ファストフードは単なる食べ物ではない。私たちの文化を作り出したものだ。
文化は世界の見方を作る。社会でどう振る舞うか、自分をどう見るか、どんな自己表現をするか、どう他者と触れ合うか、何を信じるか。どんな服を選び、何を買い、何を売り、どんなビジネスを行うか、どう家を構えるか。建造物や公園、学校のありかた、娯楽、ジャーナリズム、政治。文化はあらゆる物事に影響し、私たちを導く。私たちはファストフード的な方法で食事をすることによって、栄養バランスを欠いた食事だけでなく、ファストフード文化の価値観をも飲み込んでいるのだ。そしていつの間にか、ものの見方や嗜好、倫理観、考えかたが、ファストフード文化の価値観に染まっていく。
いつでも入手可能であるべきだ。いつだって多いほうがいい。世界のどこにいても、季節がいつであっても、同じ見た目と味の食べ物があるべきだ。スピードは何より大事だ……こうしたファストフード的文化とそれがもたらす価値観は、この世界にさまざまな問題を生み出している。
「便利であること」は、すべてが努力なしに、簡単になされるべきだというファストフード的価値観だ。スマートフォンひとつでブリトーを玄関まで届けてもらえたり、車から降りることさえなしにチキンナゲットを買えたりする。
たしかに、便利さは暮らしを楽にした。だがひとたびその便利さに慣れると、私たちは簡単な方法や機械化されたやり方、アウトソースできる道を探すようになってしまう。植物を育てるといった、実用的で、難しいけれどやりがいのある行為に挑戦することもなくなる。
フードデリバリーサービスが広まったことで、便利さの次元がまた一段上がった。誰だってデリバリーに頼りたい日はあるものだし、感染症が広がる時代には欠かせない存在でもあったが、便利なものばかりに頼っていると人間として大切な経験が失われる気がしてならない。
なにより、便利なサービスによって生まれた時間を、私たちは何に使っているのだろう。
「いつでも同じ」は、どこに行っても同じ見た目で同じように存在し、同じ味がするべきであるというファストフード的価値観だ。ニューヨークで食べるハンバーガーとポテトとソフトドリンクは、世界のどこでもまったく同じでなくてはならない。
これは一見よいことのようにも思える。だが、あらゆる食べ物を画一的に生産しようとすると、そのプロセスでたくさんのものが失われるし、無駄も出る。個性が失われ、社会は同質的なものになっていくだろう。
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