
生成AIに頼りすぎると、「身体知」を学べなくなる?
生成AIをはじめとするAIの進化と普及により、「これから、どんな能力を磨くといいのか?」といった問いと向き合うことが増えました。人間ならではの知性を鍛えるための具体的な実践のフレームワークとトレーニングメニューを解説した一冊が、『BRAIN WORKOUT ブレイン・ワークアウト』(KADOKAWA)です。 著者の安川新一郎さんは、マッキンゼーで戦略コンサルタントとして従事してきた経験や、ソフトバンクで孫正義さんのもとで働いた経験から、知的生産の重要性を実感し、多様な学問分野の学びをもとにそのトレーニング方法を編み出してきました。
これからの時代に「ブレイン・ワークアウト」が重要になる理由とは? AIと共存しながら、脳をアップグレードさせるための秘訣をお聞きします!
ライター・松尾美里
── 6つのブレインモードを鍛える「ブレイン・ワークアウト」とは何でしょうか?
アスリートは高いパフォーマンスを出すために身体を鍛えますよね。それと同じように、脳を鍛えてアップデートさせるのが「ブレインアスリート」という存在であり、その鍛え方が「ブレイン・ワークアウト」です。
生成AIが一気に台頭し、テクノロジーが圧倒的な正確性とスピードでアウトプットするようになりました。こうした時代に、私たち人間には何が残るのか? 人間ならではの知性を鍛えていくにはどうしたらいいか? こうした問いのもと、人類史・人体史を紐解きながら、自らの実践を融合させてできたのが、6つのブレインモードというフレームワークです。本書では、脳の働きを、人類の進化の過程にそって、「運動」「睡眠」「瞑想」「対話」「読書」「デジタル」の6つのモードに分けました。
── 6つのモードはそれぞれどのような特徴をもつのですか?
まず「運動」「睡眠」は人類の誕生から欠かせない、生命としての基礎的な部分。たとえば昨今話題になっている『運動脳』(アンデシュ・ハンセン)では、運動がストレス回復や脳の働きにもよい影響を与えると書かれていますね。
「瞑想」はムハンマドやブッダが、「今・ここ」への意識の集中と観察を通じて、世界との一体化をめざすようなモード。「瞑想」が自己との対話だとすれば、「対話」は他者との対話を通じて、自らの意識を共有し、世界認識を広げていくモードです。
そして、印刷革命によって書物が普及し生まれたのが「読書」。本と向き合い、深く長い思考を培うモードです。最後の「デジタル」は、デジタルツールを活用してアウトプットの可能性を広げるモードのことです。
本書では、各モードの特徴と、そのトレーニングメニューや先人たちの実践例をまとめました。たとえば、睡眠モードなら「深い睡眠で記憶を固定化し、浅い睡眠で感情を整理する」、読書モードなら「紙の本に徹底的に書き込むことで著者と対話する」といった具合です。脳を鍛えることでより善く生きられる。そんなメッセージをこめた本書は、「人間の知的生産」に関する長年の知的好奇心の集大成といえます。



── 安川さんが知的生産や人間特有の知性に着目したのはどのような背景からでしょうか?
野中郁次郎さんが『知識創造企業』で語っていたように、知識が新たな価値を生む社会になって数十年経っています。また、知的生産のなかでも、ロジックやデータより、センスやストーリーのように定量化できないもの、幅広い教養が必要になるという言説が増えてきました。こうしたことから知的生産に注目し、コロナが流行する約3年前から、知的生産に関するnoteを書き留めていきました。
参考にしたのは、知的生産のバイブルとして長く読み継がれている梅棹忠夫さんの『知的生産の技術』や、外山滋比古さんの『思考の整理学』。いずれも情報化社会における「頭の使い方」に関する洞察が実に普遍的で、いまも充分通じるものです。
いまはメモを管理するアプリやクラウドサービスも豊富なので、それらを活用して、「知的生産の技術」を現代風に試してきました。




