コカ・コーラで5兆円市場を創った男の表紙

コカ・コーラで5兆円市場を創った男

「黒いジュース」を日本一にした怪物 高梨仁三郎


本書の要点

  • 「戦後の荒廃した日本ではコカ・コーラは売れない」という人たちの考えを変えたのは、仁三郎の「日本は必ず復興する」という信念だった。

  • コカ・コーラの販売権を得たあとも、原液の輸入許可がなかなか下りなかったり、さまざまな規制に苦しめられたりしたことで、仁三郎は資金難に陥ってしまった。

  • コカ・コーラの販売許可が下りはじめたのには、日本の貿易収支の問題が大きく関係していた。

  • 「年間1000万ケース売れる」と豪語して「夢の村の村長」と嘲笑われた仁三郎の言葉は、それからわずか5年で現実となった。

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コカ・コーラとの出会い

ザ コカ・コーラカンパニーとボトラー

artisteer/iStock/Thinkstock

1886年、ジョン・ペンバートンという薬剤師が、アトランタで「健康ドリンク」を売り出した。それがコカ・コーラのはじまりだ。

人気の出たコカ・コーラの事業をペンバートンは2年後に譲渡するが、その後の事業主の才覚もあり、事業規模は順調に拡大。20世紀初頭には年間140万リットルを売るまでに成長した。

現在、コカ・コーラは、ザ コカ・コーラカンパニー(アメリカ、ジョージア州アトランタ)が統括し、その子会社であるコカ・コーラ・エクスポート・コーポレーション(以下、エクスポート社)が製造販売権を世界各国の子会社へ供与している。

ここで注目すべきはコカ・コーラの製造販売システムだ。ザ コカ・コーラカンパニーとその完全子会社が、極秘のレシピにもとづいて原液を製造し、ボトラーと呼ばれる各地の業者が炭酸水を加えて完成させ、販売するというプロセスをとっている。

日本でも、100%子会社である日本コカ・コーラが滋賀県守山市の工場で原液を製造し、ボトラー各社に販売している。ボトラー各社の販売地域は指定されているので、ボトラー間での競争は起きない。つまり、類似商品との競争はあっても、コカ・コーラを販売する上での競争はない。これはボトラーにとって、大きなメリットとなっている。

このボトラーの中で、日本でいち早くコカ・コーラビジネスを手掛けたのが、本書の主人公、高梨仁三郎の興した東京飲料である。東京飲料は後に社名変更し、東京コカ・コーラボトリングとなり、さらにボトラー数社と経営統合することで、現在の東日本をカバーするコカ・コーライーストジャパンとなった。

「黒いジュース」との邂逅

Hiro_photo_H/iStock/Thinkstock

高梨仁三郎がコカ・コーラと出会ったのは1947年、43歳の時だ。当時、仁三郎は小網商店という食品卸問屋を経営していた。戦後の苦境の中、仁三郎は商店の存続に必死だった。

そんな頃、仁三郎は小網商店を訪れた謎の男からコカ・コーラの話を聞きつけた。その後、仁三郎はエクスポート社の日本支社を仕切っていたスペンサーに面会し、コカ・コーラ事業を日本人向けに行いたいと強く望むようになる。しかし、復興のまだ進まぬ日本でのコカ・コーラの販売は難しいと考えられていた。

状況が変わったのは、1950年に朝鮮戦争が勃発してからだ。サンフランシスコ講和条約が調印された1951年、朝日麦酒の山本為三郎がバヤリースオレンジの輸入権を得たという情報が流れてきた。

「バヤリースが可能ならばコカ・コーラだって」と、仁三郎はエクスポート社にコカ・コーラの販売権を求めたが、同社の返答はノーだった。それでも仁三郎は諦めず、販売権獲得の為に渡米した。講和条約発効直後の1952年10月、48歳の時だ。

仁三郎に対応したのは、ザ コカ・コーラカンパニーで当時社長であったニコルソンだった。紳士的なふるまいで前向きな姿勢を見せてくれていたニコルソンだったが、「日本は、今度の戦争で壊滅的な打撃を受けたそうじゃないか。そのなかで、どうやってコカ・コーラを売るんだ?」と仁三郎に疑問を投げかけてきた。

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要約公開日 2017.03.21
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