欧州では、アイデンティティに関する政治的な議論が激化している。しかし、「論じる人の多くはヒステリー状態にある」。たとえば、極右派による扇動がそれにあたる。一見かれらのマイノリティに対する攻撃は正当性があるようにも思えるが、国民国家に属する人々の出身は一様で然るべきという幻想を抱いているにすぎない。そこから激しく湧き上がる欲求は、社会を破壊する。
イスラム教徒の聖戦(ジハード)によるテロリズムへの恐怖から、何百万人もの人々に対してテロリストのレッテルを貼るのはナンセンスなことだ。テロリスト自体が極めてわずかなはずなのに、一般の人にまで疑いをかけるシステムが行政の手でつくられてしまう。
こうした硬直的な右派だけでなく、「自分の居場所を見出せない市民」も大勢いる。かれらは、アイデンティティに拘泥することの無益さ、社会的、経済的問題に対する無力さをよく理解している。アイデンティティへの姿勢それ自体が、右傾化を引き起こしているからだ。一方でかれらは、経済・社会政策と反差別政策、正義や権利の平等、人種差別の測定について語ってこなかった。「本書の対象とする読者は、こうした状況に満足していないすべての市民である」。
いかなる国も、いかなる社会も、諸々の差別に対決できるモデルを生み出していない。現行のモデルを存続させるのも、他国のモデルを流用することも、現状では通用しない。差別という複雑な問題に対して深く知り、そして数多の経験から出力される教訓を調べなくてはならないだろう。
まず、権利や機会を人物の出身と切り離して均等に与えるには、「社会的平等を促進するところから始めなくてはならない」。多様な民族や人種、国家に基づく出自に関連した不平等は、それぞれの事情に合わせた固有の反差別政策で埋め合わせなければならないだろう。
差別に対する闘争は、社会的、経済的な平等のために、より一般的な仕方でなされなくてはならない。それは富やステータスの格差の縮小にもつながるものだ。しかし、平等化を実現するための政策は実施されてこなかった。
たとえば教育の分野だ。この領域では質の高い公共サービスが必要とされている。多くの国の政府は、豊かでない人に手厚いサービスを提供している、と自負しているが、これは偽善だ。パリ地域圏の中等学校に焦点を当ててみよう。上流の人々が居住する地区における非正規や新人の教員の割合は10%であるのに対し、最も恵まれていない人々の居住する地区では50%にも達している。言い換えれば、恵まれた社会階層出身の生徒は、経験豊富な正規教員に巡り会う機会が多いともいえる。そこには給与格差も存在するが、これを是正するために捻出される特別手当(積極的格差是正措置)は、不平等を補うのに十分とは言えない状態にある。
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