モラル・エコノミー

インセンティブか善き市民か
未読
日本語
モラル・エコノミー
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インセンティブか善き市民か
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モラル・エコノミー
出版社
定価
3,300円(税込)
出版日
2017年03月23日
評点
総合
4.3
明瞭性
4.0
革新性
4.5
応用性
4.5
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おすすめポイント

「インセンティブ」は組織の効率的な運営のために導入される政策として一般的であり、良い印象を持っている方も多いのではないだろうか。しかし、この本を読めば、そう単純なものではないことがよく理解できる。インセンティブは、対象となる人々にさまざまな正負の影響をもたらし、期待と全く反対の効果をもたらす可能性すらあるのだ。

本書は、50年以上の長きにわたり経済学の第一線で活躍している著者による刺激的な論考である。今でも有効性を持つと考えられている「ホモ・エコノミクス」という人間像に対する疑念から出発し、経済学の枠を超えてさまざまな学問の知的達成を取り入れながらインセンティブの問題点とその可能性に迫っていく筆致は、迫力にあふれている。展開されていく理論が面白いことはもちろんだが、その背後にある実験結果も非常に興味深いものが多く、読みごたえがある。経済学の本にはあまり出てこないであろう、人類学や心理学での実験の例も含まれている。要約には盛り込めなかった事例もぜひ読み込んでほしい。

インセンティブは大きな組織だけの話ではなく、少人数の組織でも導入を考えるリーダーは少なくないだろう。本書は立法や政策について多く述べられているが、制度設計において留意すべき重要な点は変わらない。豊富な事例と精緻な議論はきっと参考になるに違いない。

著者

サミュエル・ボウルズ
1939年生まれ。サンタフェ研究所アーサー・シュピーゲル研究教授・行動科学プログラムディレクター。50年以上にわたり、ミクロ経済学のイノベーターとして研究・教育活動を行ってきた。ハーバード大学経済学博士。ハーバード大学准教授、マサチューセッツ大学教授、シエナ大学教授を経て現職。日本語訳されている著書として、教育の経済学へのネオ・マルクシアン・アプローチの適用を試みた『アメリカ資本主義と学校教育』(1976)(ハーバート・ギンタスとの共著)、80年代の右派経済学に対抗する民主的代替政策を提起する『アメリカ衰退の経済学』(1983)、サンタフェ研究所での行動科学と複雑系の共同研究を通して、ワルラシアン・パラダイムに代替する「進化社会科学」という新しいパラダイムを構想した『制度と進化のミクロ経済学』(2004)、そして再びギンタスとの共著である『協力する種』(2011)などがある。

本書の要点

  • 要点
    1
    経済合理的な行動をする「ホモ・エコノミクス」という人間像を前提にして立法、政策、組織の設計をすることは賢明ではない。
  • 要点
    2
    社会や組織を改善するために導入するインセンティブが、人々の道徳を掘り崩し、狙いとは反対に利己的な行動を助長することがある。
  • 要点
    3
    インセンティブが道徳心に作用する可能性を認識し、利己心を抑制するだけではなく、公共心に基づく動機を呼び覚まし、育成し、そして強める政策を目指すべきである。

要約

インセンティブは有用か

ホモ・エコノミクスという仮定

現代の経済学者、法学者、政策立案者が前提としている人間像は、経済合理的な行動をする「ホモ・エコノミクス」であり、利己的で非道徳的であるとされている。しかし、その人間像を前提として法律、政策、事業組織を設計することは賢明ではない。なぜなら、人々の利己的な行動を利用するためにインセンティブを導入することが、反対に利己的な行動をさらに促進してしまう場合があるのである。インセンティブだけでは組織統治の十分な基礎を提供できないのだ。

インセンティブの意外な効用
vesmil/iStock/Thinkstock

市場経済が機能するために必要とされてきたインセンティブなどの政策が、利己心を増大させ、協力的で寛大な市民による市民文化を維持できなくすることにもなりかねないという例を紹介しよう。

たとえばある託児所での事例だが、そこではある時から子供を迎えに来るのが遅れた際に罰金が科されることになった。遅刻を減らすためである。しかし、この施策はうまく行かなかった。罰金導入以降、親たちの遅刻が2倍に増えたのである。この事例は、遅刻に値段がついたことで先生たちに迷惑をかけまいとする親たちの倫理が堀り崩され、遅刻を買うことのできる商品のように見ることに導いたかのように見える。

