです。
── そこからあのシーンが生まれたんですね。

40の悲しみと50の悲しみを描き分ける、感情のグラデーション
── 羽賀さんが表現において、こだわったところはどんなところでしょうか。
一つは、キャラクターそれぞれの感情を細やかに読み取り、表情をいかに描き分けるかという点です。例えば、100を感情の上限として目盛りを刻んでいくと、40の悲しみと50の悲しみは微妙に違うもの。その些細な違いを表情で描き出したいと思いました。
物語のなかで、コペル君は違う種類の涙を流すことになります。この二種類の涙をどう表現するのか。文章なら一文ですむところも、絵にするときにそれが違う涙であることを読んでいる人が感じるようにしなければならない。単に涙が頬をつたっているだけに見えてしまったら、伝わらない。そこで、コペル君をはじめ、登場人物の感情のグラデーションが読者に伝わるよう、表情のニュアンスには特に注意しましたね。

── 「羽賀さんの漫画はシンプルなのに、絵が映像で残る」という感想を寄せていた読者がいましたが、その理由がわかりました。
もう一つこだわったのは、おじさんの書きためていたノートを再現したページ。見開きの左右下に配置したコペル君の指の形を、ページごとに少しずつ変化をつけているんです。コペル君はこんな気持ちで読んでいるんじゃないか――それを読者が追体験しやすくなるように工夫しました。

── こんなところにまでこだわっていたなんて……指にも注意して読み返してみます!
漫画ではキャラクター設定が、その作品に共感できるかどうかを大きく左右すると思うのですが、こんな工夫を凝らしたというのはありますか。
原著のファンは挿絵に愛着がある方も多いと思うので、特徴はそのままに、その一方で漫画のキャラクターとしても面白いものにするよう、バランスをととのえました。
強く意識したのは、例えば、おじさんの優しさがにじみ出るようにしよう、というところ。コペル君に託すメッセージが重い内容なだけに、それが説教じみて聞こえると、魅力が半減してしまう。それを避けるために、コペル君だけでなくおじさん自身が成長していく軌跡も描くことにしたんです。

漫画化にあたり、キャラクター設定を考えていた当初、おじさんを見ず知らずの、偶然出会った人という設定にする案もありました。ですが、おじさんがコペル君の叔父であり、コペル君のお父さんがすでに亡くなっているという設定は、このお話にとって欠かせないもの。
おじさんはコペル君の父親からの「立派な大人になってほしい」という遺志を受け継ぎ、そのバトンをコペル君に渡す大事な存在なので、やはり血縁関係にあるという設定は変えないほうがいいなと。
実は僕自身が母子家庭で育ってきたこともあって、人生で色々な大人がメンターになってくれたんです。そのため、コペル君とおじさんという、父親の不在を誰かが埋めてくれるような関係性に共感しやすかったですし、思い入れもあったのでしょうね。
漫画は一人ではなく、「人とのつながり」の中でつくられるもの
── 作品を磨き上げていくうえで印象に残っていることはありますか。
漫画を描くというと、漫画家が黙々と机に向かい、一度で書き上げるというイメージを持つ方もいるかもしれません。僕も『ケシゴムライフ』を書くときはそんな意識が強かった。ですが、この作品は、クリエイターのエージェントであるコルクの担当編集者、柿内芳文さんや佐渡島庸平さんなど、多くの方々からのフィードバックによって磨かれていきました。

あとは、『君たちはどう生きるか』の漫画と並行して書いていた『ダムの日(※1)』にも影響を受けています。ダムの現場で働いている方々に取材に協力いただいたんです。「この現場も見ていきなよ」と連れていってもらったり、飲み会にご一緒させてもらったりして、「こんな大人になりたい」という方々に出会う日々でした。
(※1)単行本では『昼間のパパは光ってる』というタイトルで発刊されている。
実は、今回の漫画化のきっかけは、講談社の名物編集者として知られていた原田隆さんが、『ケシゴムライフ』を読んで「羽賀さんなら描ける」と依頼をくださったことだったんです。原田さんは昨年急逝されてしまって、完成した作品を直接手渡せなかったことが心残りなのですが、この出会いがなければ『漫画 君たちはどう生きるか』という作品は生まれてこなかったでしょう。
やはり漫画は一人ではなく、人とのつながりの中でつくられるものなんだと実感しました。編集者や取材対象者、応援してくれる方の力を借りてはじめてできあがるのだと。
また、登場人物の感情一つとっても、一度描いて完全に理解できるわけではありません。人と話して、何度も描き直すことで、その本質に到達できることもある。
『漫画 君たちはどう生きるか』の制作は、描くことへの姿勢についても、これまでの気づきを昇華させる機会になったんじゃないかと思っています。
この漫画は単なる原著の入門編ではなく、何年も、何十年も読み継がれていくような作品にしたかった。読者が読むたびに新しい発見があるような作品にするためには、自分の面白いと感じるものを軸にしながらも、人の意見を取り入れていったほうが実現しやすいと考えたんです。
── 最後に、今後こんな漫画を描いていきたいという構想を教えてください。
僕にとって「家族」というのは大事なテーマ。ですが、まだ父親という存在について自分の中で「これ」というものをつかめていないのが正直なところ。いつか「父親ってこういうものなんだ」というものが腑に落ちた状態になったとき、それを描き切りたいと考えています。
描く中で自分も成長しながら、読んだ人も楽しませていく。そんな漫画を描いていきたいですね。
── 次回作も楽しみにしています。貴重なお話をありがとうございました!



プロフィール
羽賀 翔一(はが しょういち)
茨城県出身のマンガ家。2010年、大学ノートに描いた『インチキ君』で第27回MANGA OPEN奨励賞受賞。2011年に「ケシゴムライフ」をモーニングで短期集中連載し、2014年には単行本が発売される。
現在、PRESIDENT NEXTで『ダムの日』を、カフェ マメヒコ発行のM-Hicoでは、トークイベントと連動した作品を連載中。また、面白法人カヤックの社内エピソード「ならべカヤック」「追いぬきルーキー」やクリエイターのエージェント会社・コルクを舞台にした1ページマンガ「今日のコルク」を執筆する。
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