著者は、心理学で広く使われている名称に従い、努力せずとも自動的に高速で働く「速い思考」をシステム1、複雑な計算など頭を使わなければ出来ない知的活動を行う「遅い思考」をシステム2と呼ぶ。システム1が行う活動はたとえば、「二つの物体のどちらが遠くにあるかを見て取る」「突然聞こえた音の方角を感知する」などがある。これに対し、システム2が行う活動には「レースでスタートの合図に備える」「人が大勢いるうるさい部屋の中で、特定の人物の声に耳を澄ます」などがある。
システム1とシステム2は私たちが目覚めているときは常に働いている状態だが、システム2の能力は通常ほとんど使われることはない。システム2は、自動運転するシステム1が処理しきれない問題に遭遇した時にのみ使われる。
システム1の下す直感的な判断はだいたいにおいて適切だ。が、物事をより単純化して答えようとするきらいがある上に(この単純化をヒューリスティクスと呼ぶ)、論理や統計がほとんどわからない、しかもスイッチオフできないという難点がある。
これに対し、システム2の下す判断は緻密で的確であり、システム1の衝動的判断を抑える働きをしている。であれば、システム1の判断を常に監視して肩代わりすればよいと思うかもしれないが、システム2の働きは遅くて効率が悪いため、その方法で判断の連続である日常生活を滞りなく送ることは難しいだろう。
システム2は怠け者でもある。システム1が提案した考えや行動を厳しくチェックしているかといえば必ずしもそうではない。その例証として著者が引き合いに出すのは次のような簡単な問題である。
バットとボールは併せて1ドル10セントです。
バットはボールより1ドル高いです。
ではボールはいくらでしょう?
多くの人の頭に閃くのはおそらく10セントという答えであろう。そして、計算してみればすぐにその答えが間違っていることにも気づくはずだ。それにも関わらず、直感的に10セントと答えてしまう人は非常に多い。この問題に回答した大学生は数千人にも上るが、なんと、ハーバード大学、マサチューセッツ工科大学、プリンストン大学の学生のうちの50%以上が間違った答えを出したのである。この結果は、多くの人にとって、システム1の直感を退けてシステム2を働かせることが非常に厄介だということを示している。
システム1の驚くべき仕組みの一つが連想活性化である。「バナナ」と「げろ」という二つの単語を見た時、この二つの単語は自動的に連結され、バナナが嘔吐の原因というような因果関係を形成する。さらに、嘔吐を引き起こす原因となる言葉にも普段より敏感になる。こうしたプロセスは連想活性化と呼ばれ、止めようとしても止められるものではない。これはシステム1の働きによるものである。
同様の現象としてプライミング効果がある。ある単語に接した時、その関連語が想起されやすくなるというものだ。しかも、プライミング効果は言葉だけでなく行動にも現れる。これを証明したジョン・バルフの実験では、5つの単語セットから4単語の文を作成するよう被験者に指示し、あるグループの単語にだけ高齢者を連想させるような単語(フロリダ、忘れっぽい、はげ、ごましお、しわ等)を混ぜた。文章作成を終えた後、次の実験に臨むため別の部屋に移動する際に、こっそりと各グループの移動速度を計測したところ、高齢者関連の単語をたくさん扱ったグループの歩く速度は、他のグループより明らかに遅くなっていたのである。
プライミング効果に関する研究から生まれた様々な発見は、「自分の判断や選択を行っているのは自立した意識的な自分だ」という私たちの自己像を覆す。たとえば、学校補助金の増額案の是非を問う選挙において、投票所が学校にある場合、賛成票は、学校以外の投票所の場合よりも有意に多くなっていた。あるオフィスでは、セルフサービスのコーヒーに支払う代金箱の近くに、花の写真か、こちらを見つめている目の写真を1周間単位で貼り替えるという実験が10週間にわたって行われた。目の写真の週に投入された金額は花の週の3倍に達した。目の写真が象徴的に「見られている」という意識を与え、オフィスのスタッフの行動が改善されたといえるだろう。
あらゆる物事に自動的に因果関係を見出そうとするシステム1が、判断や選択のおおかたを担っているため、私たちの判断は周囲の環境などから知らず知らずのうちに大きな影響を受けているのだ。
システム1は、認識する断片的な事象にも因果関係を自動的に作り、システム2に提案する。システム2はシステム1の提案を疑ってかからなければならないが、たいていは怠けている。そのため、システム1はほぼ常に、理解しやすい一貫性あるストーリーを作り上げることになる。
あなたが大統領の政治手法を好もしいと思っているとしよう。するとあなたは、大統領の姿や声も好もしいと感じている場合が多い。このように、本当はある人の一部を好き(あるいは嫌い)と思っているだけなのに、その人の知らない部分も含めてすべてを好きだと感じてしまう傾向は、ハロー効果として知られている。システム1が形成する世界のモデルは現実よりも単純で、現実以上に一貫性があるが、ハロー効果はその現れの一つである。ハロー効果は、がっしりした体格を持つ投手にパワーを期待する、感じのよい人物は慈善活動への協力をきっとしてくれるはずだと思い込む、というような形でも現れてくる。
