イノベーターズⅡ

天才、ハッカー、ギークがおりなすデジタル革命史
未読
イノベーターズⅡ
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天才、ハッカー、ギークがおりなすデジタル革命史
未読
イノベーターズⅡ
出版社
出版日
2019年10月08日
評点
総合
4.0
明瞭性
4.5
革新性
4.0
応用性
3.5
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おすすめポイント

「これがフラットパネル型のディスプレイです。下のほうにキーボードがあって、メールもファイルも、音楽もアートワークも、本も保存できます。ぜんぶがこのサイズに収められていて、重さは900グラムほど。これが、私の言うパーソナルコンピュータです」。これは最近のノートパソコンの宣伝ではない。1970年にアラン・ケイが、ゼロックスの研究所に就職する際の面接で話したビジョンだ。

しかしパソコンというものがどこにもなかった当時、誰も彼が語ったことを理解できなかった。「未来を予言する最善の方法は、みずからそれを創り上げることだ」というケイの名言は、この逆境から生まれている。ケイのビジョンはけっきょく、ふたりのスティーブが立ち上げたアップルが実現した。

組織の束縛から自由になり、個人の表現やコラボレーションを後押しするパソコンは、ケイのようなビジョナリー、スティーブ・ウォズニアックのような技術オタク、そしてスティーブ・ジョブズのようなアントレプレナーが三位一体となって生まれた。その背後には自由と創造性を尊ぶ、ハッカーやギークたちの文化があったと言える。そしてそこではパートナーシップや人と人とのつながりが、非常に重要な役割を果たした。未来を創造する最善の方法は、情熱を共有し、互いに補い合えるチームをつくること――本書を読んで、そのことを強く実感した次第である。

ライター画像
ヨコヤマノボル

著者

ウォルター・アイザックソン (Walter Isaacson)
1952年生まれ。ハーバード大学で歴史と文学の学位を取得後、オックスフォード大学に進んで哲学、政治学、経済学の修士号を取得。英国『サンデー・タイムズ』紙、米国『TIME』誌編集長を経て、2001年にCNNのCEOに就任。ジャーナリストであるとともに伝記作家でもある。2003年よりアスペン研究所特別研究員。著書に世界的ベストセラー『スティーブ・ジョブズ』Ⅰ・Ⅱ、『レオナルド・ダ・ヴィンチ』上下、『ベンジャミン・フランクリン伝』『アインシュタイン伝』『キッシンジャー伝』などがある。テュレーン大学歴史学教授。

本書の要点

  • 要点
    1
    パソコンの実現を支えたのは、自分で手を動かすホビイスト文化やスタートアップ文化、そして中央の権威に反抗するカウンターカルチャー文化だった。
  • 要点
    2
    アラン・ケイが構想したパソコンを商品化したのはスティーブ・ジョブズだ。ジョブズはケイのつくったプロトタイプ「ゼロックス・アルト」を丹念に研究し、安価な量産品で実現した。
  • 要点
    3
    パソコンの歴史は、開発したものを独占するか開放するかで揺れ動く歴史でもある。マイクロソフトはソフトウェアの知的財産権を主張したが、ウェブに関する基本技術は無償で公開された。

要約

未来を予言する最善の方法

「我々が思考するように」
stevanovicigor/gettyimages

「我々が思考するように」という1945年に発表された論文は、驚くべき慧眼で現在のパーソナルコンピュータ(パソコン)、そしてインターネットを予見していた。論文で描かれたメメックスという装置は、キーボード入力ができ、ファイル共有やハイパーリンク、コラボレーションも実現できるとうたわれていた。それどころか「まったく新しい形の百科事典が現れるだろう。網の目のように関連づけが用意され」と、半世紀以上も前にウィキペディアのようなサービスの出現も予見していた。

1970年代になると、当時先進的なコンピュータメーカーであったDECは、ちょっとした冷蔵庫ほどのミニコンピュータを売り出した。しかし社長は「個人が自分のコンピュータを欲しがる理由など思い当たらない」と断言し、結局パーソナルコンピュータの開発に着手することはなかった。

代わりにパソコンをつくり、革命を起こしたのは、ガレージからはじまったアルテア、アップルといったスタートアップだ。

アラン・ケイ

マウスのような直感的な入力機器と、グラフィカルなユーザーインターフェイスという現代のパソコン、そのもととなる機器をつくったのはアラン・ケイだ。彼はユタ大学に在学中、多くの先輩たちのコンピュータグラフィックスやユーザーインターフェイスのアイデアを吸収し、「数えきれないほどの人がパーソナルコンピュータを使うようになる」という未来をはっきりと構想するようになる。

博士課程を終えたケイは「パーソナルコンピュータをつくりたい」という野望を持ち、ゼロックスのパロアルト研究所(PARC)に就職した。しかしコピー機の会社で、その希望はほとんど受け入れられなかった。「会社の未来につながる流れを見ろ」と上司からたしなめられたケイは、「未来を予言する最善の方法は、みずからそれを創り出すことだ」と、今も語り継がれる名言で反論する。

そしてケイと仲間たちは、PARCで「ゼロックス・アルト」というパーソナルコンピュータの原型をつくり上げた。アルトにはネットワーク機能も備わっており、その多くは現在のインターネットで用いられる技術のもととなっている。

アントレプレナーとコミュニティ
raclro/gettyimages

パソコンの実現を支えたのは、いくつもの新技術だ。とりわけマイクロプロセッサーが果たした役割は大きい。コンピュータの中央処理装置の機能を1チップに集約したからだ。しかしそもそもこうしたイノベーションが生まれた背景に、1960年代のサンフランシスコのベイエリアに渦巻いていた文化があったことは指摘しなければならない。

当時のベイエリアの文化を担っていたのは、アントレプレナーとエンジニア系のギークだった。彼らはともにカウンターカルチャー文化に深く染まっており、パワーエリートに対する反抗精神と、情報へのアクセスを自らコントロールしたいという欲求を持っていた。

世界初のパソコン「アルテア」や、アップルを生み出すことになるコミュニティ「ホームブリュー・コンピュータ・クラブ」も、こうしたベイエリア特有の文化の中で生まれた。

【必読ポイント!】ビル・ゲイツとスティーブ・ジョブズ

世界最高のホビイスト

インテルが1974年に発売したマイクロプロセッサー、8080を組み込んだ世界初のパソコン「アルテア」には、ディスプレイもキーボードもなく、入力はスイッチ、出力は豆電球というマニア向けの製品だった。

このマシンをつくったエド・ロバーツは、模型飛行機や電子工作が大好きな「世界最高のホビイスト」とも呼ばれる人物だ。アルテアはビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズに大きなインスパイアを与え、パソコンを物好きの趣味から産業へと飛躍させる大きなきっかけとなった。

マイクロソフトの誕生

ビル・ゲイツは伝説のおたく少年だ。

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要約公開日 2020.04.16
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