「nudge(ナッジ)」とは、親ゾウが子ゾウの背中を鼻でちょっと押すように、強制や禁止をせずに本人の「よりよい選択」を後押しする「使える」経済学だ。「ナッジする人」とはつまり、「ほかの人に注意喚起をしたり、気づかせたり、控えめに警告したりする人」である。
ナッジの中核を成すのは、「リバタリアン・パターナリズム」という概念だ。
とにかく個人の自由に任せ、他者は介入・干渉しないようにしよう――。これが「リバタリアン」の考え方だ。一方の「パターナリズム」は、弱者の利益につながるとして強者が介入・干渉する。この相反するようにも映る二つの概念を組み合わせたものが「リバタリアン・パターナリズム」である。
「リバタリアン・パターナリズム」の戦略におけるリバタリアン的な側面としては、他者に害を与えない限り、人は自由に行動すべきであり、自分が望まない場合にはオプトアウト(拒否の選択)をする自由が与えられるべきだと説く。一方、パターナリズム的な側面としては、人びとが健康でよりよい人生を送るため、「選択アーキテクト」が人の行動に影響を与えようとすることを当然視する。
選択アーキテクトは「選択の設計者」であり、人びとが意思決定する文脈を整理して示す責任を負う。民間の組織と政府は、暮らし向きがよくなるような選択を人びとにうながせるよう、自覚的に取り組まねばならない。
何十年にも及ぶ行動科学の研究によれば、人は「まずい選択」をする傾向がみられる。著者らが提唱するリバタリアン・パターナリストは「完全な情報を得て完璧にセルフコントロールできている状態であればするであろう選択を、きちんと選択できるように手助けする」ことを目指している。
押し付けがましくなく、選択が制限されたり、大きな負担になったりするわけではない。しかしながら、官民の選択アーキテクトは、人びとをよりよい方向へ進ませるようにする、つまり「ナッジする」必要がある。
本書が表す「ナッジ」は、選択を制限したり大きな経済的インセンティブを与えたりすることなく、人びとの行動を予測可能なかたちで変える、「選択アーキテクチャー」のあらゆる要素のことだ。
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