目の見えない人は世界をどう見ているのか

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目の見えない人は世界をどう見ているのか
出版社
出版日
2015年04月15日
評点
総合
3.8
明瞭性
4.0
革新性
4.0
応用性
3.5
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おすすめポイント

人が得る情報の8割から9割は視覚に由来するそうだ。であれば、視覚がない状態では、道を歩くのも、時間を確認するのも、本を読むのも容易ではない。健常者が想像する視覚のない世界は、少し怖いものに映る。それゆえに、「障害者」という言葉からは、健常者のサポートや支援が必要となる、立場の弱い人々が連想されてしまう。

本書は、視覚障害を主題としながらも、福祉関係の問題を扱うわけではない。おそらく本書を読む際に必要なのは、福祉の知識や前提ではなく、自分とは違う世界を生きる他者への「好奇の目」だろう。

見えない世界に生きる人は、見えている人とは異なる方法で世界をとらえ、独自のバランスの中で生活している。見えない世界では、見える世界の「当たり前」はひっくり返る。まるで異国を旅して異なる文化に触れるのと同じように、見えない人々の世界のとらえ方を健常者のそれと比較し、その差異に触れていく。そこでは「障害」はタブーではなく、世界のとらえ方の違いとして、よりフランクに、隣人の様子を尋ねるように扱われていく。見える人と見えない人がお互いの差異を認識することで、新しい社会的価値を生み出そうとするのが本書のねらいである。

見えない世界への好奇心を頼りに本書を開いてみよう。新たな世界に生きる友人の話に、思わず「そっちの世界も面白い!」と膝をうつこと請け合いである。

ライター画像
菅谷真帆子

著者

伊藤亜紗(いとう あさ)
1979年東京都生まれ。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授。専門は美学、現代アート。もともと生物学者を目指していたが、大学3年次に文系に転向。2010年に東京大学大学院博士課程を単位取得のうえ退学。同年、博士号を取得(文学)。日本学術振興会特別研究員などを経て2013年より現職。著書に『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』(水声社)、『目の見えないアスリートの身体論』(潮出版社)、『どもる体』(医学書院)、『記憶する体』(春秋社)などがある。ヨシタケシンスケさんの絵本『みえるとか みえないとか』(アリス館)では「そうだん」としてかかわった。

本書の要点

  • 要点
    1
    見えない人は耳や足、言葉などを使い、視覚なしで成立できるバランスで世界を感じている。そこでは世界は異なる見え方=「意味」をもつ。
  • 要点
    2
    「意味」は、情報が具体的な文脈に置かれたときに生まれる。情報ベースのやりとりでは、健常者と障害者はサポートの関係にしばられるが、意味ベースのやりとりでは、お互いの差異を面白がることができる。
  • 要点
    3
    見えない人は、特別な聴覚や触覚を持っているわけではない。見える人が目で空間を把握するのと同じように、見えない人は耳などから得た情報を使って把握しているに過ぎない。

要約

【必読ポイント!】 見えない世界に触れる

見える世界と見えない世界
firina/gettyimages

障害者は自分にとって、身近にいる「自分と異なる体を持った存在」だ。かれらについて言葉によって想像力を働かせ、視覚を使わない体に変身して生きてみることが本書の目的である。

見えない体に変身するといっても、単に視覚をさえぎればいいということではない。見えないことと目をつぶることは全く違う。視覚情報の遮断によって引き算的な欠如を感じるのではなく、視覚抜きで成立している世界そのものを実感することが必要である。それは、4本脚の椅子と3本脚の椅子の違いのようなものだ。もともと脚が4本ある椅子から脚を1本取ると、その椅子は傾いてしまう。しかし、脚の配置を変えて最初から3本で設計すれば、3本脚でも立てる。

見えない人は耳の働かせ方、足腰の能力、言葉の定義などが見える人とはちょっとずつ違っている。そうした視覚なしで成立しているバランスで世界を感じると、世界の見え方、すなわち「意味」が違ってくるのである。

意味の違いを面白がる

「意味」は、「情報」と対置するとわかりやすい。「情報」は客観的でニュートラルであるが、受け手によって無数の「意味」を生み出す。たとえば「明日の午後の降水確率は60パーセント」という「情報」は、明日運動会を控えた小学生には「運動会が延期になるかもしれない」という意味になり、傘屋にとっては「明日は儲かるな」という意味になる。つまり「意味」とは、「情報」が具体的な文脈に置かれたときに生まれるものである。

見える人が見えない人と関わるときの態度は、一般的に「情報」ベースになりがちだ。それは、見える人が見えない人に必要な情報を与え、サポートするという福祉的な発想のもとになっている。点字ブロックや音響信号に代表される「情報のための福祉」は、障害者にとって不可欠ではある。ハンディキャップのある人とそうでない人との間の情報格差をなくすことが、社会的包摂には必要だと考えられている。

しかし、健常者にとっての障害者との関係が、情報を教えてあげなければという「福祉的な態度」にしばられてはいけない。健常者と障害者の間には、「サポートしなければ」という緊張関係、固定された上下関係だけではなく、お互いに笑い合うような普通の人間関係も当然ありうる。ここに「意味」ベースの関わりの重要性がある。

意味ベースの関わりにおいては、見える人と見えない人の間には、差異はあっても優劣はない。全盲の木下路徳さんに、見える人にとっての想像力とは何かについてこちらから説明していたとき、「なるほど、そっちの見える世界の話も面白いねぇ!」と叫んだ。見える人の世界をまるで隣人の家のようにとらえているのだ。「うちはうち、よそはよそ」という距離感があるからこそ、お互いの差異を面白がることができる。ちょっと不道徳に聞こえるかもしれないが、「好奇の目」くらいで互いの世界を見たほうが、相手との差異を面白がれるかもしれない。

空間のとらえ方

情報に踊らされない体
ibsky/gettyimages

先述の木下さんと大岡山駅から緩やかな坂道を下っていたとき、木下さんは「大岡山はやっぱり山で、いまその斜面をおりているんですね」と感想を述べた。自分にとってはただの坂道でしかなかった場所を、木下さんは俯瞰的で空間的にとらえていたことに驚いた。見える人が道を通るとき、看板や人の顔など目に飛び込んでくるさまざまな情報に意識を奪われ、今歩いている場所の地形を想像する余裕はない。見えない人は、こうした情報の洪水とは無縁である。音や匂いも氾濫しているけれど、木下さんの言葉を借りれば「脳の中に余裕がある」状態なのだ。

言うまでもなく、資本主義システムは過剰な視覚刺激を原動力にして回っている。都市において私たちはこの装置に踊らされがちだ。

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要約公開日 2020.10.03
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