さらに別の研究では、見返りがなくても大人たちを夢中で手伝う2歳未満のこどもたちに、手伝いの見返りとしておもちゃを与えたところ、手伝いをする比率は40パーセント低下したという。

インセンティブは時として倫理的かつ寛大な動機を外に押しやってしまう可能性がある。しかし、インセンティブは放棄されるべきものとも言えない。インセンティブそれ自体が問題なのではなく、インセンティブを遂行する人とその対象者との間の関係が問題であるかもしれないのである。

【必読ポイント!】 インセンティブの問題点は何か

経済学者たちは何を見落としたのか
AlexRaths/iStock/Thinkstock

歴史をたどってみると、古典派経済学者たちは、ホモ・エコノミクスという人間モデルが単純化の帰結であることを認識していた。たとえばJ・S・ミルはこう述べている。「経済学は人間の本性のすべてを取り扱わない。……それは、富を所有しようとする存在としてのみ人間に関心を持つ」。後に続く新古典派経済学者たちも同様であった。この抽象化によって、何も見落とすものはないなどとは考えていなかった。しかし、彼らのほとんど全ては、抽象化された人間のモデルを使って、経済学は個人の富の最大化の面に訴えるインセンティブの効果を研究できるとしたのである。

つまり、古典派経済学者とそれ以降のほとんどの経済学者が見落としたのは、インセンティブによって道徳的、社会的行動が悪影響を受ける可能性であった。それは、インセンティブと道徳が分離可能であると考えてしまったからである。その分離可能性の仮定は、二つの重要な可能性を無視することにつながった。第一に、利己心を抑えるためにインセンティブを使用することで道徳的行動が悪影響を受ける可能性があること、第二に、倫理的関心と他者配慮的な関心がともに発展でき、相乗的に社会的な成果を増進する条件が存在しうることである。

見えざる手

ホモ・エコノミクスの仮説を受け入れてきた経済学者、政治理論家たちが目指してきたものは、人々が自分の目的を追求しながら、他者への影響を適切に考慮するようにさせる統治の仕方であった。その一つのアプローチとして考えられたのが「見えざる手」による調整であった。そこでは利己的な個人間での競争の結果として、効率的な状態が実現するとされる。

もし社会におけるプレイヤー同士の契約が完全なものであれば――交換のあらゆる側面が価格を持って契約の中に含まれていれば――、効率的な資源配分が実現し、見えざる手の定理は成り立つだろう。しかし、実際はそうではない。不完全な契約が、労働や情報など、資本主義経済の中心的な分野に広く存在しているのである。そして、契約が不完全であるとき、プレイヤー同士の相互の債務が履行されるかどうかは、当事者の交渉力などの相互作用によって決定される。雇用主は被雇用者が働いた利益をほとんど享受するが、仕事がなされなかったとしても賃金を遡って取り戻すことはできない。市場の失敗は日々の交換において発生する。「見えざる手」の定理が機能できるのは極めて限られた状況なのである。

アダム・スミスやJ・S・ミルといった古典派経済学者たちが正しかったのは、見知らぬ者同士での相互作用が行われる経済の良い統治にとって、倫理的かつ他者考慮的な動機だけでは不十分だと考えた点である。一方で、シュンペーターの「誰もが、自身の功利主義的な目的だけで導かれるようなところでは、・・・・・・どんな社会システムもうまくいかない」という言葉もまた正しかった。倫理的かつ他者考慮的な動機は、それだけでは足りないが、やはり良く統治された社会にとって不可欠なのだ。そして、将来においてもいっそうそうである可能性が高い。この事実を無視した、人々の行動を促す動機(選好)に無関心である政策は、良き統治のために必須の動機を傷つけてしまいかねない。

インセンティブと人々の選好
Tetyana Rusanova/iStock/Thinkstock

一貫して利己的であるような個人はほとんど存在せず、道徳的および他者考慮的動機が一般的だ、ということを多くの研究データは示している。例えば、囚人のジレンマゲームでは、パートナーを裏切ることがプレイヤーの利得を最大化する。従って、このゲームにおいては、裏切ることが支配的な戦略なのであり、人々が自分自身の利得にのみ関心を抱くのだとすれば、裏切りを選択することが普遍的になるはずである。しかし、ゲームが現実の人間によってプレイされるとき、ほぼ半数のプレイヤーが協力を選ぶ。経済合理的な選択を行う、ホモ・エコノミクスは実世界では少数派になることもよくあるのである。

