メディアの怪人 徳間康快

未読
メディアの怪人 徳間康快
メディアの怪人 徳間康快
著者
未読
メディアの怪人 徳間康快
著者
出版社
講談社
出版日
2016年06月20日
評点
総合
3.5
明瞭性
3.5
革新性
3.5
応用性
3.5
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おすすめポイント

「文化の仕掛け人」と呼ばれた徳間康快をご存じだろうか? プロデューサーとして、宮崎駿を育てあげ、株式会社スタジオジブリの初代社長に就任した男だ。そのほかにも徳間書店を興し、『アサヒ芸能』編集長として部下を育て、その後『東京タイムズ』の社長に就任した。倒産寸前の『大映』の再建を請け負ったこともある。さまざまな逸話を残した彼は、いい評判だけでなく悪い評判も転がっている。いったい彼はメディアの黒幕なのか? それともメディアの怪人なのか…。

本書は、徳間の葬式の場面からスタートする。最期に放った言葉は「オレはだまされた」だった。いったい彼は誰にだまされたというのだろうか? そしてそれを読み解くかのように、徳間の周りにいた人たちから得た証言をもとに、徳間のエピソードが紹介される。他者から描かれる彼の人物像は、たとえば「時流を読む才に富んでいた」「ケンカ上手であった」「突拍子もないことを考えた」などまさに豪快であり、それでいて少しチャーミングでもあった。破天荒に振る舞うが、一つの筋はきっちりと通しているから、誰もが彼についていきたくなってしまうのだろう。それ以外にも徳間は「心配するな。カネは銀行にいくらでもある」「人間的魅力さえあれば、あらゆる艱難辛苦は乗り越えられる」と豪語する。その発言から見える彼の哲学には強く惹かれるものがあるだろう。

ライター画像
名久井梨香

著者

佐高 信
1945年、山形県酒田市生まれ。高校教師、経済雑誌の編集者を経て評論家に。経済評論にとどまらず、憲法、教育など現代日本について辛口の評論活動を続ける。『週刊金曜日』編集委員。著書に『人間が幸福になれない日本の会社』(平凡社)、『安倍晋三と岸信介と公明党の罪』(河出書房新社)、『安倍政権10の大罪』(毎日新聞社)、『自民党と創価学会』(集英社)、『新装版 逆名利君』(講談社)、共著に『偽りの保守・安倍晋三の正体』(講談社)など多数。

本書の要点

  • 要点
    1
    「文化の仕掛け人」と呼ばれた故・徳間康快の人物像を、第三者の証言をもとに明らかにしていく。
  • 要点
    2
    徳間は多くの先輩や後輩に愛された男だった。徳間が無一文になるなど、困る度に救いの手があった。また反対に、徳間は経営難に陥った会社の再建を頼まれるなど、人に頼まれることも多い人生で、それが「徳間康快」という男を築きあげた。
  • 要点
    3
    徳間の、最期の言葉は「オレはだまされた」だった。一体誰にだまされたのだろうか?

要約

徳間康快という男

スーパー・プロデューサーだったワケとは
Digital Vision./Photodisc/Thinkstock

「出版、映画、新聞、音楽などあらゆるメディアでマスコミ界の三冠王、四冠王になりたいんだ」と目標を掲げていた徳間康快は、「文化の仕掛け人」として文化の井戸を掘り続けた。それも必ず水が出ると信じて掘ったのではなく、徒労に終わっても掘り続けなければ水は出ないと覚悟して、さまざまな井戸を掘っていたのである。

徳間書店を創業したり、雑誌『アサヒ芸能』の編集長を務めたり、新聞『東京タイムズ』の社長に就任したり、映画スタジオジブリの初代社長にも就任した。「心配するな。カネは銀行にいくらでもある」「借金取りは墓場までは来ない」と豪語した彼は、「これだ!」と思ったことには投資を惜しまなかった。それには金儲けではなく、収支はトントンになればいいという哲学があったからだろう。そんな徳間は、ある種の駆け込み寺的存在だった。「徳間なら相談に乗ってくれるのではないか、何かしてくれるのではないか」と、さまざまな企画が持ち込まれたのである。

徳間の人脈

「オレはだまされた」この言葉を最期に、徳間は2000年9月20日、肝不全のため享年78歳で亡くなった。亡くなったとき、渋谷区松濤にあった自宅には、読売新聞社長を務めた渡邉恒雄や西武鉄道グループのオーナーである堤義明、俳優の高倉健など、そうそうたる面々が集まっていた。他にも書籍『徳間康快追悼集』には、宮崎駿や日本テレビ会長の氏家齋一郎、東映会長の岡田茂、日本書籍出版協会名誉会長の服部敏幸などの弔辞が掲載されている。徳間は、いったい誰にだまされたというのだ?

初めての挫折

1921年に生まれた徳間は、逗子開成中学校から早稲田大学商学部に進学した。裕福な家庭ではなく、家計も苦しかったため、「横須賀日日」という地元の新聞でアルバイト記者をしていたという。その後1943年に読売新聞に入社。渡邉恒雄は後輩にあたる。しかし戦後の争議に巻き込まれてしまい、入社からたった数年で、徳間は読売新聞社を退社せざるをえなくなった。

その後、復社できることになっても、徳間は読売新聞には戻らなかった。「いまさら何だという感じもあったし、決心して新しい道を進みはじめた以上、そんなことで気持を変えるもんか、と自分に言い聞かせたんだよ」と徳間は語っている。そのため徳間にとってかつて在籍していた読売新聞は、愛憎ともに強い対象であったのだ。

波乱万丈な20代

救いの手を差し伸べてくれた先輩たち
ptrmc/iStock/Thinkstock

読売新聞社を退社後、失意のどん底にいた徳間を救ってくれたのは『民報』を創刊した国際ジャーナリストの松本重治だった。彼に見込まれて、27歳で『東京民報』の社会部長になったが、その新聞が左翼的だということでGHQに潰されてしまった。その後、また運よく徳間を救ってくれる人が現れた。学生時代からの友人のである、中野正剛の息子の中野達彦が社長を務める真善美社という出版社に、1948年専務として入社した。

しかし同年に同社は倒産し、再び徳間は無一文となる。

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要約公開日 2017.05.02
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