【インタビュー】
『嫌われる勇気』著者は、「生き方を変える本」とどう出会ってきたのか
岸見一郎さんが語る「幸せになる読書論」とは?

240万部突破の大ベストセラー『嫌われる勇気』などの著作をもち、アドラー心理学の権威である岸見一郎さん。「読書」と「生きること」をテーマに掘り下げた初の読書論を執筆されました。それが『本をどう読むか』(ポプラ社)です。
本書を通じて、岸見さんはどんなメッセージを読者に投げかけているのでしょうか。岸見さんの「生き方を変える本」、そして自分にとって読むべき本を選ぶ「選択眼」を磨く方法についてお聞きしました。
読書には、人を救い幸福にする力がある
── 著書『本をどう読むか』のなかで、岸見さんが一番伝えたかったメッセージは何ですか。
この本の帯に書かれている「読書には、人を救い幸福にする力がある」という言葉に尽きます。読書を通じて、いま生きている世界とは違う世界があることを知ることができるからです。たとえ現実がどれほど厳しいものであっても、本の世界に浸っているときは安心感を持つことができます。これは決して逃避ではありません。そんな喜びを読書に見出せる人は幸福であると私は考えています。
たとえ日々の対人関係で誰にも理解されないとしても、本の著者は、少なくともあなたの仲間なのです。もちろん、その著者と直接会っているわけではありませんが、何かしら共鳴するところがあれば、その著者は自分の理解者だととらえることができます。そういう読書をする人が増えるようにと願って、『本をどう読むか』を執筆しました。

外国語を学ぶと「不完全である勇気」をもてるようになる
── 岸見さんはプラトンやアドラーの著作を翻訳されていますが、外国語学習の効用についても本書で書いておられましたね。
読書というのは、何か資格をとるためなどと、目的ありきでなくてもいいわけです。「ただ読んでいる時間が楽しい」という読書があってもいいし、新しいことを知る喜びを味わえます。
その顕著な例が、書物を通じた外国語学習です。私は60歳になって韓国語を学び始めました。非常に聡明な韓国人の先生について勉強しています。韓国の作家キム・ヨンスの『青春の文章+』というエッセイを読みましたが、いつも本を読みながら先生と議論をするので、読み終えるのに2年以上かかりました。
欧米の言語は若い頃からずっと勉強してきましたが、韓国語を学ぶのは初めてだったので、最初は初歩的なミスばかりしていました。学びはじめの頃は間違えて当然なのに、そんな自分を認めるのはなかなか難しいことがあります。けれども、外国語を学ぶと、不完全な自分を受け入れられるようになっていく。つまり「不完全である勇気」をもてるようになるのです。
年をとると、人から間違いを指摘される機会も減ってしまう。だからこそ、自ら新しいことを学んでみることが、いっそう大事になると考えています。

8年かけて読んだプラトンの著作がアドラー研究の土台にもなった
── 岸見さんはプラトンやアドラーの著作を翻訳する際に、著者と対話をしているとありました。「この本との対話は最高の読書体験だった」という本を教えていただけますか。
プラトンが最晩年に書いた未完の対話篇、『法律』です。プラトン哲学の集大成といえます。私は大学時代、ある医大の先生が主催していた読書会に参加し、『法律』を8年かけて読みました。1回あたり読み進めるのは3ページ。ギリシア語ですので、それを読み解くには多くの注釈書や翻訳を参照する必要があり、予習のためにかなりの時間がかかりました。
プラトン哲学からの大きな学びは私には2つあります。1つは「目的論」です。善(幸福)を願わない人はいないとプラトンは考えています。ただし、幸福という目的を達成するときの手段の選択を誤ります。私がのちに学ぶことになったアドラーもこの目的論に立ちます。
2つ目は「イデア論」です。プラトンは、この世のいかなるものも完全ではないと説いています。この世のものを誤って絶対化することから人間の誤りが起こります。
このようなことをプラトンの書いた対話篇を読んで学んだとき、それまでの私の生き方が変わらないわけにはいきませんでした。本を読むことは人生を変えるのです。

