【ビジネス書グランプリ リベラルアーツ部門賞受賞!】
「認知症のある人」の世界に迷い込んだとしたら? ベストセラーの舞台裏
「生きづらさ」の課題解決はデザイナーの仕事

2025年には後期高齢者の人口が約2,200万人にのぼり、国民の4人に1人が75歳以上になることが見込まれています。それに伴い、認知症のある方が増えることが予想され、認知症はより身近な社会課題になっていくといえます。
認知症のある方が経験する出来事を、旅のスケッチと旅行記の形式にまとめ、誰でも楽しみながら学ぶことができる――。そんな画期的な本、『認知症世界の歩き方』(ライツ社)が大きな反響を呼び、読者が選ぶビジネス書グランプリ2022 リベラルアーツ部門を受賞しました。
著者は、「ソーシャルデザイン」の第一人者であり、NPO法人issue+design代表理事を務める筧裕介さん。本書を執筆した背景にはどんな課題意識があったのでしょうか?
「本人の視点」で認知症世界を体験できる本をめざした
── 読者が選ぶビジネス書グランプリ2022 リベラルアーツ部門の受賞、おめでとうございます! 受賞の感想を教えていただけますか。
大変光栄です。認知症に関する知識が日本人にとっての教養、リベラルアーツというべき知となるよう、今後も精進していきたいと思いでいっぱいです。
── 本書は、認知症のある方、その予備軍とされる方、認知症のある方のご家族、介護・医療に携わる方など、さまざまな読者の方々に読まれています。大きく支持されている理由は何だとお考えですか。
認知症のある方本人の視点にこだわり抜いたこと、お子さんからご高齢の方まで、多様な方に理解していただけるようなわかりやすいデザインが評価していただけたのではと思っています。
── 筧さんが『認知症世界の歩き方』を執筆されたきっかけは何でしたか。
もともと、医療やまちづくりなどの社会課題をデザインの力で解決しようとissue+designというデザインチームで活動しており、認知症にも関心を抱いていました。2018年から認知症未来共創ハブという団体に創立メンバーとして参加し、「認知症とともによりよく生きる未来」をつくるために、何ができるかを考えてきました。
認知症は身近な社会課題になりつつありますが、そもそも認知症のある方が普段どういった困りごとを抱えているのかはあまり知られていません。また、そうしたことを「ご本人」の視点から紹介した情報や研究成果が、日本でも海外でも見当たらないことに気づきました。
そこでまずは認知症のある方の声を届けようと、ご本人へのインタビューを行い、現在まで100名に及びます。リサーチを重ねるなかで見えてきた「困りごと」を、「記憶のトラブル」「五感のトラブル」「時間・空間のトラブル」「注意・手続きのトラブル」という4つの領域・44種類に分類し、イラストとともに構造化、可視化していきました。

── 当事者の世界の見え方を旅行記にし、その助けとなる知恵やツールを旅のガイドとされています。こういった工夫はどのようにして思いついたのですか。
最初はご本人の体験記やケーススタディとしてまとめようと思っていました。ですが、認知症について興味をもっていない人にも届けるにはもっと工夫がいるのではないか、と考えました。いろいろな方との対話を経てたどり着いたのが、認知症のある方が経験する出来事や見える景色を「認知症世界」という仮想世界に展開し、そこを旅する人の「旅のスケッチ」と「旅行記」にまとめるという形式でした。
乗るとだんだん記憶をなくす「ミステリーバス」や、入浴するたび変わるお湯「七変化温泉」。こうした13のストーリーを読み進めると、認知症のある方の世界の見え方を体験することができます。その集大成が『認知症世界の歩き方』であり、ライツ社さんの協力のもと書籍化の運びとなりました。


