怯まず前へ

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出版社
出版日
2019年11月27日
評点
総合
3.5
明瞭性
4.0
革新性
3.0
応用性
3.5
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おすすめポイント

「見ている人を感動させるものランキング」があったとしたら、スポーツはその上位に入るであろう。私は、ルールをよく知らないのと、楽しみ方がわからないという理由で、限られたスポーツしか観ないのだが、新年の箱根駅伝はつい観てしまう。選手たちは年末年始の休みを返上して練習に打ち込み、レース当日は寒さの中、長い距離をひた走る。その日のために、一体どれだけの努力を重ねてきたのだろうか。努力の末に、ゴールテープを切って、優勝チームがワッと湧くあの瞬間が訪れる。

著者、酒井俊幸氏は、東洋大学が箱根駅伝で初優勝した3ヶ月後に陸上競技部の監督に就任する。その頃は、まだまだ駅伝の強豪としての道を歩み始めたばかりで、チーム内の体制もあまり整っていなかったそうだ。

本書では、著者が監督就任後10年の間に実践してきたことが、「チーム作り」「チームワーク」「采配」「体調管理」「世界への意識」「フィジカルトレーニング」の6つの章に分けて語られている。スポーツ指導者はもちろん、ビジネスなどでチームを統率する立場の人にもおすすめだ。

また本書は、舞台裏ドキュメンタリー的な要素もある。「もうひとつの箱根駅伝」や、種目は変わるが「熱闘甲子園」「最後のロッカールーム」などのように、選手たちの熱い想いに胸を打たれること請け合いの一冊だ。

著者

酒井俊幸(さかい としゆき)
東洋大学陸上競技部 長距離部門監督。
1976年福島県生まれ。学校法人石川高等学校卒業後、東洋大学経済学部に入学。大学時代には、1年時から箱根駅伝に3回出場し、4年時にはキャプテンを務めたが、貧血や度重なる故障に悩み、4年時の箱根駅伝は欠場する。大学卒業後、コニカ(現・コニカミノルタ)に入社。2001年から2003年まで全日本実業団駅伝3連覇のメンバーとして貢献。V2、V3のアンカーとして胴上げも経験、強豪となったコニカミノルタを支えた。選手引退後は、母校である学校法人石川高等学校で教鞭をとりながら、同校の陸上部顧問を務めた。
2009年より、川嶋伸次監督の後任として、32歳で東洋大学陸上競技部長距離部門の監督(現職)に就任。就任1年目で、箱根駅伝に出場した大学の監督の中では最年少ながらチームを優勝に導くという快挙を達成する。その後もチームの育成に尽力し、箱根駅伝では、優勝3回、準優勝5回、3位2回、あわせて10年連続3位以内という成績を達成。 また、学生三大駅伝(出雲、全日本、箱根)すべてで優勝を経験。実業団、教員の経験を生かした「チームづくり」「選手の育成」で、東洋大学を常勝チームへ導く。
指導方針としては、「世界と戦える選手育成」を掲げ、ロンドン・リオ・東京五輪に選手を輩出。設楽悠太は16年ぶりにマラソンの日本記録を更新し、服部勇馬は2020年の東京五輪の代表を決めるMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)において準優勝、代表の座を内定させた。また、競歩でも世界レベルで活躍する選手たちを多数育成。リオ五輪で男子20km競歩において7位入賞を果たした松永大介や、ロンドン五輪で男子20km競歩に出場した西塔拓己、東京五輪に内定している男子50km競歩の川野将虎などがいる。
著書に『その1秒をけずりだせ 駅伝・東洋大スピリッツ』(ベースボールマガジン社)がある。

本書の要点

  • 要点
    1
    清掃が行き届かず、部屋などが汚れているのは、心が乱れているからだ。清掃、挨拶、素行などはすべてつながっていて、それらは競技にも表われる。
  • 要点
    2
    エースの力に頼りすぎてはならない。次期エースを育てつつ、エースの力を活かすチーム作りが大切だ。
  • 要点
    3
    選手ならば、レースに出場したいのは当然のことだ。しかし、故障していたり、体調不良を抱えたまま無理して走ったりするのは、チーム・仲間のための使命感と責任感が足りず、かえって自分の名を落とすことになる。

要約

【必読ポイント!】 選手たちの心構え

すべて結果につながっている
Lina Moiseienko/gettyimages

2009年4月、著者は東洋大学陸上競技部の監督に就任した。同年1月の箱根駅伝で初優勝したすぐ後のことだ。

当時は、箱根駅伝の優勝に貢献した2年の柏原竜二がエースとしてチームをけん引していた。だが、主力メンバーが卒業したこともあり、チームは発展途上であった。

著者は監督就任後、埼玉・川越キャンパスにある陸上競技部の寮に家族と共に引っ越した。初めて寮に足を踏み入れた日、寮内の乱雑さに驚いた。監督不在で、統括する立場の人や汚くても注意する人がいなかったからだ。優勝トロフィーや盾は飾られておらず、ただ置かれたり積み上げられたりしている有様だった。誰も優勝を予想していなかったのだろう。

清掃がきちんとなされていなかったり、玄関が汚れていたりするのは、心が乱れているからだ。そこで、まずは著者を含めた全員で寮内を片付けることにした。同大学の硬式野球部は全日本大学野球選手権で4度の優勝経験のある強豪で、彼らの寮は整然とされていて、部員も挨拶がしっかりできていた。生活態度と競技実績、チーム力は比例するもので、それはどの競技でも同様だ。学業、清掃や挨拶、顔つきや素行は24時間つながっていて、すべて結果に出てしまうのである。

エースを活かす
oatawa/gettyimages

箱根駅伝の3連覇に挑んだ2010年度は、著者にとってもチームにとっても大きなターニングポイントだった。この年は、双子の設楽啓太・悠太兄弟などの有力な1年生が入学した一方で、エースの柏原が不調だった。柏原は心身の疲労によりスランプに陥っていたが、著者は焦らず、彼を信じて「大丈夫だ」と言い聞かせていた。

三大駅伝の初戦である出雲駅伝では、初めて柏原を起用せず、結果は4位。次の全日本駅伝では柏原を2区に起用したが、本来の躍動感ある走りが見られず区間4位、最終的なチームの順位は3位に終わった。だが、3年時まで駅伝の経験がなかった本田勝也が良い走りを見せ、彼の頑張りがチーム全体を救った。

柏原は年明けの第87回箱根駅伝(2011年)に向けて徐々に調子が上がっていった。そのタイミングで、出雲駅伝と全日本大学駅伝を制した早稲田大学の主力メンバー2人がケガをし、箱根駅伝に出られないことがわかった。それを受けた東洋大は「柏原の調子が上がっているから大丈夫だろう」と気の緩みが出てしまった一方で、早稲田大は欠場者の穴を埋めるために結束した。その差が、箱根駅伝の前半の攻防に表れることとなった。

1区では、早稲田大の大迫選手が早い段階で飛び出し、東洋大の川上遼平は8位と大きく差をつけられた。著者が区間配置に悩み、彼にそれを伝えるのが遅くなってしまったせいで、心の準備が十分にできなかったのだろう。監督が区間配置に迷うと、たいてい良い結果をもたらさないものだ。

東洋大は2区から5区で巻き返し、僅差で早稲田大を逆転して往路優勝を果たす。だが翌日の復路では早稲田大に逆転を許し、2位に終わった。

「エースを活かすチームと、エースに依存するチームではまったく違う」。この教訓から、

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要約公開日 2020.02.23
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