ハロー効果の影響を考えると、人物描写をするときにその人の特徴をどのような順序で説明するかは重要である。ハロー効果によって最初の情報の重みがまし、あとのほうの情報はほとんど無視されることさえあるからだ。ハロー効果は試験の採点作業にすら影響を及ぼす。著者の経験によれば、学生の論文試験の採点を行う時、一人の学生の課題1と課題2を続けて採点すると2つの課題の点数が似通ってしまい、課題1を全員分採点した後にその点数を見ないようにして課題2の採点を行うと2つの課題の評価は著者が自信をなくすほどにかけ離れてしまったという。つまり、課題1の評価が課題2の評価に影響を与えているということだ。
この発見は実のある会議運営を行う上でも応用可能である。議題について討論する前に出席者全員に自分の意見をまとめて提出してもらえば、最初の発言者や強い主張の持ち主の意見に場が引きずられてしまうことを防ぎ、多様な知識や意見で会議を活性化することができるだろう。
統計的に考えることはきわめて難しい。これまで見てきたように、システム1は連想したり因果関係で考えたりといったことが非常に得意で、つじつまの合う筋書きをやすやすと作ってしまう。一方、統計的思考では多くの事柄を同時に考えることが必要であり、これはシステム1にはできない仕事である。システム2はシステム1を疑う能力はあるものの、基本的には怠け者でありその働きを期待し続けるというのは難しい。
統計的思考の難しさを示す例を一つ挙げよう。病院で6人の赤ちゃんが次のような順序で生まれてくる確率について、あなたはどう考えるだろうか。
男男男女女女
女女女女女女
男女男男女男
これらの事象が起こる確率は等しいかと聞かれた時、あなたは直感的に「男女男男女男」という順序で生まれる確率が他の2つよりもはるかに高いと判断しただろう。しかしその答えは間違っている。赤ちゃんが生まれる事象は互いに独立しているのだから、どんな順序で生まれてくる確率も等しい。
私たちは規則性を探すのが大好きであり、ランダムであるべき事象に規則性を見出すと、それに何らかの原因を求めてしまい、統計学的な偶然というものを無視してしまいがちだということがこの例から明らかである。「私たちは人生で遭遇する大半のことはランダムであるという事実を、どうしても認めたくないのである」と著者は指摘する。
システム1の働きにより、私たちは、世界を実際よりも単純で予測可能で首尾一貫したものとして捉えている。予想外の事象が起こると、私たちはただちにそれに合わせて自分の世界観を修正する。修正された世界観に合うように、過去の印象も将来の予想も改められてしまう。そして、人間の脳の限界として、新しい世界観を採用したとたん、過去の自分の意見をほとんど思い出せなくなってしまうのである。
たとえばこんな実験がある。死刑の是非など、賛否の分かれる問題を取り上げ、被験者に意見を出してもらう。次に、説得力のある死刑賛成論または反対論を聞かせ、その後に再び意見を確かめる。すると、被験者の意見はその説得力のある説に近づき、多くの被験者がもともとの自分の意見を再構築できなかった。また、当初の意見はそうでなかったということも認めなかった。
これはつまり、過去の事象に対して感じたことを後から過小評価するということである。この効果は、バルーク・フィッシュホフによって「私はずっと知っていた」効果と呼ばれ、注目された。すなわち、これが「後知恵バイアス」である。
もう一つ実験例を挙げよう。ニクソン大統領の中国・ソ連訪問前、ニクソン外交に関して起こりうる結果を15項目挙げ、それぞれが起こりうる確率を被験者に推定させた。ニクソン帰国後に、再び被験者に、自分たちが推定した確率を思い出してもらったところ、実現したことについては自分がつけた確率を多めに見積り、実現しなかったことについては「そんなことは起こりそうもないと思っていた」と都合よく考えが修正されたのである。
後知恵バイアスは、とりわけ他人の代わりに決定を下す人々、たとえば医者、フィナンシャルアドバイザー、CEO、外交官、政治家などに影響を及ぼす場面が多い。決定自体はよかったのに実行がまずかった場合に、意思決定者たちは非難されがちである。結果が悪いと、前兆があったのになぜ気づかなかったのかと、意思決定者は責められる。その前兆は後になって初めて見えるものであるにもかかわらず。
後知恵バイアスは人々のリスク回避を助長し、一方では、無責任なリスク追求者に有利に働いてしまうことがある。たとえば、あてのない賭けに出て結果として成功した起業家が、才能があるとか、嗅覚があると評価されてしまうのだ。
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