「パプアニューギニア海産」は、社員2名、パート従業員9名の小さなエビ工場だ。パプアニューギニアの天然エビを、鮮度の高いまま冷凍して輸入し、むきエビやエビフライに加工している。
同社は、一人ひとりが自分の生活を大事にして、生き生きと働く、言うなれば「生きる職場」をめざしている。
そのために、著者が心がけているリーダーとしての在り方は、従業員に働きやすさを提供し、個々の能力を発揮できる職場にすることだ。「人を管理する」のではなく、人を縛らずに少しの秩序を保つことにこそ、効用があると考えているという。
個々の自主性が大事にされることで、従業員の気持ちが前向きになり、結果がついてくる。そうなるように、会社はひたすら職場環境や人間関係を整え、誰もが居心地がいい状態を作るようにしている。
工場でおこなっている実践のひとつが、「フリースケジュール」という制度だ。パプアニューギニア海産のパート従業員は、好きな日の好きな時間に出勤する。出勤も欠勤も、連絡の必要はない。
また、「嫌いな作業はやらなくてよい」というルールも、取り組みのひとつだ。エビの加工にはさまざまな工程があるが、そのうち好きな作業だけやればよい。
こうした、通常の会社運営から考えると非現実的とも思われる方策を実現した結果、パプアニューギニア海産にはプラスの循環が生まれた。
まず、離職率が低下した。パート従業員が辞めなくなったことで、求人広告を出す費用もかからなくなった。それから、常に熟練したパート従業員に作業をまかせられるようになったため、商品品質も向上した。
また、パート従業員の定着率が上がったことにより、一人ひとりの動きに無駄がなくなり、チームワークも改善され、生産効率も上昇した。しかも、従業員の離職が頻繁だった頃より、パート従業員の人数は減っているので、人件費も減少している。
なにより、従業員一人ひとりが臨機応変に物事を考え、高いモチベーションで自主性を持って働くというふうに、意識が変わったことが大きい。このことがすべてのプラスの循環のもとになっている。
もちろん、方策は導入当初からすべて順調にすべりだしたわけではない。初めはサボる人もいたというが、著者は「働きやすい職場を本気で作っていきたいから、みんなを信じてルールを作っていく。だから裏切らないでほしい」ということを繰り返し伝えたという。そのことで、会社と従業員の間に信頼関係が築かれたことが、施策の成功に大きな役割を果たしたと著者は考える。
かつての著者は管理思考で、従業員とは温度差があり、存在していたパート従業員の派閥すらも競わせて売上向上に利用しようと考えていたという。だが、そうした考え方が変わったきっかけとなったのが、東日本大震災だった。
以前のパプアニューギニア海産は、宮城県石巻市にあった。だが、東日本大震災による津波で、工場や倉庫は全壊。その後に起こった福島第一原発事故は、小さな子どもを抱える著者たち家族に、宮城を去ることを決断させた。そして著者は、取引先との縁もあり、大阪で再建することを決めた。
石巻で、パート従業員らに解雇を告げる最後の話をしたとき、著者の胸に、「最後まで親しく話ができなかったのが残念だった」という思いが残った。
後悔の思いを持ちながら大阪で再出発をした著者だったが、またしても同じ過ちを繰り返してしまった。主に事務方を担っていた著者は、工場の現場を理解しようとせず、パート従業員との溝は深まり、工場長は辞めてしまった。自分が工場長を務めることになり、現場のパート従業員と話して初めて、誰も会社を好きではないことに気づいて愕然とした。
ここまできてようやく、著者の目が覚めた。震災以降、ずっと問い直していた「生きる」ということが、目をそらし続けていた「働く」ということとつながった。そして、パプアニューギニア海産は、従業員たちが生きるための職場になれているのか、という思いがあふれ出た。答えは明確に、否だった。
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