要約の達人が選ぶ、今月のイチオシ! (2020年5月号)


ここ最近、どこにいっても話題は新型コロナウイルスのことばかりです。実務面でさまざまな弊害が発生しているのはもちろんのこと、精神面に影響をきたしている方も少なくないことが想像されます。この未曾有の災厄に、個人としてどう立ち向かえばいいのか。その答えの断片は、本を読む私たちの心の中に見いだせると信じて。2020年5月、編集部のイチオシをお届けいたします。



つい最近の「文明社会」を生きている私たちは、ペストが人類に与え続けてきた恐怖と教訓をすっかり忘れていた。
国境も人種も社会的地位も飛び越え、人類に対してある種「平等」な苦しみを突きつけた新型コロナウイルス。その災禍によっていま再び注目されているのが、1947年にフランスの小説家カミュが著した、『ペスト』である。
北アフリカの港湾都市オランを舞台に、文明社会からは20年以上駆逐されていたはずのペストが急激に流行し、その波が引いていくまでの1年間を描く。史実としては確認されておらず、このペストはナチスの隠喩であるとも言われている。
しかし、1つの感染症が伝播し、いかに社会の重い空気を醸成していくかを克明に綴った本作は、ほとんどドキュメンタリーといっても過言ではない。だから、いまの苦難を生きる私たちはこの本を対岸の火事とすることができない。
はじまりはネズミの死骸であった。しかも大量に。タチの悪いイタズラだと憤慨しながらその処理をした門番は、高熱とリンパ腺の異常を訴え、そのまま息を引き取る。感染症ではないと信じ込もうとした医師会、政治家。その間にも多くの市民が倒れ、回復することはなかった。
やがて、疫病に敏感に反応した外側からの圧力で、街は突然封鎖される。家の窓は固く閉ざされ、感染者やその家族は、ホテルなどの即席収容所に隔離された。孤立への不安を抱えながら、人びとはカフェで談笑し、映画館に集うことをやめなかった。
医師をはじめとした有志の保健隊は懸命に救助へと奔走したが、おさまらぬペストの猛威に徒労を感じていた。
しかしこの恐怖は、突如として終わりを告げる。はっきりとした治療の手応えもないままに。街には急速に明るさが戻る。人びとは人類の勝利を高らかに叫び、喜びに歌い、踊った。
一人の医師はそのさまを冷ややかに眺める。こうして恐怖を都合よく忘れてしまう「鈍さ」が、人間を強くするのだ、と皮肉のように独りごちながら。
私たちはまた忘却してしまうのだろうか。それとも、「苦しみ」を抱えながら歩みを進めるのだろうか。つねにその岐路に立たされていることを、ノンフィクションさながらのこの作品は眼前に突きつける。



コロナウイルス流行後、まちがいなく読む価値が増した一冊だと思います。
著者マルクス・ガブリエル氏は、200年以上の歴史を持つボン大学で、史上最年少の29歳という若さで正教授となった哲学者。NHK・Eテレ「欲望の時代の哲学」に出演したことでも話題になりました。
本書で扱うテーマは多岐にわたりますが、共通して言えるのは、この社会が「熟考」を必要としているということでしょう。市場経済の発展やインターネットの登場により、私たちのコミュニケーション速度はどんどん加速しています。その速度は、もはや民主主義そのものの歩みを振り切るほどに速い。
一般的には民主的なツールだと思われているインターネットは、じつのところ非常に非民主的な側面を持っており、私たちの実社会における価値観にも影響を及ぼし始めているとガブリエル氏は言います。あらゆる物事にはそれ相応の文脈があるのに、デジタルの世界ではそうしたアナログな情報が切り落とされている。その帰結がクソリプやフェイクニュース、そしてポピュリズムの増大というわけです。
民主主義というのはそもそも「遅い」仕組みであるというガブリエル氏の指摘は、インターネット世代の人間の一人として、かなり新鮮に響きました。これまで「個人が自由に意見を表明できる」のが、民主主義の根幹だと思っていたからです。けれども、クイックレスポンスが求められる環境で生まれる意見が、はたして本当に「自由」なものと言えるのか、僕らはもう一度目を向ける必要があるのかもしれません。
ガブリエル氏の唱える「新しい実在論」は、たしかな議論を必要とします。そこで求められるのは、「いま何を問うべきなのか」という根本的な問いです。問いが誤っていれば、正しい議論はそもそも生まれません。そして正しい問いを生み出すためには、ある程度の時間が必要なのです。社会のあり方が根本から見直されているいまだからこそ、ご一読ください。