「わかってもらえない」を減らしたい
── この本を通して特に伝えたかったメッセージを改めて教えていただけますか。
認知症について「ご本人の視点」からフラットに理解していただきたいという思いがあります。たとえば「入浴をいやがる」という状況一つとっても、その人の心身の状態や生活習慣、環境によって、なぜ嫌なのか、何を大変と感じているかは異なります。困りごとの背景にある理由がもっと知られるようになれば、ご本人も、その家族や介護者も、お互いの「わかってもらえない」「わからない」というすれ違いを減らしていけるはず。そして、「生きづらさ」の課題解決はデザイナーの仕事でもあると考えているんです。
よく「ご本人が認知症であることを自覚していない」という声を聞きますが、実際には、ご本人は自覚していることが多いようです。問題は、それを認めさせない周囲の環境にあるのだと思います。認知症だと認めたら、それは社会から「何もできない人になってしまった」というレッテルを貼られてしまうのではないか。そんな不安が、ご本人が「認知症であること」を認めることを阻害しているのです。そんな思いをさせてしまう状況も、認知症について正しく理解して受け入れる方が増えてくれば、変わってくるように思います。
正しい理解につなげていくためには、書籍だけでは限界があると考え、「認知症世界の歩き方カレッジ」という新しい取り組みをはじめました。クイズ形式で自分の知識習得レベルを確認できる「認知症世界の歩き方検定」、オンラインのゲームを通じて体験する「認知症世界の歩き方ダイアログ」、そして仲間との対面での対話を通じて学ぶ「認知症世界の歩き方Play!」の3つです。認知症に関心のあるすべての方が対象で、そのほか認知症フレンドリーな商品・サービスの事業開発や改善に取り組む企業向けの研修、認知症フレンドリーなまちづくりに関わる自治体向けの研修も始まっています。
── 筧さんは「認知症未来共創ハブ」だけでなく、震災ボランティア支援の「できますゼッケン」、育児支援の「親子健康手帳」、持続可能な地域づくりシミュレーションゲーム「SDGs de 地方創生」など、デザインによる社会課題の解決に携わってきています。こうしたテーマに関わり続けている原動力はどのようなものでしょうか。
シンプルにいうと「面白いから」という言葉に尽きますね。経済が右肩上がりで成長していた頃は、世の中の課題に対するソリューションや正解がはっきりしていました。でも現代のように成熟した時代では、正解がないケースや正解があってもその実現が非常に難しいケースが増えていく一方です。とりわけ社会課題の領域では、複雑でどこから手をつけたらいいかがわからない問題がたくさんあります。
たとえば「認知症の人が抱えている課題」を大多数の人に正しく伝えることも、多大な予算をかければすぐに可能かもしれない。でも、そこまでお金をかけられない状況では、「認知症ってそうなんだ」と知っていくプロセスに面白さを感じてもらう工夫が必要です。
そこに僕たちのようなデザイナーが必要とされる場面が増えてきています。実際に本書を読んだ方から「家族との向き合い方が変わった」というような声を聞いたときに、やりがいを感じますね。もちろんこれは、社会課題の現場に近い人たちが僕らを必要としてくれていて、そうした人たちとの関係性があってはじめて可能なことです。
デザインプロセスの核、「イシュー」の大切さを説いた本
── これまで読まれてきた本の中で、ご自身の価値観やデザインの仕事に影響を与えた本は何でしたか。
色々とありますが一つは『イシューからはじめよ』です。青山ブックセンターでフェアの選書を依頼されたときも、“僕なりの「デザインプロセス」を体現した7冊の1冊”としてとりあげました。この本は、問題を解く前に、本当にそれが解くべき問題であるか、イシューであるかを見極める重要性を説いた本です。
僕自身もプロジェクトのなかで「イシューが大切」と常に仲間に伝えています。それを、著者の安宅和人さんがわかりやすく体系的に整理しています。自分の考えを的確に提示してくれた本ですね。


最近だと、自分の思考に影響を与えた本として思い浮かぶのが、『新版 動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか』。分子生物学者の福岡伸一さんが「生命とは何か」という謎に迫った作品です。
僕は前著『持続可能な地域のつくり方』で、SDGs(持続可能な開発目標)の考え方をベースに、地域の生態系をしなやかに再生していくための地方創生の方法を書きました。その際に実感したのが、地域の課題は住民、行政、企業などいろいろな主体が密接に結びついた「生命体」であるという点でした。この本は、生命体を構成する要素同士のバランスがとれていることがソーシャルデザインにおいても重要だと気づかせてくれた最初の一冊です。
こういった本から興味がいろいろな領域に広がっていますが、次に挑戦していきたいテーマは、「気候危機」の領域です。社会課題のなかでもスケールが大きい課題ですし、「こうすればよい」という解が提示されておらず、日本人全体が「自分事」にできていない課題です。この1、2年で探究してきたことをもとに、気候危機のテーマについて多くの方に興味をもってもらえるよう、書籍などのアウトプットを出していきたいですね。


筧裕介(かけい ゆうすけ)
issue+design 代表、慶應義塾大学大学院健康マネジメント研究科特任教授。1975
年生まれ。一橋大学社会学部卒業。東京工業大学大学院修了。東京大学大学院工学系研究科修了(工学博士)。2008年ソーシャルデザインプロジェクトissue+design を設立。以降、社会課題解決のためのデザイン領域の研究、実践に取り組む。日本計画行政学会・学会奨励賞、グッドデザイン賞BEST100、竹尾デザイン賞、カンヌライオンズ(仏)、D&AD(英)、他受賞多数。著書に『持続可能な地域のつくり方』『ソーシャルデザイン実践ガイド』『人口減少×デザイン』(単著)、『地域を変えるデザイン』『震災のためにデザインは何が可能か』(共著・監修)など
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