救出

3.11気仙沼 公民館に取り残された446人
未読
救出
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3.11気仙沼 公民館に取り残された446人
未読
救出
出版社
河出書房新社
出版日
2015年01月26日
評点
総合
4.0
明瞭性
4.0
革新性
4.0
応用性
4.0
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おすすめポイント

東日本大震災の当日、著者の猪瀬氏は東京都の副都知事だった。著者や関連省庁の動きは、全くと言ってよいほど登場してこない。しかし著者とストーリーを繋ぐものは、東京消防庁のヘリの登場により本書の最後でやっと明らかになる。本書はあくまでも被災した方々に焦点を合わせ、彼らが目の当たりにした情景が、恐怖を抱くほどリアルに描写されている。

皆さんは気仙沼市の中央公民館に取り残された446名の救出劇をご存知だろうか。地震の瞬間、押し寄せる津波、海が燃えるかのような火事の恐怖、水や食料のない避難活動、そして偶然と努力が重なった救出劇。そのどの描写も被災者の視点で描かれ、その時々の不安や判断の迷い、人々の呼吸まで伝わってくるようである。

最後の章には、田原総一朗氏との対談が掲載されており、そこで初めて、救出のための情報が副都知事だった猪瀬氏の手許に届き、どのように震災に対応したのかが明らかになる。そして改めて、東京都という遠方から気仙沼市の中央公民館の救出を実現したことの尊さに感銘を受けることだろう。

震災から約4年が経ち、今でも被災時の情景のテレビ画像が鮮明な記憶として残っているものの、世の中の震災への関心は少しずつ風化していっている。だからこそ、このような迫真のルポタージュを通じて、震災を多くの人の記憶に焼き付け直す試みは、意義深いものである。そして、我々日本人は現実を理解した上で、震災からの復興に向けた努力をこれからもずっと続けていかなければならない。

ライター画像
大賀康史

著者

猪瀬 直樹
一九四六年長野県生まれ。八七年『ミカドの肖像』で第十八回大宅壮一ノンフィクション賞。二〇〇二年六月末、小泉純一郎首相より道路公団民営化委員に任命される。東京大学客員教授、東京工業大学特任教授などを歴任。二〇〇七年六月、東京都副知事に任命される。二〇一二年に東京都知事に就任、二〇一三年一二月、辞任。主著に、『ペルソナ 三島由紀夫伝』『ピカレスク 太宰治伝』『道路の権力』『道路の決着』(文春文庫)、『昭和16年夏の敗戦』『天皇の影法師』(中公文庫)、『猪瀬直樹著作集 日本の近代』(全十二巻、小学館)、『さようならと言ってなかった わが愛わが罪』(マガジンハウス)がある。

本書の要点

  • 要点
    1
    東日本大震災当日、いつもと変わらない日が始まったように思えたが、地震発生と津波の襲来によって、全く情景が変わってしまった。
  • 要点
    2
    気仙沼市の中央公民館に避難した住民は、互いに協力し助け合いながら、水も食料もほとんどない中で、余震、寒さ、火事の恐怖などと戦い、救助の時を待った。
  • 要点
    3
    中央公民館に避難した住民の家族がロンドンからツイートした内容が、猪瀬氏のツイッターに届き、奇跡の救出劇に繋がった。

要約

【必読ポイント!】上さあがれ!

scAner_KM/iStock/Thinkstock
時間との勝負「ここでも危ないかもしれない」

東日本大震災が起きた日の宮城県気仙沼市の日の出は五時五十五分、気温はマイナス三・七度。防災無線が「恋は水色」という曲を紹介した。そんな一日の始まりだった。気仙沼市の中央公民館と気仙沼魚市場との中間地点で、奥玉真大は酒屋「奥玉屋」を営む。魚市場は生鮮カツオの水揚げが日本一であるほど、日本有数の漁港を有していた。奥玉屋は漁師や付近の工場の従業員が、帰り際にちょっと一杯ひっかける場所だった。

あの日、奥玉は母校の南気仙沼小学校で、PL学園時代や社会人野球での経験談を後輩達に語っていた。午後の五時間目、授業を終え、午後二時前から校長と教頭と雑談していた時、地震が発生した。すぐ一年生の長男の教室に駆けつけ、先生の指示に従って避難するように指示、そして奥玉屋に戻り魚市場の様子を見るとハッとする。車の行き来がまったく絶えていた。急きょUターンするように中央公民館に向かう。

津波の予想は六メートルという。それであれば二日前の地震の際の予測と変わらないから大丈夫か。ところがラジオが津波は十メートルと予測を変更した。これはダメだ。

中央公民館の二階に駆け上がると、一景島保育所の園児らが避難している様子が目に入った。所長をしていた叔母の林小春を見つけた。「コーちゃん、こんなところにいたらダメだ。死ぬぞ。上さあがれ!」

一景島保育所の周辺には、魚市場や製氷工場や水産加工場が集中的に林立し、保育所の人気は高く定員は常に一杯だった。震災時に林は所長になって三年目だった。二日前の地震の際にも避難をしている。しかし、三月十一日の揺れは尋常ではなかった。そのため、林の判断は早く、まずお昼寝時間中の園児を落ち着かせ、園庭への避難を開始する。脱いでいた靴下は履かせず、素足のまま靴を履かせる。時間との勝負、と思ったからだ。

野球グラウンドを挟んだ先の中央公民館に誘導し、八分ほどで到着する。そして二階に避難していたその時、「上さあがれ!」の声が響いたのだった。

全てにノーを出す

中央公民館に保護者が駆けつける。そして、他の子の迎えに行こうという人、子供の安全を確認して帰ろうという人、外の車に携帯電話を取りに行こうとする人の全てに対して、林はノーを出すように統一した。「帰られては困ります」「子どもたちだけ、置いていかれても困ります」「子どもを連れて帰っても困ります」すでに引き波が起きており、いつ津波が来てもおかしくはないのだ。

奥玉は避難が長丁場になる場合に備え、奥玉屋まで水やカップ麺を取りに行こうと車に戻ろうとした。しかし、車でテレビの映像を見ると、フェリーが津波で岸壁を超える画像が目に入ってきた。これはダメだ、と思い車から飛び出すと既にひざまで水位があった。一景島保育所の向こうの二階建ての建物がバリバリと音をたてて崩れる。近くの道路を渡ってきた老夫婦の夫の五メートル後ろにはその妻がいた。奥玉は夫の方を抱きかかえ中央公民館の非常階段を上った。その時、津波の第一波の濁流が押し寄せる。一人助けるのが精一杯だった。

津波と笛の音

RomoloTavani/iStock/Thinkstock
津波の襲来

一景島保育所の林所長は、園児七十一人を中央公民館の三階に避難させた。三階にはようかんを斜めに切った形のホールの屋根、ベランダのような屋上、一部に小さな建屋という構造となっている。避難のため、四百六十人が集中すると定員を大幅に超え、ぎゅうぎゅう詰めの状態だった。

海側の窓から魚市場の方角を見ると、津波が長い屋根を越えて砕け、海水の色は真っ黒に豹変していた。何十台もの車が風呂の玩具のように浮き沈みする。

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要約公開日 2015.03.04
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