本書の主人公は、35歳の青野。上納アンナ(以下、アンナ)の才能に惚れ込み、彼女が社長を務めるテクノロジーカンパニーで働いている。
あるとき週刊誌に、アンナのネガティブな面を強調したインタビュー記事が掲載されてしまう。社員たちからは「上納アンナは死んだ」という発言が聞かれるようになり、彼女の才能を信じ続ける青野は、社員たちから冷ややかな目で見られるようになっていた。
天才が今、殺されようとしている――だが青野には、どうすることもできない。その無力さに落胆しながら深夜の渋谷を歩いていると、ハチ公像が目に入った。犬のように愛される存在になれる秘訣があるなら、ぜひ教えてほしいものだ――思わずそう呟くと、なんとハチ公像が話しかけてきた。しかも「その願い、叶えてやるワン」と言うではないか。こうして、秋田弁混じりの関西弁を話すハチ公と青野の暮らしがはじまった。
本書は、青野がハチ公からアドバイスをもらいながら成長していくストーリーだ。
ハチ公によると、人には「天才」「秀才」「凡人」の3種類がある。
天才は、独創的思考にすぐれ、その人にしか思いつかないようなプロセスで物事を進められる人。秀才は、論理的思考が得意で、システムや数字、秩序に基づいて堅実に物事を進められる人。凡人は、感情やその場の空気を大切にしつつ、相手の反応を予測しながら動ける人だ。
青野は凡人タイプだが、心の底では天才に憧れを抱いている。ハチ公はその気持ちを理解しながらも、「天才は変革の途中で、凡人に殺されることさえある」という。
凡人にとって、成果を出す前の天才は、コミュニティの和を乱す存在に見えるのだ。そして天才をコミュニティから追い出そうとする。ここに天才と凡人の「コミュニケーションの断絶」が存在しているわけだ。こうして天才は、凡人に殺されてしまう。
コミュニケーションの断絶は、軸と評価の2つで起こる。軸は絶対的で、その人が「価値」を判断する前提となるものだ。一方、評価とは、軸に基づいて良し悪しを評価することだ。これは相対的であり、相手の考え方に共感できるか否かで決まる。
例えば、あなたはサッカーが好きで、友人は嫌いだとする。ここでコミュニケーションの断絶が起こったとしたら、それは「評価」が原因だ。評価は相対的なものだから、あなたが鹿島アントラーズの魅力を夜通しプレゼンし、それに友人が共感したら、評価は変わる。
一方で、「軸」は変化しない。だから「軸が異なること」によるコミュニケーションの断絶は、ほとんど平行線だ。
天才と秀才と凡人は、この「軸」が根本的に異なる。天才は「創造性」という軸で物事を評価する。秀才は「再現性」で、凡人は「共感性」による。3つのタイプによってそれぞれ異なる「軸」。これこそが、コミュニケーションの断絶を引き起こしている。
凡人は天才よりもはるかに多く存在する。だから凡人は、「多数決のナイフ」によって天才を殺し得る。AirbnbやUber、iMacなどの革新的なサービスが凡人によって叩き潰されそうになったのも、この「軸」の違いによるものだ。
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