北里柴三郎

熱と誠があれば
未読
北里柴三郎
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熱と誠があれば
未読
北里柴三郎
出版社
ミネルヴァ書房

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出版日
2008年10月10日
評点
総合
3.8
明瞭性
3.5
革新性
4.0
応用性
4.0
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おすすめポイント

本書は、日本の細菌学の父と呼ばれる北里柴三郎の評伝である。新紙幣にその肖像が使われることが先日発表されたことから、人物と業績が注目されている。

北里は何よりもまず優れた研究者であり、世界の細菌学と伝染病研究に多大な功績を残した。それも1890年という、日本が西洋医学を本格的に取り入れて間もない時代、そして本人もまだ30代半ばという時期に、ノーベル賞に値する(受賞には至らなかったものの、第一回ノーベル生理学、医学賞に推薦されていたのだという)偉業を達成した。これは紛れもない事実である。

と同時に、歴史に名を刻んだ人物によくあることかもしれないが、北里は多面性を持ち、また言動の振れ幅も大きい人物であった。そのためか、人生の軌跡は、基本的には成功者のそれであったが、常に順風が吹いていたわけではなかった。周囲の人間と衝突することも少なくなかった。本書で著者は、北里の人物をひとつの鋳型に流し込まないよう細心の注意を払った形跡があるが、北里の性格の複層性がそれを許さなかったともいえるだろう。

本要約では研究者としての北里を中心に紹介するが、本書は幼少期から晩年までおおよそ年代にそって北里の人生をていねいに描き出している。読者は、そこに日本における西洋医学の受容の歴史を見ることもできるし、後藤新平や森鴎外といった人物の登場する群像劇を楽しむこともできるだろう。個人の評伝を読む面白さのひとつは、こうした多様な読み方ができることだ。本書はまちがいなくそれを堪能させてくれる一冊である。

ライター画像
しいたに

著者

福田 眞人(ふくだ まひと)
京都市生まれ。東京大学大学院総合文化研究科比較文学比較文化専攻修了。現在、名古屋外国語大学世界教養学部長・教授。名古屋大学名誉教授。著書に『結核の文化史』(名古屋大学出版会、毎日出版文化賞受賞)、『結核という文化』(中央公論新社)、共編著に『日本梅毒史の研究』(思文閣出版)などがある。

本書の要点

  • 要点
    1
    ドイツのコッホのもとに留学した北里は、破傷風菌の純粋培養に成功し、さらに血清療法を確立した。明治の時代において世界を驚かす画期的な研究を成し遂げた。
  • 要点
    2
    帰国後、伝染病研究所を設立し、日本における細菌学、伝染病研究の水準を上げ、野口英世をはじめとする優秀な研究者を輩出した。また、ペスト菌の発見も北里の大きな業績のひとつである。
  • 要点
    3
    日本医師会の初代会長を務め、慶應大学医学部の創設にも関わるなど、日本の近代医学の礎を築き、公衆の衛生を通じて天下国家に貢献するという若年からの志を果たすことになった。

要約

19世紀の医学界と北里

ドイツ留学への道
bluejayphoto/gettyimages

北里は1883年(明治16年)に東京大学医学部を卒業し、内務省衛生局に入る。この進路の選択には、本人の次のような考えがあった。まだ大学在学中、25歳のときに書かれたものである。

「医の真の在り方は、大衆に健康を保たせ安心して職に就かせて国を豊に強く発展させる事にある。人が養生法を知らないと身体を健康に保てず、健康でないと生活を満たせる訳がない。(中略)人民に健康法を説いて身体の大切さを知らせ、病を未然に防ぐのが基本である。」(結社活動の講演原稿『医道論』。1878年4月執筆)

ここに見られるのは、病を未然に防ぐ「衛生」を通じて天下国家に貢献したいという志である。北里は衛生局に入局後、細菌学、実験医学の領域に足を踏み入れることになる。その仕事が認められ、2年後の1885年にはドイツへの留学が命ぜられる。北里が向かったのはベルリンにあるコッホ研究所であった。

19世紀の細菌学

18世紀のヨーロッパでは、博物学が格段の発展を遂げた一方で、医学では、病理学、生理学の分野において大きな進展が見られた。人体の構造や病気における細胞学的な変化の理解が進んでいた。

19世紀になり、フランスのパスツールによって新たに細菌学が創始された。病気には空気中の細菌を原因とするものがあり、誰もが感染、発病する可能性のあることを明らかにしたのである。その細菌学は、英国のリスターによって、感染を防ぐための消毒法(防腐学)という新しい学問として発展した。さらにドイツにおいては、結核菌やコレラ菌を発見したコッホという細菌学の巨人が生まれたのである。

【必読ポイント!】研究者北里

コッホ研究所にて
belchonock/gettyimages

1886年(明治19年)1月、コッホ研究所での仕事が始まった。そこでは、多くの弟子に分業のように「実験」のテーマが与えられ、コッホはそのデータを積み上げることによって新たに理論を組み立てる、あるいは病原菌の存在を証明するという方式で仕事が進められていた。実験は、あらゆる可能性を片っ端から潰していくという絨毯爆撃にもたとえられるものだった。

北里も当初はそうした弟子のひとりであったが、間もなくその実験の成果で周囲を驚かせることになる。北里は長時間にわたって用意周到に、精密に実験を繰り返した。それに加えて根気、体力勝負という独特の面もあった。こうした圧倒的な熱量は北里の際立った特色であり、実験の鬼とでも呼ぶべきその様相は、オリジナルな実験器具の創案という点でも発揮された。

のちにコッホが日本を1908年に訪れたとき、当時を次のように回想している。初めて北里が訪れたとき、日本人にしては驚くくらいよくドイツ語を話すという印象しかなかった。彼が破傷風菌の純粋培養に成功したと言ってきたとき、老練の研究者が数年間苦労したが成功しなかった難しい実験であったので、コッホは容易には信じることができなかったという。しかし、次に北里が持ってきた破傷風菌のゼラチン培養で動物実験をしてみると、疑いなく破傷風固有の症状が発したので、コッホは直ちに北里の部屋に行って大成功を祝った。北里の実験の方法と順序を聞いて、コッホは「非凡な研究的頭脳と不屈の精神に驚いた」という。

やがて北里は破傷風毒素の研究を続け、免疫体を発見した。そして、その免疫を使って治療に応用したのが「血清療法」であり、これは破傷風菌の純粋培養に続く北里の偉大な医学的貢献となったのである。

確執の兆し

コッホのところで、北里は研究をしていただけでなく

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要約公開日 2019.10.26
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