── 本書で驚いたのが、私たちはデジタルツールを際限なく利用することで、デジタルモードに偏ってしまい深い思考ができなくなっているという点でした。この点について詳しく聞かせてください。
デジタルツールは知的生産を効率化してくれるので、活用していくべきです。ただし、注意力(アテンション)を奪うというリスクに気をつけないといけません。たとえば、スマホは目に入るだけで気を散らせるので、スマホを使わない時、眠る時は別室に置いたほうがいいといわれるほどです。
私たちの脳は、狩猟民族だった頃、あらゆる危険にすぐさま対応できるよう刺激に対して集中し、かつ同時に意識を分散させてきました。ですが、刺激が多すぎる現代ではそれが集中力を失わせる原因になっています。また、通知がくるたびに、色んな画面をどんどん切り替えてそれらに反応しているほうが、一冊の本を読みきるために複雑な論理を追うよりもラクなんですね。
SNSでは、見たい情報だけが出てきて、極端な意見に流れてしまいがちですし、匿名性も相まって、特定の人をたたいたり陰謀論を信じたりしてしまう。こうして、自分の意見をもたずに、流れてくる情報に反応するだけで人の役に立った気になることを「スラッカー(怠け者)」と「アクティビズム(社会活動)」をかけあわせて「スラックティビズム」といいます。
しかも、デジタルツールは私たちを夢中にさせる力がある。そのため、ついデジタルモードに時間を多く割いて、スマホ中毒になりかねない。6つのブレインモードのバランスがいびつになっているのが現代なんです。
── こうした問題の解決策は何ですか?
デジタルモードに浸かっていると、読書モードに影響を与え、深い批判的思考ができにくくなってしまいます。これは、認知神経科学を専門とするメアリアン・ウルフがデジタルモードの「にじみ効果」と呼ぶものです。情報量が膨大になって負荷がかかると、情報の取り込みや長期記憶への貯蔵が難しくなって、結果として情報をざっと見る習慣がつき思考が浅くなってしまうのです。私自身、読書が好きなのに長い本を読みきるのが以前よりも難しくなっているように感じることがありましたが、この現象も「にじみ効果」の1つです。
重要なのは、読書モードとデジタルモードの役割を理解して、切り替えること。読書モードとデジタルモードの切り替えを「バイリテラシー脳」と呼びます。2つのモードを意識的に使い分けることで、質の高いインプットと効率的なアウトプットを両立できる。たとえば、生成AIを「セカンドブレイン(第2の脳)」として使えば、私たちの脳の短期記憶と長期記憶の限界を突破して、知的生産を効率化できます。
── ブレインモードの使い方の優先度に迷ったときの対処法はありますか?
生物としての古い脳の働きを優先するとよいでしょう。運動と睡眠は最優先で、その後に瞑想して、少数の人との対話の時間をしっかりとる。次に読書の時間を確保して、最後にデジタルデバイスでアウトプットするという具合です。
ただし、デジタルモードもうまく活用すべきだと思います。私の実践例でいうと、NHKの「100分de名著」のデジタルアーカイブを併用して古典にふれることで、難しい古典の読書も効率的に行っています。フライヤーのようなネットのサービスで要旨を理解した後に紙の本を購入して深く読み込む、SNSやZoomをうまく活用して、世界中の仲間と対話をする、デジタルデバイスで運動・睡眠モードの状態をモニターするなど、デジタルモードをうまく活用して他のモードの効率と効果を高めることは可能です。



── ブレイン・ワークアウトがAIと共存する時代において重要になる理由は何でしょうか。
ネットが普及する前の仕事風景を思い出すと、手書きで思考整理をするのが普通でした。ですが、過去の英知や論理的思考力の結果を簡単に得られるようになると、それらに頼って、手を動かすことが減っていく。すると、プロフェッショナルたちが知の探究に向けて行ってきた「身体知」を学ぶ機会がなくなる恐れがあります。しかも、生成AIが究極的なのは、人間が「考えなくなる」という状況にまで至らせる可能性がある点です。
デジタル化によって情報の選択肢が広がり多様性が増したといわれますが、そうではなく、むしろ単一の解を求めて答え合わせに走るのではないか、と思います。ネットやAIを利用してすぐに最適解を探すようになり、拡散ではなく収斂に走ってしまうのです。入社式を例にとると、1980年代はみんな多種多様なスーツを着ていますが、今はほぼダーク系のスーツで画一化されていますよね。
そんな時代に必要なのは、あえて非効率なことも不器用にやってみること。自分で書いた原稿に赤字を入れてもらって、直して、少しずつ磨き上げる。そのくり返しによって、深く思考してアウトプットすることを、身体知として習得できるのではないでしょうか。コンサルタントの世界でも、新人のうちはこうした機会を得るために徒弟制度が必要だという話も出ていますが、最初は無駄とも思える試行錯誤が必要でしょう。
── デジタルモードとうまくつき合う必要性をひしひしと感じました。
そうですね。興味深いことに、デジタルに精通している人ほど、テクノロジーの利用を制限し、バランスをとろうとしています。スティーブ・ジョブズは、自分の子供にはiPadを使うのを厳しく制限したといいます。ビル・ゲイツも、子供が14歳になるまでスマホを持たせなかったといいます。くわえて、半年に一度シンク・ウィーク(Think Week)を設けており、デジタルツールから離れて読書に集中しています。創造性はデジタルツールでエンパワーされますが、深い思考は読書モードによって培われるのです。
古代ギリシアのソフィストが弁論術を学んでいた時代、ソクラテスは思考を文字にすることをマイナスにとらえて、自分の教えを一切文字で残しませんでした。時を経て印刷革命が起きたとき、哲学者のショーペンハウエルは、「本が世にあふれたら、自ら考えるのをやめて、人の思考をそのまま話すようになる。だから古典以外は読むな」と警鐘を鳴らしました。当時は急に本があふれて、選書のノウハウもなく混乱していたんでしょうね。でも、図書館や百科全書などが整備されて、人々は良い読書体験との適切な距離感を見つけていきました。
面白いのは、ソクラテスが文字を否定したことも、ショーペンハウエルが大量の本の流通を心配したことも、ジョブズがデジタルツールの利用を制限したことと本質は同じということ。つまり、新しいメディアや技術が生まれると、歴史上混乱が起きてきたけれども、人類はそのたびに脳のバージョンアップの過渡期を試行錯誤して通り抜けてきたのです。そう考えると、AIの台頭する現在も、「AIが仕事を奪うのでは」と過度に心配したり、AIの利用をやみくもに禁止したりする必要はないといえます。今の脳のモードの大切さを理解し新しいテクノロジーと一定の距離感をもちながらそれらを前向きに活用することが大切です。

