余命3年 社長の夢

「見えない橋」から「見える橋」へ
未読
余命3年 社長の夢
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余命3年 社長の夢
出版社
出版日
2019年07月12日
評点
総合
3.8
明瞭性
3.5
革新性
4.0
応用性
4.0
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おすすめポイント

「もし余命をつげられたら、どんなことをしておきたいですか」。ドキリとさせられる言葉が目に飛び込んできた。私なら不安や無念さに押しつぶされてしまいそうだ。はたして、現実を受け入れ、前向きに歩みを進められるのだろうか? しかし、小澤輝真氏の自伝を読むと、その生き様に活を入れられた。

小澤氏は、札幌市にある北洋建設株式会社の代表を務めている。元受刑者を日本で一番受け入れており、その数はのべ500人以上に及ぶ。小澤氏は2012年、進行性の難病である「脊髄小脳変性症」を発症。余命10年と宣告された。次第に手足が不自由になり、話す言葉も不明瞭になっている状況だという。

「人は仕事があれば再犯しない。誰もが人の役に立つ力をもっている」。こうした信念のもと、小澤氏は元受刑者を雇用する企業を増やすべく、精力的に活動を続けている。たとえ自らの命を削ってもかまわないとでもいうように。

本書では、小澤氏の半生を振り返りながら、元受刑者を受け入れてきた背景、現在の活動にかける想いを知ることができる。さらには、一度罪を犯した者は、改心して社会復帰を望んでも、社会の厳しい目や反発により、その希望がかなわない――。そんな根深い社会問題が浮き彫りになっていく。

限られた命を、どう使えばいいのか。本書はこの究極の問いに、体当たりで1つの解を示してくれる。まるで本人の肉声が聞こえてくるような、渾身の一作である。読めばきっと、人生をかけて実現したい夢や挑戦へのエネルギーが湧いてくるはずだ。

ライター画像
松尾美里

著者

小澤 輝真(おざわ てるまさ)
北洋建設株式会社代表取締役社長
1974年、北海道札幌市生まれ。1991年、創業者である父の死に伴い、18歳で北洋建設入社。2012年、父と同じく進行性の難病である「脊髄小脳変性症」を発症し、余命10年とつげられる。2013年より現職。北洋建設は、創業以来500人以上の元受刑者を雇用。「人は仕事があれば再犯をしない」という信念のもと、余命宣告以降、より積極的に受け入れを進めると同時に、大学院へ進学し「犯罪者雇用学」を専攻。企業が元受刑者を雇用しやすい環境づくりを訴えている。2009年、放送大学教養学部卒業。2012年、日本大学経済学部卒業。2015年、放送大学大学院修士課程修了。東久邇宮文化褒賞、法務大臣感謝状など受賞・表彰多数。

本書の要点

  • 要点
    1
    小澤輝真氏は「脊髄小脳変性症(SCD)」を発症し、余命10年と宣告された。北洋建設の社長を務めながら、元受刑者たちの就労支援をさらに進めようと決意し、精力的に活動している。
  • 要点
    2
    元受刑者に仕事の機会を与えることは、最高の再犯防止策である。しかし、元受刑者に門戸を開いている企業はまだまだ少ないのが現状だ。
  • 要点
    3
    雇用した元受刑者のなかには、社会復帰をして、仕事を一生懸命にする者も、家庭をもった者もいる。境遇や環境が犯罪に及ぼす影響は大きい。

要約

余命宣告

宿命

「ついにこの日がきたか」

2012年、当時37歳だった小澤輝真氏(以下、小澤)は、進行性の難病である「脊髄小脳変性症(SCD)」を発症。余命10年と宣告された。この病気にかかると、小脳と脊髄などが委縮し、神経細胞が徐々に死んでいく。次第に手足が動かなくなり、話す言葉も不明瞭になっていく。最終的には肺の機能が低下し、呼吸が止まってしまう。

現状では有効な治療法は確立されておらず、いわば不治の病だ。日本では10万人に5~10人の割合で患者がいる。

余命宣告の際に、冒頭のような感情が湧き上がってきたのはなぜか。それは、小澤の父方の祖母の家系にある人や小澤の父親も、この病気で命を落としていたからである。SCDには遺伝という特徴がある。遺伝によるSCDは全体の3割程度といわれている。また、その家系のすべての人に遺伝するものでもない。このように、未解明のことが多い病気なのだ。

負い目を抱えて生きるということ
oatawa/gettyimages

日頃はものすごくポジティブな性格である小澤も、さすがにこたえ、すぐには家族に病気の発症を伝えられなかった。人生がこの先10年で終わることへの絶望、家族と別れるつらさ、怒り、無念さ。色々な感情が湧きあがるなか、もっとも心を占めていたのは、子どもたちへの遺伝に対する恐怖だ。

宣告から1か月後、小澤が余命について妻に切り出したとき、妻はショックを受けながらも、最後は受け入れてくれたという。また、会社の幹部たちを通じて、社員にも病気のことを伝えた。退職者が増えるという懸念は杞憂に終わった。

北洋建設では、元受刑者に、自分の前科を隠さないことを条件に働いてもらっている。前科を隠すと、本人が負い目を感じて苦しくなってしまう。さらには、嘘を重ねることになり、信頼関係が育ちにくい。小澤は、病を負い目に感じて隠していた1か月を通じて、元受刑者たちが感じる生きづらさのようなものを疑似体験した。自分をオープンにし、周囲がそれを受け入れることは極めて大切なことなのだ。

北洋建設と元受刑者

小澤の父は、とび職を経て、1973年、北洋建設の前身である小澤工務店を創業した。現場の作業員を見つけるために目をつけたのが、近所の札幌刑務所だ。刑期を終えた元受刑者たちを次々とスカウト。

当時の建設業は、人をいかに抱えるかが重要とされた。「元はみ出し者」を徹底的に受け入れることで、人手不足を解消し、売上を順調に伸ばした。周囲に元受刑者がいることは、小澤にとって、日常の光景である。

小澤の父はとにかく面倒見のよい性格だった。毎日のように社員たちを家に連れてきては、夕食をふるまい、酒をくみかわした。酒が入るとしばしば喧嘩が始まる。しかし、小澤の父や母がとめると、喧嘩はぴたりとおさまった。小澤の母は創業時からずっと、毎朝4時から何十人もの社員たちの朝食や昼の弁当をつくってきた。北洋建設のお母さん的な存在だったのだろう。

「社員は家族」という小澤の考え方は、こうした父と母の姿がベースになっていることはまちがいない。

バンドマンから経営者へ

ビリビリに破られた履歴書
shih-wei/gettyimages

小澤は十代の頃、髪をピンク色に染め、耳にピアスをしたバンドマンだった。バンドの活動資金を得るため、花屋さんの面接を受けたときのことだ。「なんだ、その頭は!」履歴書をビリビリに破られ、投げつけられた。他の面接でも、「中卒じゃあちょっとね」といわれることもしばしば。

やる気に満ちているのに、見た目や経歴で落とされる。このときの理不尽な経験は、元受刑者を積極的に雇用するという小澤の信念にもつながっている。

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要約公開日 2019.07.12
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