横浜イノベーション!

開港160年。開拓者の「伝統」と、みなとの「みらい」
未読
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開港160年。開拓者の「伝統」と、みなとの「みらい」
未読
横浜イノベーション!
出版社
出版日
2019年09月10日
評点
総合
3.3
明瞭性
4.0
革新性
3.0
応用性
3.0
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おすすめポイント

「今、横浜と日本に必要なのはイノベーションだ」「横浜の経済、ひいては日本経済に刺激を与えたい」――本書は「みなとみらい21」という都市開発プロジェクトを主軸に据え、横浜という都市の歴史を紐解くものである。前半部では横浜村の干拓・開発から、横浜港の開港、造船業による経済成長といった歴史をエッセイ風に紹介。後半部は一転、舞台を現代に移し、横浜に拠点を構える企業や、横浜市長へのインタビューを掲載している。

横浜人は一般に「進取の気質を持つ」「横浜港の開港以来、新しいものを受け入れる文化を持つ」と言われることが多い。だが果たしてそれは本当であろうか。今の横浜にイノベーションは起きているのだろうか。横浜人は本当にオープンマインドなのだろうか。

横浜で活動を行なってきた著者は、現代の横浜に対して以下のように警鐘を鳴らしている。「豊かで成功体験が大きい都市であるだけに、横浜の人々にとって、危機感を持つことは容易ではない。百歩譲って危機感を持っていたとしても、どのようにイノベーションを起こせば良いのかわからないという人も多くいることだろう」。これは横浜にとどまらず、かつて急激な経済成長と安定の時代を経験した後、ゆるやかな人口減少、経済的衰退を始めている日本の各都市においても言えることである。

地域創生や地方経済の振興、都市開発やまちづくりの歴史に興味がある方は、本書に記された横浜の歴史のなかから、大切なヒントを見つけることができるかもしれない。

ライター画像
狩野詔子

著者

内田 裕子 (うちだ ゆうこ)
玉川大学文学部芸術学科卒業後、大和証券に入社。トレーダーを経験後、広報部へ異動。同社の社内TV放送 『大和サテライト』のキャスターに抜擢され、マーケット情報や経営者・アナリストとの対談番組へ多く出演する。2000年より経済ジャーナリストとして活動を始める。テレビ朝日『サンデープロジェクト』の経済特集チームで取材活動をした後、BS日テレ『財部ビジネス研究所』に出演。老舗企業の経営者にインタビューする「百年企業に学べ」を担当。2015年4月~2019年3月までテレビ神奈川『神奈川ビジネス Up To Date』にメインキャスターとして出演した。現在、BSイレブン『財部誠一の異見拝察』に出演中。経営者のインタビューを得意とし、上場企業から中小企業、ベンチャー企業まで規模、業種を問わない。講演講師、モデレーター、上場企業の社外取締役も務める。現在、横浜市港湾審議委員。師匠は経済ジャーナリストの先駆者である財部誠一。叔父は出版界の革命児と呼ばれたKKベストセラーズ創業者である岩瀬順三。
主な著書に、『三越伊勢丹モノづくりの哲学』(共著・PHP新書)、『負けない投資』(PHPビジネス新書)などがある。

本書の要点

  • 要点
    1
    半農半漁の寒村であった横浜は、11年に及ぶ埋め立て工事を経て開拓された。
  • 要点
    2
    黒船とともに来訪したペリーら米国の使節を迎えるために横浜港が開かれた。これに伴い、東海道へ繋がる道が整備され、外国人や日本各地の大商人が横浜に集うようになり、横浜は貿易拠点として発達していった。
  • 要点
    3
    明治時代には横浜港に船渠が築かれ、造船事業が多くの雇用を生み、横浜の経済を成長させた。
  • 要点
    4
    横浜の成功の背景には、外からやってきた人々の貢献があった。新たに拓かれた土地であることが、これらの人々を受け入れ、多様な文化が混じる要因となった。

要約

「みなとみらい」ができるまで

横浜市の新都心「みなとみらい」
SeanPavonePhoto/gettyimages

「みなとみらい21(通称・みなとみらい)」とは、横浜市の沿岸部にある新都心の名称である。総面積は186ヘクタールあり、そのうち76ヘクタールは新たに埋め立てられた土地だ。かつての海岸線よりも沖合にあたる地区には、イベント会場として知られる「パシフィコ横浜」を擁している。

みなとみらいの特徴は、官民連携で新都心開発が行われたという点だ。三菱地所が保有する「三菱重工横浜造船所」があった土地に加えて、横浜市の「国鉄清算事業団」の土地、横浜市とUR住都公団が所有する「新しく埋め立てられた土地」の3つの土地が、みなとみらいには含まれている。

みなとみらいは今でこそ、デザイン性の高いオフィスビルや、高級マンションが立ち並ぶラグジュアリーな景観を備え、憧れの念をもって見られている。しかしかつては造船所と、港に荷揚げされた物資を運ぶ貨車の引き込み線があるのみで、昼も夜も金属音が鳴り響き、溶接の火花が激しく飛び散る地域であった。

英国人パーマーが手掛けた横浜港

明治時代に「富国強兵」と「殖産興業」という標語を掲げ、国の近代化を進めていた日本政府は、欧米から技術を学ぶために多くのエンジニアを招聘した。日本が短期間のうちに近代化を成し遂げた背景には、優秀な外国人エンジニアの貢献があった。

この時代、戊辰戦争で新政府側を支援していた英国と日本は、特に友好的な関係にあった。英国人のヘンリー・スペンサー・パーマーは、イギリスの植民地であったインド、カナダ、ニュージーランド、香港などに赴任した後、1883年に日本にやってきた。

神奈川県はパーマーに横浜上水道建設を任せ、約40kmに及ぶ水道工事を成功させた。そのパーマーが横浜上水道の次に着手したのが、横浜港の整備である。

造船業で生み出された雇用

パーマーは「港湾の発達には、船の修繕所や倉庫など、港に付随する設備の充実が不可欠である」と主張した。これを受けて日本の資本主義の父とも言われる渋沢栄一や、横浜の財界人たちが横浜船渠(せんきょ)を1891年に設立した。後の三菱重工横浜造船所である。船渠とは、またの名をドックともいい、船舶の製造、修理などに際して用いられる設備のことだ。

1894年に日清戦争、1904年に日露戦争が始まると、横浜船渠は船の修繕に加えて、造船事業を開始した。横浜船渠は海軍からの依頼を受け、多くの艦船の建造を担うこととなり、数千人の労働者が横浜で働くこととなった。現在の横浜港のシンボルであり、奇跡の幸運船と呼ばれる日本の貨客船「氷川丸」も、この造船所で生まれたものだ。

造船業は、戦前から戦後にかけて日本の基幹産業として日本経済を牽引した。それは横浜においても同様であった。三菱重工横浜造船所は多くの雇用を生み、横浜経済に力を与えた。

みなとみらいの開発と時代背景

一億総中流の時代
superwaka/gettyimages

1983年にみなとみらいの開発が始まった。この年は、すべての日本人が同じように豊かさを感じることができ、最も人々の経済格差が少なかった「一億総中流」の時代、その終わりの年であった。

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要約公開日 2019.11.30
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