── 安川さんの人生観や探究テーマに影響を与えた本は何でしたか。
大きな衝撃を受けたのは、『人体六〇〇万年史』という本です。人類の身体の進化史をさかのぼることで、森を追われた弱いサルがホモ・サピエンスとして唯一ホモ属として生き残る過程を解き明かしていきます。また、もともと狩猟採集民族だった人類の身体とその後の文明による行動変容とのミスマッチが様々な疾病の原因であることを明らかにしています。ヘルスケアベンチャーの投資をしていた頃に読みましたが、予防医療の本質は「本来の体が求めているもの」を取り込むことだと学びました。たとえば、ストレスを溜め込まないとか、必要以上に食べないとか。こうした狩猟民族時代の生活を忘れないことが大事だと腹落ちしました。私たちの祖先のあり方を知れば、現代を生きやすくなると学びましたね。
人類史への興味が強まるなかで出合ったのが、ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』です。国家、貨幣、企業といった「虚構(フィクション)」を信じる力がホモ・サピエンスに文明をもたらした。そうした「認知革命」に焦点を当てた世界的ベストセラーです。圧倒的な情報量で、この本がもっと早く世に出ていればよかったと思いました。




3冊目は、遺伝子解析サービスを行うジーンクエストのファウンダー・高橋祥子さんの『ビジネスと人生の「見え方」が一変する 生命科学的思考』です。これは、生命科学の知見をビジネスや他者とのコミュニケーションにとりいれることの大切さを説いた本です。
私たちの根っこには、生命に共通した原理原則が存在します。それは「個体として生き残り、種が繁栄するために行動する」というもの。この原則によって、個人の人間関係や組織の問題の説明がつきます。たとえば、人から理不尽な怒りをぶつけられても、「怒りの感情は敵に対応するために存在するもの。危険を感じたらコルチゾールが分泌されて交感神経が優位になるのは、生命として生き延びるための原則が働いているから」とわかれば、そのつらさが緩和するでしょう。


── 安川さんは年間100冊以上の本を読んでいらっしゃいます。学問分野を横断しながら「知を体系化」していく原動力は何でしょうか?
やはり探究心や知的好奇心からでしょうか。変化の激しいICT業界に長くいる私が向き合ってきた問いは、「そうはいっても人間はそんなに便利に変わらないのでは?」という問いです。もちろん、ブレイン・ワークアウトの実践などでも脳を鍛えられますが、本質的な悩み・悲しみ・喜びは大きく変わりません。人間関係の悩みも、私たちの祖先の進化の過程で自分としての心や意識を得た結果生まれたのだと知れば、現状を客観視しやすくなり、生きやすくなると思うんです。だからこそ、古典を自分なりに現代の文脈に合うように翻訳して実践に落とし込んでいくことに意義を見出しました。
私はブレインモードのどの分野も専門ではありません。ですが、一人のビジネスパーソンとして各分野を独学してきたことを、自分なりにできるだけ誠実にまとめてきました。自分自身をアップデートさせて、よりよい未来を築きたいと考える方々が、この「探究と実践の書」を気になるところから開いて、活用していただけたら嬉しいですね。







安川新一郎(やすかわ しんいちろう)
東京大学未来ビジョン研究センター特任研究員、グレートジャーニー合同会社代表。
1991年、一橋大学経済学部を卒業後、マッキンゼー・アンド・カンパニーへ入社、東京支社・シカゴ支社に勤務。99年、ソフトバンク株式会社に社長室長として入社、執行役員本部長等を歴任。2016年、社会課題を解決するコレクティブインパクト投資と未来社会実現の為の企業支援に向けグレートジャーニー合同会社を創業。これまで東京都顧問、大阪府・市特別参与、内閣官房政府CIO補佐官、公益財団法人Well-being for Planet Earth共同創業者兼特別参与等での取り組みを通して、行政の現場や公益財団活動からの社会変革も模索している。