また、インセンティブが、自分の利益よりも他人を助けるような行動を促す動機(社会的選好)を損なう可能性があることを示す実験結果もある。共同資源である「森林」の伐採に、何カ「月」費やすかを村人に選択させるという実験だ。グループにとって総利得を最大化するような伐採水準があるが、もっと長い時間を費やせば個人の利得はさらに改善される。第一ステージでは、インセンティブも村人同士のコミュニケーションもない状態で実験がされた。その場合、村人の伐採水準は、個人的な利得を最大化する伐採水準よりも、平均で44パーセントも低かった。つまり、社会的選好が村人のあいだで一般的だということが見られた。

しかし、過剰な伐採をした場合少額の罰金を支払うという取り決めにしたところ、衝撃的な結果が見られた。はじめのうち、罰金は大きな効果を発揮し、村人たちの伐採水準ははるかに低い値を示したが、やがて彼らは自己の伐採水準を引き上げた。罰金の導入は村人の社会的選好を押しやってしまったのだ。なぜこのようなことがおこるのか。それはインセンティブ自体によって人々の選好が変化するからである。インセンティブは人々にメッセージを伝える。それが人々の選択志向に影響を与えるのである。

例をいくつかあげると、制度設計者の対象者に対する信念などが影響する場合がある。ボストンのある消防本部長は通算15回以上の病欠をとった消防士の給与を減らすとしたが、こうした脅しは消防士が何とかして出勤しようとしている努力を信じないというメッセージを伝えるものであったため、失敗に終わった。

また、インセンティブは対象者をコントロールしようとする試みであるが、そのことが対象者の自律的感情を損ない、逆の反応を促すこともある。行動そのものから喜びを見出していた人々の動機を害するのである。例えば、お絵かきに興味を持っていたこどもたちを集め、いくつかのグループに分けて実験したところ、お絵かきに報酬を与えると約束したグループは、報酬を予想していないグループに比べて大幅に絵を描く回数が減少した。さらに絵の質も低い水準のものになった。

立法者が目指すべきもの

リベラルな市民文化の役割

こうした分析をふまえると、広く利用されているインセンティブという政策によって社会は不安定さを増し機能不全に陥りそうなものであるが、実際にはそうなっていない。なぜなのであろうか。それは、リベラルな市民文化によって悪い効果が相殺されてきたからだと考えることができる。

リベラルな市民文化はリベラルな社会において醸成されるものであり、その社会は、財やサービスの配分を市場に任せ、政治的権利の形式的平等性があり、法の支配が浸透しているなどの特徴を持つ。市場が重要な位置を占めているリベラルな社会では、法の支配や社会保険などの仕組みによって例えば暴力のような惨禍に巻き込まれるリスクが軽減されている。そこでは相手からの裏切りによるリスクが減殺され、相手を信頼して行動することを促される。こうした基盤が市民的な徳を支え、社会秩序を維持していると考えられる。

あるべき政策としてのインセンティブ
Epitavi/iStock/Thinkstock

これまでに見てきたことをふまえると、政策立案者は三つの条件を満たすメカニズムをデザインすべきである。それは、まず効率的であること、強制的でなく自発的な参加に基づくこと、利己的であったり利他的であったりする人々のどんな志向からも中立であることである。しかし、これまでの研究からこの三つを同時に満たすことは不可能であると考えられている。ではどんな政策を目指すべきか。

重要なのは、インセンティブと道徳を代替的ではなく、補完的とする方法を見出すことである。そもそも、インセンティブのような政策による介入の成果は、集団の構成とインフォーマルなルールを含む社会制度に依存する。それらによって決定された個人の行動が積み上げられていったものが成果なのであって、さまざまな個性を持つ集団の中の各人の行動の単純な平均ではないのである。したがって、インセンティブが有効に機能するためには、集団の中に倫理的もしくは他者配慮的な市民が存在するということが必要である。彼らに誘発されて悪人があたかも悪人でないかのように行動するからである。

このことから、理想的なインセンティブの実現のためには、「人間をあるがままのものとして、法律をありうべきものとして」取り上げるルソーの教えでは足りないのかもしれない。良き法によって善き人々を育成すべきなのである。つまり、優れた政策と立法とは、利己心を抑制するだけではなく、公共心に基づく動機を呼び覚まし、育成し、そして強めることによって社会的に価値ある目的を支えるものである。こうした立法やインセンティブが生み出されるかどうかはわからないが、しかし、私たちには挑戦する以外の選択肢はない。

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