
『泣いた赤おに』から学んだ「嫌われても使命を果たす覚悟」
「冷たい社会を優しい社会に変える」。10歳でそう決意し、48歳で明石市長になった泉房穂さん。明石市独自の子ども施策「5つの無料化」やインクルーシブ条例など、誰ひとり見捨てない社会に向けた施策を次々に実現し、市民から支持され全国から注目を浴びました。
23年4月末をもって明石市長の座を後任の丸谷聡子さんに譲り、新たな道を進んでいる泉さん。ご著書『社会の変え方』に込めたメッセージとともに、泉さんのリーダーシップ論、今後の構想をお聞きします。
ライター・松尾美里
── 2023年4月末で明石市長の任期を満了され、多くの子どもたちが見送りに来ていました。12年間を振り返り、いまのお気持ちをお聞かせください。
3期12年間をなんとか走り切ったなという気持ちです。10歳の頃に「冷たい社会を優しい社会に変えたい」と本気で思い、そのために命を捧げよう、人生をかけて使命を果たそうと思ってきました。そこから必死に勉強して、47歳で明石市長にたどり着き、12年間走り切って、自分がいなくても大丈夫な明石をつくってこられたと思っています。市長最後の日には市民が集まってきて花束をくれてありがたかったですね。その意味で充実感もあるし、ちょうど還暦を迎えて人生1周目が終わり、これから2周目がスタートするというわくわく感もあります。
市長にできることは大きく分けて3つ。大きな方向性を定めること、お金をつくること、そして人の意識を変えることなんですよ。
私が大事にしてきたのは 「子どもは未来」「誰ひとりとして排除しない」という方向性。みんながハッピーになるには、子どもを本気で応援する町づくりが必要になる。そして、支援の対象を絞り込んだり市民を分断したりせずに、誰ひとり置き去りにしない。こうしたことで生まれる「安心」が、市民のまちや行政への信頼につながると信じてきました。
この哲学をもって明石の市民のためにできること、特にゼロからイチをつくるところは、ほぼ達成できたと思っています。明石市の予算は2000億円規模ですが、増税なしに、子どものための予算を2010年度の125億円から21年度の297億円へと2.38倍に増やした。そして、次の市長がやりたいこともできるよう、財政上の余力もつくりました。自分とはまた違った観点をもった後任にたすきをつなげることができたと思っています。前例主義に常々NOを突きつけてきましたから、退任の最終日には、市職員に「私を忘れてください」と伝えました。

── 2023年1月に明石市の出版社であるライツ社さんから、『社会の変え方』を出版されたのは、どのような想いからでしょうか。
まず2016年に、明石市にライツ社ができたときは嬉しかったですね。出版というと東京に集中しているから。そして、執筆のオファーがくるんじゃないかと予想していたら、編集の方が「日本の政治をあきらめていた人」に向けて「社会の変え方」というテーマで書いてくれないかと、声をかけてくれました。
社会を変えるというと、起業やNPO法人の立ち上げ、ボランティアといった方法を選ぶ人が多いですが、政治という手段こそ、最短で社会を変えられる力がある。そんなライツ社さんの考えに共鳴しました。そこで、政治家をめざす人たちに希望をつなげるような思いで、私の生い立ちや明石市長としてやってきたことの軌跡を一冊にまとめました。4月の統一地方選挙前に出版したのも、ちょうどよいタイミングでしたね。この本を出してから、市民の声も「なんで市長をやめるの?」から、「おつかれさま」に変わっていきました。
「明石を最も憎み、最も愛した」とか「冷たい社会への復讐」とか、こんなにストレートに書いていいのかと思ったけれど、意外と大丈夫でした。実際、12年を経て、明石市民の政治との距離感は変わった。4月の市議選の投票率が12%も上がったのがその証拠。市民も投票行動を通じて生活を変えられるというリアリティを感じたのではないか。明石はこれまで政策の面で「全国初」として注目されてきたけれど、今回の選挙のような新しい動きも全国に注目されていってほしいですね。



── 泉さんは明石市のお金と組織の改革をおこない、適時・適材・適所の組織を築いてきました。『社会の変え方』には泉さんのリーダーシップのあり方が詰まっているようにも思います。泉さんはどのようにリーダーシップを発揮していったのでしょうか。
これまでリーダーシップに関する本は古典含めて相当読んできたので、リーダーがどうふるまうべきかのベースはありました。実践を重ねてきて自分なりに理解したのは、求められるリーダーシップは時代と状況によって違うということ。
平時は調整型リーダーが求められるけれど、変革期には方針転換の決断力が求められる。この変革期こそ自分の得意なリーダーシップを発揮できると考えました。市長をめざしたのは、ダイレクトに市民のための意思決定ができる権限をもてるというのが大きかった。特に私の得意分野はゼロイチの部分だから、大きな方針転換をはかり、戦略を具体化するところに焦点をあてました。
政治に関するリーダーシップ論でいうと、政治で求められるのは結果責任。つまり、いくら頑張っても失敗は許されないんですよ。政治とは、国民や市民の不安を解消し、幸せを届ける仕事。だから、目標の達成に向けて合理的な判断を積み重ねることが必要で、「一か八かのチャレンジ」なんてあり得ない。そういう意味では、明石市は全国初の政策を数多く打ち出してきたけれど、1つもこけていない。こけないように石橋を叩いて叩いて割れそうになるくらい、慎重に、周到に準備してきたんです。

