津田梅子

未読
津田梅子
津田梅子
未読
津田梅子
出版社
朝日新聞出版

出版社ページへ

出版日
2019年07月30日
評点
総合
3.8
明瞭性
4.5
革新性
4.0
応用性
3.0
要約全文を読むには会員登録ログインが必要です
ログイン
本の購入はこちら
書籍情報を見る
本の購入はこちら
おすすめポイント

「津田梅子という女性がこんなに魅力溢れる人物だったとは」――要約者は、本書を読みながら、どんどん彼女の知性や行動力、エネルギー、人柄に魅了されていった。

2024年に刷新される5000円札の顔に選ばれた津田梅子は、女性教育の先駆者であり、津田塾大学の創立者である。生前、多くの人びとと交流を持ち、慕われた彼女の魅力は、文章を通しても色あせることはない。

本書は、今から35年前に津田塾大学の構内で発見された梅子のプライベートな手紙と著者の文章によって構成されている。梅子の手紙は英語で書かれていたため、著者の日本語訳が引用されているのだが、どれも知性とユーモアを感じさせる面白い文章だ。手紙であるため、一方的に書き綴られているのは当然ながら、それらを読んでいると梅子自身がワーッと話している様子が目に浮かぶようである。とにかく頭でいろいろと考えていて、大きな希望を抱いていて、ウキウキして仕方がない。文章から、そんな女性が想像できるのである。

本書を読んでいて、「この人が生きている時代にともに生き、その姿をこの目で見てみたかった」と心の底から思った。男女関係なく、梅子の人間としての志の高さに感銘を受けるだろうし、女性読者はきっと、こんな凛とした女性でありたいと思うことだろう。

本書は人を引きつける魅力に溢れている。普段伝記文学を読むことのない人にこそ読んでみてほしい。

著者

大庭 みな子(おおば みなこ)
1930年東京生まれ。津田塾大学卒。夫の海外勤務のため11年間アラスカに住む。68年『三匹の蟹』で群像新人文学賞、芥川賞受賞。2007年5月、逝去。著書に、『ふなくい虫』『魚の泪』『がらくた博物館』(女流文学賞)『浦島草』『寂兮寥兮(かたちもなく)』(谷崎潤一郎賞)『啼く鳥の』(野間文芸賞)『虹の橋づめ』など。

本書の要点

  • 要点
    1
    1984年、津田塾大学の構内で創立者・津田梅子の私信が大量に見つかった。それらは、梅子の生涯を読み解く際の貴重な資料となった。
  • 要点
    2
    梅子は、明治時代にアメリカへ送られた女子留学生の1人であった。アメリカでの11年間は、ワシントン市ジョージタウンに住むランマン夫妻のもとで過ごした。
  • 要点
    3
    梅子は、二度のアメリカ留学を経験し、1900年に私塾「女子英学塾」を開校した。女子の教育に尽力し、1929年に亡くなった。

要約

大量の手紙

11年ぶりの帰国
Betul Aktas/gettyimages

「もうあと一日です。到着は目の前です。私の肉親――家族はいったいどんな人たちなのかしら。あの人たちに会う前に書く手紙は、これが最後です。今日の午後から計算して、あと246マイルしかありません。何かへんなことが起こらない限り、24時間以内に着きます」

このような書き出しで始まる手紙は、1882年(明治15年)11月19日、サンフランシスコを出航した「アラビック号」が横浜港に入る直前に、船室で津田梅子(以下、梅子)が書いた手紙である。

梅子は、明治政府、北海道開拓使が1871年、アメリカに送った5人の女子留学生のうちの1人だった。出発当時、梅子はわずか満6歳。最年少であった。

11年間の留学中、梅子はワシントン市ジョージタウンに住むチャールズ・ランマンとアデリン・ランマン夫妻のもとに寄宿し、実の娘同様に愛されて育った。冒頭の手紙は、アデリンに宛てて書いたものである。

梅子の人生を読み解く鍵

1986年の夏頃、著者は「津田塾大学の物置で、創立者津田梅子のアデリン・ランマン宛の30年に亘る私信がどさりと発見された」という話を聞くことになる。

著者はそれまでにも、梅子が残した文書に目を通したことはあった。だがそれらはいずれも公的な立場から書かれたものであった。そんな著者が梅子の私信を読んでみると、日本の近代、明治の内面、当時そこに生きた人びとの姿と心などが、梅子の肉眼を通して映し出されているように感じられたという。

これらの手紙の発見は、津田塾大学にとってはちょっとした事件となった。手紙がそこにあった経緯は、今となってははっきりしない。手紙が書かれた期間は、梅子が日本へ帰国した1882年から、アデリンの晩年1911年までの間。梅子からアデリンへの手紙だけでなく、アデリンから梅子への返事も含まれていた。その数は数百通にのぼる。

アデリンは、梅子の帰国に際して、梅子が書いた文章や、日本から受けとった手紙などを持たせている。それらの文書類は、梅子の生涯を読み解く際の貴重な資料となった。

アデリンは他界する前に、これらの手紙を何らかの形で梅子に送り返したのだろうか。その他にも諸説あるが、いずれも憶測の域を出ていない。

梅子が出会った人びと

ランマン夫妻
guvendemir/gettyimages

ランマン夫妻は、6歳で渡米した梅子を11年間育てた。

もっと見る
この続きを見るには...
残り2927/3889文字
会員登録(7日間無料)

3,400冊以上の要約が楽しめる

要約公開日 2019.12.05
Copyright © 2024 Flier Inc. All rights reserved.
一緒に読まれている要約
大分断
大分断
池村千秋(訳)タイラー・コーエン渡辺靖(解説)
未読
売り渡される食の安全
売り渡される食の安全
山田正彦
未読
風姿花伝  創造とイノベーション
風姿花伝 創造とイノベーション
道添進(編訳)
未読
横浜イノベーション!
横浜イノベーション!
内田裕子
未読
在野研究ビギナーズ
在野研究ビギナーズ
荒木雄太(編著)
未読
僕は偽薬を売ることにした
僕は偽薬を売ることにした
水口直樹
未読
北里柴三郎
北里柴三郎
福田眞人
未読
グレタ たったひとりのストライキ
グレタ たったひとりのストライキ
マレーナ&ベアタ・エルンマングレタ&スヴァンテ・トゥーンベリ羽根由(訳)
未読
法人導入をお考えのお客様