アリストテレス

ニコマコス倫理学(上)[全2冊]

未読
日本語
ニコマコス倫理学(上)[全2冊]
アリストテレス
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ニコマコス倫理学(上)[全2冊]
出版社
定価
1,111円(税込)
出版日
1971年11月16日
評点
総合
4.2
明瞭性
3.0
革新性
4.5
応用性
5.0
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おすすめポイント

アリストテレスの『ニコマコス倫理学』は、幸福について考えるきっかけを与える書だ。アリストテレスは、それ自体が目的であるような活動を善とし、最高善を幸福としている。さらに、卓越性(徳)に基づく最も善き活動こそ完全な幸福であり、過不足のない中庸を目指すことを理想としている。

現代は経済が幸福の基準として大きな比重を占めるようになった。ひとの際限のない欲望を満たすことが幸福につながると考えられ、手段となるお金に多くの価値を見出すようになった。市場ではすべての労働に値がつき、それによって人間の価値が決まるという価値観も現れた。勝ち組・負け組という言葉に象徴されるように、他人に勝つことで幸福を見出そうとすることもある。

経済が幸福についての重要な尺度となっていることに異論はないだろう。しかし、他愛もないおしゃべりをしたり、趣味に没頭したりすることにも、幸福を感じることはないだろうか。

富そのものは善ではなく、何かのために役に立つ手段でしかないと、アリストテレスは述べる。

過去と比べれば、現代は物質的に豊かな時代と言えよう。一方で、生きづらさを感じることもある。善や幸福を考えるとき、経済以外の価値観を未だ見出せていないからなのかもしれない。

お金で実現できる豊かさのみが幸福なのか。お金がないと幸福にはなれないのか。経済的に成功することだけが善きことなのか。本書は読者に問いかける。善きこととは何か。幸福とは何か。読者に生きることそのものを問うているのだ。

ライター画像
中崎倫子

著者

本書の要点

  • 要点
    1
    人間のいかなる活動も善を求める。活動には、それ自体が目的であるものも、活動とは別に何らかの成果が目的である場合もある。すべての活動の目的を包括するような目的のほうがより望ましい。それが「善」であり、「最高善」だ。
  • 要点
    2
    人間の卓越性に即した魂の活動が「善」であり、「幸福」だ。
  • 要点
    3
    倫理的卓越性は、中庸を目指すものでなくてはならない。
  • 要点
    4
    われわれの行為は選択に基づく。その実践の目的は「立派にやるということ」であり、欲求もこれを目指している。

要約

善とは何か?

人間のいかなる活動も善を求める
ipopba/gettyimages

いかなる技術、研究(メトドス)も、いかなる実践や選択も、何らかの善(アガトン)を求めている。これらは、活動それ自体が目的となる場合もあれば、活動とは別に何らかの成果が目的となる場合もある。

また実践や技術、学問に多くの種類があるように、その目的も様々だ。そのなかでも、全体の構造を想定しながら一つの能力へと束ねていく、いわば「棟梁」的な営みのほうが、それに従属する営みの目的よりも望ましい。前者の存在があるために、後者が追求されるからだ。

われわれが行うすべてのことを包括するような目的が存在するならば、それは明らかに「善」(タガトン)のことであり、「最高善」(ト・アリストン)でなければならない。とすると、このような「善」の知識は、「われわれの生活に対しても大きな重さをもつもの」であるはずだ。

したがって、「善」とは何であるか、いかなる学問や能力に属するものなのか、輪郭だけでも把握しておきたい。

「善」は、最も棟梁的な位置にあるものに属するだろう。同様の性質をもつものとして、政治(ヘー・ポリティケー)が考えられる。政治はどの学問をどれくらい学んでどう役立てるべきか定めるものであり、立法の根拠となる。「人間というものの善」(ト・アントローピノン・アガトン)こそが政治の究極目的であり、善の研究とはある種の政治学的な研究を指すのだ。

【必読ポイント!】 幸福とは何か?

「幸福」が何かはひとそれぞれだ

いかなる知識も選択も何らかの善を求めるのだとすれば、政治が希求するところの、達成しうる最上の善とは何であろうか。大抵の人は、それは幸福(エウダイモニア)にほかならないと述べる。しかも、「よく生きている」(エウ・ゼーン)ことと、「よくやっている」(エウ・プラッテイン)ことは、「幸福である」(エウダイモネイン)ことと同じ意味であると理解している。

しかし、その「幸福」とは何かということを考え始めると、諸説出るようになる。一般のひとびとは、快楽・富・名誉といったわかりやすい何かを口々に挙げる。同じ人の中でも、病の時は健康、貧しい時は富といったように異なるものを求めるものだ。一方、プラトン派のひとびとは、これらの多くの善を善たらしめる大元となるような、それ自体で存立できる「善そのもの」を考えた。

しかし、そのような「善そのもの」についての知識があるとすれば、種々の学問や技術がそれぞれに追求する善をもつという実際に背いているとも言える。

すべての人にとって充分なもの

領域の異なった実践や技術において、善はそれぞれに違って見える。医療における健康のように、あらゆるはたらきや選択において目的となるものが、それぞれの領域における善だ。このように目的(テロス)はいくつも存在するようだが、たとえばわれわれは富のために富を目的とするわけではないように、すべての目的が必ずしも究極的(テレイオン)な目的とはならない。

したがって最高善とは究極的な目的だと考えられる。それは「それ自身として追求に値するところのもの」であり、「決して他のものゆえに望ましくあることのないようなもの」だ。この性質を最も持っているのが、「幸福」であろう。幸福それ自身のためにわれわれは幸福を望む。名誉も快楽も知も、それがあれば自分が幸福になると考えて選択するのだ。

究極的な「善」は、自分のみならず親しいひとびとも、国の全市民にとってもそれがあれば充分という種類のものである。望ましい生活、何の不足も不自由もない生活をもたらすものにほかならない。幸福は、どうやらこのような性質を持っているようだ。

「人間というものの善」とは
syolacan/gettyimages

しかしここまでの話もやはり、「最高善とは幸福のことである」という異論の起きないことがらを語っているにすぎない。ここで真に求められているのは、「幸福とは何であるか」がより判然と語られることだ。そのために、人間の機能(エルゴン)についてきちんと把握しよう。

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