「ドラえもんのひみつ道具のうち、好きなものをひとつだけ使えるとしたら?」「うちにドラえもんがいたら、どんな毎日になるだろう?」――誰しも幼いころ、こんなことを考えて胸をときめかせたはず。大量の宿題を前に「ドラえも~ん!」と叫び出したくなった日も、きっとありますよね。
それなのに私たちは、大人になるにつれ、あのときめきを忘れてしまいます。遠く思えた22世紀もあと80年もすればやってくるというのに、ドラえもんが実現すると期待している人はほとんどいないでしょう。
そんな大人たちを再びときめかせてくれるのが、本書です。著者は、気鋭のAI研究者。ドラえもんは目の前の人を幸せにする。一人ひとりが幸せになると、世界が変わる――そんな信念のもと、「ドラえもんをつくる」という夢に挑戦しています。
とりわけ興味深かったのは、ドラえもんづくりの第一歩は、ドラえもんを定義することにあるということ。ドラえもんは広く知られたキャラクターであるがゆえ、ドラえもんの定義は人それぞれ異なります。だからこそ、誰もがドラえもんだと認めるロボットをつくるには、定義づけが重要なのだそう。
著者は、ドラえもんをどう定義したのか? 研究の大きなヒントとなった、意外なキャラクターとは?……などなど、かつて子どもたちだった大人なら、誰もが楽しめる一冊です。



3年連続幸福度1位に輝いたフィンランド。2019年12月には、34歳の女性首相サンナ・マリンが誕生し、人々は女性党首・女性閣僚のほうが多いことを自然なものとして受け入れているという。性別や年齢にこだわらず、公平に能力を評価する国として、私のなかでフィンランドへの興味は募る一方だった。
著者によると、フィンランド人は、「仕事もプライベートも両方大切」という考えのもと、ほぼみんな午後4時に退勤するという。そして、家族との時間や身近な自然のなかでの余暇を楽しむそうだ。それでいて、一人あたりのGDPは日本よりも高い。なぜそんなことが可能なのだろうか?
本書を読み進めると、そこには本質的な「働き方改革」のヒントがちりばめられていた。印象的なのは、フィンランドの人々が、「仕事も含めて人生を充実させたい」という思いを起点に、働き方や時間の使い方を組み立てているということだ。職場でも、各自の希望をオープンに語り、それを認め合った働き方を模索できるような、寛容な空気があるという。正直なところ、そんなふうに模索する際は、既存の枠組みに沿って働くよりも、一人ひとりの自立や調整する力がいっそう問われるだろう。何より、希望する生き方を同僚に打ち明けるのは勇気がいる。けれども、希望を語ることは、誰もが納得感をもって働くためのカギになると感じた。
グレートカンパニーの条件をデータからあぶり出した『OPENNESS(オープネス)』(ダイヤモンド社)では、その条件の1つとして、職場の「風通しのよさ」が挙げられている。同様に、働く人が自己を開示し合える風土があれば、それぞれの希望に向けて、仕事を主体的に組み立てやすくなるはずだ。すぐに最適解にたどり着けなくても、自分らしい生き方を少しずつ設計するという発想があれば、仕事へのコミットメントも上がっていくのではないだろうか。そうした発想こそがフィンランドの幸福度の高さを下支えしているように感じる。
仕事も家庭も勉強も貪欲で、けれどもゆとりのあるフィンランド流の生き方。本書は、その具体的な像をイメージさせてくれる、まるで「ギフト」のような一冊である。そして、リモートワークが要請されるなど、生き方・働き方を見直す必要に迫られているいまこそ、他国の豊かさの秘訣から学べるものは多いのではないだろうか。