はじめて読む人のローマ史1200年

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はじめて読む人のローマ史1200年
出版社
出版日
2014年06月10日
評点
総合
3.8
明瞭性
4.5
革新性
3.5
応用性
3.5
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おすすめポイント

ローマ(ローマ帝国)と聞いてどのようなものが思い浮かぶだろうか。映画などで頻繁に取り上げられてきたイメージしかり。ローマの公衆浴場を舞台にした漫画『テルマエ・ロマエ』でローマに触れたという方もいるだろう。

しかし、初めてローマを学ぶ方は、ローマが市民による投票を前提とした共和政を採用していたことや、法で定められた市民権といった統治手法の高度さに目を見張るはずだ。そして、強力な軍事力を背景にあまりにも広大な帝国を築いた。これは日本が縄文時代や弥生時代のことであり、そこまでの国家として成立していなかったことを考えると、その差に愕然とする。「賽は投げられた」や「ブルートゥス、お前もか」といった明言で知られるカエサルをはじめとした多くの登場人物の活躍も、ローマを彩っている。

本書は、1200年に及ぶローマの膨大な歴史を、共和政や軍事力、宗教といった7つの「なぜ」に答える形で解説する。一読するだけで、建国から滅亡に至る長大な歴史を読み解くことができるはずだ。コロッセオでおこなわれた「剣闘士試合」や、公衆浴場「テルマエ」といった、映画や漫画の題材になったものについても、そのルーツに迫ることができる。

「ローマの歴史のなかには、人類の経験すべてが詰まっている」、政治学者の丸山眞男はそう言った。私たちは、歴史から多くを学ぶことができる。ローマを理解することで、日本という国が歩むべき道を考えるきっかけとしていただきたい。

ライター画像
香川大輔

著者

本村凌二(もとむら りょうじ)
東京大学名誉教授。博士(文学)。専門は古代ローマ史。1947年、熊本県生まれ。1973年、一橋大学社会学部卒業。1980年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。東京大学教養学部教授、同大学院総合文化研究科教授を経て、2018年3月まで早稲田大学国際教養学部特任教授。『薄闇のローマ世界』でサントリー学芸賞、『馬の世界史』でJRA賞馬事文化賞、一連の業績にて地中海学会賞を受賞。著作に『多神教と一神教』『地中海世界とローマ帝国』など。

本書の要点

  • 要点
    1
    自由を重んじるローマは共和政を採用し、最終的には必ず勝利を収める強力な軍事力を背景に、帝国へと成長した。
  • 要点
    2
    ローマは貴族が持つ財力を背景にその力を保っていた。持つ者が持たざる者に与える、「パトロヌスとクリエンテス」という貴族と平民の従属関係がその根底にあった。
  • 要点
    3
    皇帝によって「パンとサーカス」が与えられ、パクス・ロマーナを享受したが、五賢帝亡きあとローマは次第に分裂し、老衰するように滅亡した。

要約

ローマの強さとは

ローマ帝国が採用した共和政
Andrea Colarieti/gettyimages

「共和政」で知られるローマの政治制度だが、建国当初は「王政」だった。ローマという名の由来ともされる初代国王の名はロムルス。神話によるとロムルスは、トロイア王家の血を受け継ぐ王女と軍神マルスの子とされている。その後、7代にわたり王政が続くが、次第に傲慢になってゆく王に不満を抱いた貴族が反旗を翻し、紀元前509年、王政から共和政へと移行することになる。

ローマが共和政を選択した背景には、自分たちは自由民である、という強い意識があると考えられる。だからこそ、一人の独裁者に自由を侵されることを警戒し、共和政が約500年ものあいだ維持されたのだ。

ローマの共和政は、立法、行政、司法という三権分立が確立されている現代の「共和制」とは異なる。ローマ市民(平民や貴族)で構成される議決機関「民会」が選出する「政務官」が行政・軍事の執行を担うものの、有力貴族で構成される「元老院」が大きな力を持っていた。

自由を尊ぶローマ人の意識を象徴しているのが、政務官の最高職「執政官」が原則2人とされたことだ。非常時においては、指揮系統を一本化するために「独裁官」が期間限定で任命されることもあったが、特定の人物に権力が集中することを避ける意向が反映されているといえる。

ローマとほかの国では、国の拡大方法も異なっていた。当時の地中海地域では、国土の拡大は「植民」だったため、植民地は完全に独立した別の国となる。しかし、ローマの拡大方法は、国土と地続きの土地を自分たちの領土にしていくというやり方だった。自分たちはローマ人であるということが根底にあり、どこにいても祖国を強く意識していたことが、ローマが強かった最大の理由だろう。したがってローマの共和政とは、「共和政軍国主義」といえる。

ローマ軍とは何だったのか

ローマが大帝国を築き上げることができたのは、戦いに負け、失敗することがあっても最終的には勝利を勝ち取ってきたからだ。その強さの理由はいくつか挙げられる。

まず、軍紀(規律と風紀)を乱す者には厳正な対処をおこなったことだ。これには独裁を避ける意図もあったのだろう。また、戦場に合わせて組織的かつ臨機応変な戦法を採用していたことも大きい。こうした軍を構成する兵士の装備は自前が基本だが、戦法の都合で中隊が中心となることで軽装となり、ローマの下層市民たちも国防に参加できるようになった。戦争に参加する市民は国防の担い手であるという自負を持ち、一人ひとりが強い熱意と誇りを持って臨んでいたのだ。

敗戦将軍であっても受け入れたことも、ローマ軍の強さとなった。その代表例が、第2次ポエニ戦争におけるカンナエの戦いで、わずか1日にして7万もの死者を出して大敗北を喫したウァッロ将軍である。敗戦将軍は屈辱によりすでに十分な社会的制裁を受けている。最後まで戦い抜いたものの結果的に屈辱を経験した人間は、その失敗から学ぶため、次の機会にはそれまで以上の力を発揮すると考えたのだ。再起のチャンスによって最後には勝利をつかむのである。

そうして、ローマに敵対する国々を潰し、将来の禍根を断つことで、ローマは「帝国」へと成長していった。

ローマ帝国拡大の中で

ローマの貴族
piola666/gettyimages

ローマの貴族は「パテール(父親)」を語源とする「パトリキ」から始まったとされ、家柄が重視されていたが、次第に、平民でありながら国家の要職に就く人が増えていく。そうして、選挙で公職に選ばれた平民の中でも、富を蓄える者が現れはじめた。

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要約公開日 2022.02.02
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