── 具体的にどんな点を意識しましたか。
2種類あって、1つは他の国や市で成功した事例を明石に合うようにアレンジすること。2つめは現場に行って、市民のニーズを把握することです。常にアンテナを立てて、情報収集をし、時代を読んできました。
時代を読んでできた政策の一例は、2023年度から明石市独自に、児童手当を高校生世代まで拡充したこと。数年前からの構想でしたが、東京で追随する動きがあるだろうし、2、3年後には国が動くから財政面は問題ないと読んでいたんです。
凧揚げって風が吹かないと飛ばないですよね。それと同じように、政治もいかに風を読むかが大事。たとえば、LGBTQ+の政策も早くからやりたいと思っていました。2015年に渋谷区や世田谷区で同性パートナーシップが制度化され、明石でも始めるタイミングを見計らっていたんです。2019年秋に明石でもレインボーパレードが開催され、そのとき市民の手を振る様子を見て、「ついにタイミングが来た」と思いました。
やるからには当事者のニーズに沿った実効性のある制度にしたい。全国公募でLGBTQ+の第一人者たちを集めてアドバイザーに就任してもらい、彼らのやりたいことや課題意識を掘り下げていきました。すると、たくさんの不便が起きていることがわかった。異性同士で結婚して子どもを授かっていたAさんが、その後同性のBさんとパートナーになっても、Aさんの子どもとBさんの親子関係が認められなければ、保育園のお迎えで親として扱ってもらえないというのです。そこで、全国で初めて、パートナーと一緒に暮らす子どもも合わせて関係性を証明する「パートナーシップ・ファミリーシップ制度」を開始することになりました。
こんなふうに、明石で受け入れられるタイミングを読みながら、詳しい当事者たちの知恵を形にしていきました。

── 泉さんの人生観や価値観に大きな影響を与えた本はありますか。
子どもの頃に読んだ『泣いた赤おに』という児童文学です。人間と仲良くなりたいと願うのに、誰も遊びにきてくれず悲しんでいる赤鬼がいた。そこで友だちの青鬼はこんな作戦を立てた。「人間の村で暴れて悪役を演じる。そこで赤鬼が青鬼(自分)をこらしめれば、人間たちは赤鬼が優しい鬼だと理解してくれるだろう」と。作戦は成功したものの、青鬼は自分と赤鬼がいるとみんなに疑われてしまうから、と姿を消してしまった。
悲しいお話だけど、青鬼は自分の役割を果たしたのだと思います。私自身も、嫌われようが憎まれようが、みんなの幸せのために使命を果たすんだという気持ちでいたし、そこは青鬼の気持ちと重なっていると思います。

── 最後に、今後の構想をお聞かせください。
1つは、小学生から大学生向けの「こども政治塾」を開講すること。政治は根回しとかそういうイメージが広がっているけれど、本来は美しく、尊い仕事。社会をよくしたいという志をもつ子どもたちに、早くに政治の可能性を感じてほしい。そして、自分のふるさとを良くしたいと考える子どもを増やしたいという思いが強くあります。
私の父は兄3人を戦争で亡くし、小学校卒業後すぐに漁師になった人ですが、とても勉強家でした。本当はもっと勉強したかっただろう。好きな人生を歩めなかったから、私には「おまえのしたいことをさせてあげたい」といってくれたんです。私が「家でも宿題していいの? ありがとう」と父にいったら、「ありがとうという気持ちは、子どもに返してあげなさい」と。だから自分の子どもだけでなく次の世代を精一杯応援することが恩返しになるんじゃないかな。
2つめの構想は、児童虐待や貧困のなかにいる子どもたちに目配りしていくこと。これまで明石の子は自分の子と思って、親が見捨てても明石市は見捨てないぞという気持ちでやってきました。
今後は、日本全国の子は自分の子という気持ちで、弁護士の資格も活かしながら、一時保護されている子どもなど、困っている子たちのところに会いに行きたいですね。
少数派の人たちに光を当てながら、明石でできたことは他のまちでもできると発信していけたらと思っています。


泉房穂(いずみ ふさほ)
2023年4月末まで明石市長を務める
1963年 明石市二見町生まれ
1982年 県立明石西高校を卒業
同年 東京大学文科二類入学
1987年 東京大学教育学部卒業
同年 NHKディレクター
1997年 弁護士
2003年 衆議院議員
2007年 社会福祉士
2011年~2023年4月末 明石市長
「5つの無料化」に代表される子ども施策のほか、高齢、障害者福祉などに力を入れて取り組み、市の人口、出生数、税収、基金、地域経済などの好循環を実現。人口は10年連続増を達成。柔道3段、手話検定2級、明石タコ検定初代達人。Twitter:@izumi_akashi