2000年以上の時を越えて、『自省録』が教えてくれたこと
── 著書の中の「広い意味での哲学の本は、自分の生き方を吟味することを迫り、それまでの生き方を変える力があります」という一節に、胸を打たれました。岸見さんにとって、「それまでの生き方を変える力があった本」は何でしたか。
多数ありますが、1冊挙げるとしたら、ローマ五賢帝の一人、マルクス・アウレリウスが書いた『自省録』です。私が大学院生になったばかりの25歳のとき、母親が脳梗塞で倒れました。夜中の12時から夕方18時まで、病床にあった母の付き添いをし、夕方父親に看病をかわってもらう間に眠る。看護の合間に、研究に遅れてしまわないかと心配しながらギリシア語の本を読む。そんな生活でした。
そんな折に『自省録』を読んで、ハッとさせられたのが、「お前自身には成し遂げ難いことがあるとしても、それが人間に不可能なことだと考えてはならない」という言葉です。母を看護することはつらかったです。「お前」というのは、アウレリウスの自分に対する呼びかけですが、私はアウレリウスから次のように呼びかけられた気がしました。
「親が病床で弱っていくのを見ているのは耐えられないと思うかもしれない。たしかに苦しいことだけれども、親を亡くした子どもはお前だけではない。人類はすでに何度も乗り越えてきているのだから、お前だって乗り越えられるのだ」。
2000年以上前にローマの地に生きたアントニウスが、まるで時空を超えて語りかけてくるようでした。この本が力となり、母の看病をし終えることができたと思っています。

読み手の成熟がなければ、名著を名著として感じ取ることはできない
── 自分にとって読むべき本、その言葉や思想が心に深く刻まれるような本を選ぶ「選択眼」は、どのようにして養われるのでしょうか。
「この本、つまらなかったな」という本に何度も出くわしながら、自分で本を選ぶ経験を積むことでしょう。そのなかで、本を選ぶ力がおのずと磨かれていきます。人の薦められた本を読むのもいいですが、それに頼らないほうがいいかもしれません。
自力で、あるいは偶然見出した作家の書いたものを読み尽くすこともあります。伊坂幸太郎の小説はたくさん読みました。私が知ったときには大作家で、それまで知らなかったことを悔いました。伊坂さんは、『嫌われる勇気』が出る前から私の著作を通じて、アドラー心理学に興味をもっておられました。
『PK』という小説では、参考文献の一冊目に私の著作を挙げられていました。「勇気も臆病も伝染する」というアドラーの言葉が引用されています。アドラーは勇気と臆病を並べ、どちらも伝染すると書いているだけですが、この小説では最初に臆病が伝染するという話があり、後になって勇気も伝染する話が出てきます。秀逸な読み方だと思いました。

── 偶然にすてきな本と出会うことがあるのですね。
本との出会いは偶然が多いように感じられますが、振り返ると、何か一本の線が貫いていることがよくあります。この偶然を必然にできるかどうかは、読み手次第です。
高校の倫理社会の先生は、熱心に哲学について語ってくれる方でした。その授業を聞いていた生徒は当然私だけではありませんが、先生から影響を受けた生徒は多くありませんでした。これは読書にもあてはまります。いくら名著と評される本でも、読み手側の成熟がなければ、そこから何も学ぶことはできません。
本の読み方を見れば、その人の生き方がわかります。常に名著リストにばかり頼って読書をしている人は、自分で決めるのが苦手な人でしょう。また、自分にとって良い本を見つける人は、本選びに限らず、人生のどの局面も自力で切り拓いていける人だといえます。
韓国と日本の架け橋になりたい
── 今後執筆を予定されているテーマを教えてください。
現在、韓国映画の登場人物と私が対話をするという設定の本を書いています。韓国の出版社から出します。私の韓国語の先生の影響で韓国映画を観るようになったことから生まれた企画です。この本を出すことで、韓国と日本の架け橋になれれば嬉しいです。
もう一つ取り組んでいるのは、もう数年来手がけているのですが、私自身の考えを言語化していくことです。どんな風になるかはまだ見えていないのですが。

岸見 一郎
哲学者。1956年京都府生まれ。日本アドラー心理学会認定カウンセラー・顧問。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。専門の哲学と並行して、1989年からアドラー心理学を研究。精力的に執筆・講演活動を行っている。著書に『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(ともに共著 ダイヤモンド社)、『アドラー心理学入門』(ベスト新書)、『生きづらさからの脱却』(筑摩選書)、『人生を変える勇気』(中公新書ラクレ)、『幸福の哲学』(講談社現代新書)、『愛とためらいの哲学』(PHP新書)、『成功ではなく、幸福について語ろう』(幻冬舎)、『プラトン ソクラテスの弁明』 (角川選書)など多数。