人生はゲームなのだろうか?

〈答えのなさそうな問題〉に答える哲学
未読
人生はゲームなのだろうか?
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〈答えのなさそうな問題〉に答える哲学
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人生はゲームなのだろうか?
出版社
定価
946円(税込)
出版日
2022年02月10日
評点
総合
3.7
明瞭性
4.0
革新性
3.5
応用性
3.5
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おすすめポイント

人生には楽しいことも苦しいこともある。楽しいと思っていたことが苦しくなったり、苦しいと思っていたことが楽しくなったりするのもよくある話だ。多くの人は、苦しいことばかりが続くと「なぜ私の人生には楽しいことが起こらないんだろう?」とあらゆることを試す。それでもうまくいかないと「私は人生というゲームの敗者だ」と落ち込んでは開き直って、自暴自棄な行動に出たりもする。

しかし、そもそも人生とはゲームなのだろうか? もしゲームだとしたら勝ち負けや、「あがり」とは何なのだろうか?

本書で著者は、「ゲーム」という、わかっているようで曖昧な概念を出発点に「哲学」する。それは高名な哲学者の思考をなぞることでも、抽象的な理論を組み立てることでもない。「人生」「料理」「宗教」「恋愛」とさまざまなものを「ゲームか?」と問うことで、ゲームという概念をどんどんクリアにしていく。その結果から、「さて、人生とはどのようなものか」を考えていく。

結論を言ってしまえば、「人生はゲームではない」。しかしこの結論にさしたる意味はない。なぜゲームではないのか、その理由が大事だ。

ゲームでないなら人生とは「何である」のか、あるいは「何ではない」のか。そのような疑問にひとつひとつ向き合うことこそ、「哲学する」ということであり、自分だけの人生を生き抜くための一歩である。この本は、それをともに歩んでくれる一冊だ。

ライター画像
ヨコヤマノボル

著者

平尾昌宏(ひらお まさひろ)
1965年、滋賀県生まれ。立命館大学大学院文学研究科博士課程満期退学。専門は哲学、倫理学。立命館大学、佛教大学、大阪産業大学、追手門学院大学などで非常勤講師を務めるかたわら、現在は邦訳スピノザ全集の計画に携わっている。著書に『哲学、する?』『愛とか正義とか』『哲学するための哲学入門』(いずれも萌書房)、『ふだんづかいの倫理学』(晶文社)。

本書の要点

  • 要点
    1
    「人生はゲームなのか?」という問いは、「人それぞれ」で終わらせるわけにはいかない。本当かどうかわからない、ふわふわしたものに振り回されるのは困るからだ。
  • 要点
    2
    「ゲームとは何か?」を考えると「人生はゲームではない」という結論になる。この結論に抱くモヤモヤを突き詰めていくと、より厳密な「ゲーム」と「人生」の要件がわかってくる。
  • 要点
    3
    人生のルールはどれも揺れ動いており、ゲームのルールのようにハッキリとしていない。これが、「人生は非常に掴まえづらい」理由である。

要約

人生は神ゲーか? 糞ゲーか?

答えを知りたいわけ

現実をゲーム化したものがこれだけ世の中にあると、「人生はゲームだ」と言いたくもなる。人生にはたしかに楽しいことがあり、困難を乗り越える素晴らしい経験もできる。その観点からすれば「人生は神ゲー」で、「ずっとやっていたい」ものになる。でも、「もしゲームだとすると、なんでこんなつらいゲームをやらなければならないのだ」と感じる人なら、「人生は糞ゲー」という見方をとるだろう。

一方で「人生はゲームではない」という考え方もある。だからまずは、「人生はゲームである」のか否かが問題となるのだ。

みんながそれぞれの人生を歩んでいるからこそ、この問いへの答えは人によって異なる。かと言って、「人生はゲームかどうか」という、本当かどうかわからないふわふわしたものに振り回されるのは困る。それに対してきちんと説明するのが本書の役割だ。

意見には前提がある
solarseven/gettyimages

人それぞれに答えはあるといっても、何でもありではない。理屈に合っていれば「まともな意見」になる。前提が変われば問題も、それに対する答えも変わる。たとえば、「人生はゲームと違ってリセットできない。だから人生はゲームじゃない」という意見には、「コンピュータゲーム」という前提が隠れている。スポーツやカジノはリセットできないゲームだ。

このように、ゲームに対する色々なイメージが正しいのかどうか、実は怪しい。だからまずは、「そもそもゲームとは何か」と、根本から考え直して前提を決めなければならないのだ。

要らないものと必要なもの

それでは、ゲームの本質、ゲームの概念について検討してみよう。「概念」は英語で「コンセプト」だが、これは「つかむ」という意味の動詞が語源だ。すなわち、「ゲームにとって何が大事なのかを取り出す」ことが、ここでやりたいことである。

そのためには、一部のゲームだけに当てはまるものは捨てて、「どんなゲームにも当てはまるような大事なもの」、つまり「ゲームが成り立つための必須の条件」を取り出すことが大切だ。

「リセット」や「勝ち負け」は全てのゲームに当てはまるものではない。ゲームの本質は、「プレイヤーが目指すべき終わり」と、「プレイヤーにできること、できないこと」の2つが定められている人間の活動だ、と言えそうだ。

これらの要件を当てはめると、人生にはルール的なものはありそうだが、「目指すべき終わり」が定まっているとは言えそうもない。

したがって結論は、「人生はゲームとは言えない」となる。

以上の流れを説明しても、モヤモヤしたものが残る人はたくさんいる。必ずと言っていいほどよく見かけるのは、「僕には目的がある」という反論だ。しかしそれはあくまで個人の目的であって、みんなに共通の目的ではない。ゲームの場合、目的は自分で設定するのではなく、参加者全員に対してはじめから定められている。

料理はゲームか?

目的達成を難しくする
GMVozd/gettyimages

主語を変えて、「料理はゲームか?」という問いでゲームについて考えてみると、これがなかなかに難しい。目的も「食べられる物をつくる」という最低限のラインはあるが、たとえば家庭料理には明確な目的がないし、どこまで行けば「終わり」なのかはっきりしない。さらにルールがあるかというと、お浸しひとつとってもつくり方は千差万別で、自由である。

「料理には毒を入れてはいけない」というのはルールになるだろうか? 料理に毒を入れれば食べた人が死んでしまう。だからこれは、「人を殺してはいけない」と言っているようなもので、料理以前の話だ。「料理のルール」ではなくて、人生一般のルールと言える。

では「それが料理のルールかどうか」をどう判定すればいいのだろうか。「こっちはゲームのルール、そっちは人生のルール」と分ける基準はなんだろう。

ゲームには目的とルールがあるという2つの要件だけでは、この基準を導き出すことはできない。これだけでは不十分なのだ。そこで、料理に「家にある食材だけを使う」という制限をはめると、とたんにゲームらしくなる。

それはこの制限が、料理を作るという目的の達成を難しくするからだ。ゲームのルールは、ゲームの目的の達成を難しくするものでなければならず、目的とルールは連動するのである。

プレイヤーの態度で決まる

ゲームの要件についてもう少し考えを進めてみよう。

たとえば、戦争はゲームだろうか。たしかに目的とルールがあり、ルールは目的の達成を難しくしている。しかし、「戦争はゲームだ」と言われると、何か違う気がする。

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要約公開日 2022.05.06
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