代表的日本人

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代表的日本人
出版社
岩波書店
出版日
1995年07月17日
評点
総合
4.3
明瞭性
4.5
革新性
3.5
応用性
5.0
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おすすめポイント

キリスト教思想家としてその名を知られる内村鑑三が、明治時代に西欧社会へ向けて英語で著した、“Representative Men of Japan” の和訳本である。西郷隆盛、上杉鷹山(うえすぎようざん)、二宮尊徳、中江藤樹(なかえとうじゅ)、日蓮の5人の生涯と思想、そして、彼らがいかにして優れた仕事を成し遂げたのかを語る。

5人の「代表的日本人」の魅力は、現代においても色あせない。どのような人間性が人を惹きつけるのか。どのような思想をもって社会のなかで生きるべきか。どのようにすれば、人々を率いて事業を成功させられるのか。そうした問いに対する答えを、彼らの生きざまは示している。指導的立場にあるビジネスパーソン必読の1冊だ。

ここでは、維新の豪傑である西郷隆盛と、米沢藩の貧しい財政と土地をよみがえらせた上杉鷹山の2人にしぼって、少し詳しくまとめたい。

内村鑑三はもともと本書を、日清戦争時に、その戦争が「義戦」であることを世界へ説くために書いた。しかし、のちにその態度を激しく恥じ、「非戦」の立場で、内容を修正した。ただ、西郷隆盛の章には特に強く、戦争を肯定する意識の名残がみとめられる。そうした部分は現代の意識にそぐわないかもしれないが、西郷隆盛の章は、今でも日本人に「西郷さん」と親しまれるほどの彼の人柄の魅力が描かれ、示唆に満ちている。また、西郷隆盛の時代だけでなく、内村鑑三の時代にも思いをいたすことのできる、意義深い章でもある。そのため、このたびにおいてもぜひ紹介してみたい。

ライター画像
熊倉沙希子

著者

内村鑑三(うちむら かんぞう 1861~1930)
明治大正期のキリスト教伝道者、思想家。無教会主義の創始者。
高崎藩士の息子として江戸に生まれる。札幌農学校入学後、W.S.クラークに感化され、洗礼を受ける。卒業後渡米し、アマースト大学、ハートフォード神学校に学ぶ。1890年、第一高等中学校講師に着任するが、翌年、教育勅語奉戴式で勅語に敬礼をためらい、不敬事件として職を追われる。以降、著述の生活に入り、『基督信徒の慰め』『求安録』(ともに1893年)、『余は如何にして基督信徒となりし乎』(1895年)などを著す。1897年「万朝報(よろずちょうほう)」記者になり、1900年雑誌「聖書之研究」創刊。
足尾鉱毒事件では、社会正義を追求する立場から反対運動に加わった。日清戦争で義戦論を説いたことを恥じ、日露戦争時は非戦論を唱えた。キリスト教に関しては、聖書の研究・講解と信仰そのものに重きを置く無教会運動を展開した。

本書の要点

  • 要点
    1
    人を愛し、人のためを思う人は、よく人に愛される。それは人のために事業を行い、それを成し遂げることにつながる。
  • 要点
    2
    贅沢はつつしみ、しかし人のため、公共のためには惜しまず投資せよ。
  • 要点
    3
    富のために富を得ようとすると失敗する。人の幸福を思って行動してこそ富がもたらされる。

要約

【必読ポイント!】西郷隆盛――新日本の創設者

dutch iconaA/iStock/Thinkstock
誕生と、啓示

江戸末期、薩摩藩に生まれた西郷隆盛は、大きな目と広い肩をもつ大男になった。筋肉隆々、相撲と山歩きを好んだ。

彼が影響を受けたのは陽明学で、それは崇高な良心を教え、恵み深くも厳しい「天」の法を説く。「天の道を行う者は、天下こぞってそしっても屈しない」「すべてを天のためになせ」など、西郷の残した言葉には「天」が頻出する。また、みずからの「情のもろさ」を抑えるため、禅にも興味を示した。

外部的な影響を受けたのは、藩主、島津斉彬(なりあきら)と、水戸藩の藤田東湖からだ。島津公は、はっきりした思想を持ちながらも時流に柔軟に対処することができた。そして「必要ならばあえて戦争をも厭わない平和の士」であることが、西郷と共通する点だった。藤田東湖は、正義の熱愛者であり、西洋を嫌悪していた。国家統一と、ヨーロッパ諸国に対抗するための領土拡張という目標は、彼との出会いによって西郷のなかで形になったのであろう。

維新革命

維新は、西郷が欠けては成就しなかったのではないか、と著者は述べる。彼のように器量の大きい者の精神そのものが、すべてを始動させる原動力となり、運動を作り出し、その方向を定めたと考えられる。

西郷の名が世間に知られたのは、熱狂的な勤皇主義者の学僧、月照との事件である。逃走中の月照を守りきれないとわかった西郷は、共に死ぬことを提案。二人は海中に身を投じた。異変に気づいた家来が二人を引き上げ、西郷だけが息を吹き返した。双肩に新国家をになっていた西郷だったが、友人への人情と親切の証として、みずからの生命も惜しまなかった。

倒幕勢力が手を結んだ薩長連合を経て、京都、伏見の戦いで戦争が始まった。西郷は沈着冷静な指揮官だった。徳川方は江戸に逃げたが、ほどなく江戸城は明け渡された。江戸城開城は、その後の意義から考えると、驚くほど安価に、効果的になされた革命だった。これを実現したのが西郷であり、このことは彼の偉大さを表している。

江戸において西郷が和平を決断する数日前、徳川方の筆頭家臣である勝海舟と、西郷は愛宕山の散歩に出かけたという。眼下に広がる「壮大な都市」を見て、西郷の「情」は深く動かされた。罪もない人々のためには和平をもたらさねばならない。西郷は強さの奥に、大きな優しさを持っていた。

朝鮮問題と、謀叛人としての西郷

ほどなくして新政府が樹立され、西郷は要職に就いた。しかし、同僚たちと西郷が袂を分かつときがやってきた。征韓論争が起こったときのことである。西郷は、ただ征服のための征服ではなく、日本がヨーロッパの「列強」に対抗するために、領土を拡張するという積極策を持つべきだと考えた。しかし新政府内での対立は深まり、彼は薩摩へ戻った。

彼の生涯でもっとも遺憾なのは、最期の時期である。西郷が反乱者と結盟し、新政府に刃向ったのは、西郷の生来の「情のもろさ」によるものではないかという考えは、有力な見方である。

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要約公開日 2014.07.08
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