本書の要点

  • 2021年、ウクライナとロシアの国境にロシア軍が集結する。ロシア軍が撤退したことで高まった緊張は一旦弛緩した。バイデン米政権はロシアとの厳しい対立を避けつつ、ウクライナにも自制的にふるまう。

  • プーチンはウクライナとロシアの歴史的一体性を主張する。それはウクライナのアイデンティティを否定するものだった。

  • ロシア軍はウクライナに侵略し、一時首都キーウを攻め落とす勢いだったが、様々な要因により撤退を余儀なくされる。その後発覚したロシア軍による虐殺は、ロシアの戦争犯罪の明白な証拠を示していた。

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戦争の前兆

緊張の演出?

2021年春のことだ。今回の戦争に直接つながる出来事が起こった。「演習」の名のもとに、ロシア軍がウクライナ国境に集結し始めたのである。国際社会が緊張の眼差しを向ける中、同年4月22日にロシアの国防相セルゲイ・ショイグがある程度の規模の撤退を命じたことで、緊張は少なくとも表向きは緩和へと向かった。この事態の目的には、ロシアにとって都合よく振る舞っていたトランプとは違って、厳しい態度を取ると予想されたバイデン政権への牽制という可能性もあった。蓋を開けてみるとバイデンは、クリミア併合を認めないというオバマ政権以来の公式見解を踏襲しつつ、ロシアとのデタント(緊張緩和)を図り、ウクライナに対しても自制的に振る舞う。ウクライナのNATO加盟に関して一切の言質を与えないなど、ウクライナには期待はずれな対応も目立った。あくまでアメリカはロシアとの厳しい対立を望まないという姿勢だったのであり、そこに、ウクライナ開戦でロシアが主張したような「敵対的な姿勢」を見出すのは難しい。

「自発的な市民」がいないプーチンの世界観

boytsov/gettyimages

2021年春は、プーチンにとって内政上の危機と捉えられていた可能性もある。同年1月23日、何者かに毒物を投与されドイツで療養していた野党活動家アレクセイ・ナヴァリヌイがロシアに帰国した際、内務省に拘束され収監された。それに対し、ロシア全土で大規模な抗議デモが起こった。プーチンはそれまでもこうした国民の異議申し立てについて、「西側に支援を受けている」などと「外国の干渉」と見なしてきたが、そこには「自発的な意思をもった市民」という存在への深い懐疑がある。大衆が自らの意志で政治的な意見を持つことはありえず、それには必ず裏で糸を引く者がいるはずだ……というのがプーチンの世界観なのだ。だとすれば、先述の抗議デモはバイデン政権による工作活動だと考えていたのかもしれない。一方ウクライナのゼレンシキーは、「領土の奪還」を公約に掲げながらも、ロシア占領下のクリミア半島や戦闘が続く東部ドンバス地方の問題について明確な見通しを持っていなかったように思われる。

プーチンの攻勢とゼレンシキーの挫折

開戦に至るまで主導権を握り続けたのはプーチンだった。ゼレンシキーは切り札としていた直接交渉の機会をほとんど持つことができず、むしろその代償として、第二次ミンスク合意の履行に関し、ドンバスの紛争地域の地位を決定するための住民投票を行うと発言した。第二次ミンスク合意とは2015年2月に結ばれたドンバス紛争解決ロードマップである。これは大きく分けて2つの項目からなる。①治安項目(前線での戦闘停止、ロシア軍やロシアの送り込んだ武装勢力の撤退など)と②政治項目(ウクライナ側が憲法を改正し、ドンバスに「特別な地位」を認めること、現地で住民投票を行うことなど)である。ただし、第二次ミンスク合意の履行順序について、ウクライナは①が優先、ロシアは戦闘停止などに関わらず②を実行せよ、と真逆の理解を示していた。ゼレンシキーはウクライナの法の下、ロシア軍の撤退後に住民投票を行う、という立場だった。しかしウクライナの世論では、ロシアの占領下にあるままで政治項目を履行するものと見えたために、ゼレンシキーがロシアに「降伏」しようとしているとの非難を強めてしまう。

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要約公開日 2023.06.04
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