米国には元来、「勇気と進取の気質があれば誰もが成功できる」という見識があった。それゆえ平均的なアメリカ人はこれまで、ベンジャミン・フランクリンやエイブラハム・リンカーンのように、懸命に努力をすれば誰にでもアメリカン・ドリームを成し遂げられると信じられる物話を愛してきた。成功への開かれた道を一途にたどる姿は、長らく国民的道徳劇のようなものであったが、もはやそうした物語は崩壊し、今では富と所得は異常なほど超富裕層のみに蓄積されている。
大企業のCEOたちは平均的労働者の賃金の300倍以上を手にしているのに、平均的労働者は仕事や賃金を失ってきた。高所得者層は、手にした富を、米国に雇用と成長をもたらすようには投資しない。高所得者以外の層には景気拡大に必要な購買力がないため、米国経済は窮地に陥らざるをえない。
それなのに企業や超富裕層は税金をより少ししか払わず、公的規制からも逃れている。現に、所得上位1.5%の人々だけが影響を受ける相続税は引き下げられたのに、平均的な給与水準の国民が最も痛手を被る消費税と給与税は引き上げられている。
大企業の繁栄とほとんどの米国民の繁栄は分断されてしまった。米国企業はますますグローバル化を進め、自国に対する関心は薄らぐ一方だ。米国企業は海外で単純労働者を雇い入れているだけではなく、ハイテク関連の仕事も生み出し、研究開発活動にも力を入れている。アップルをはじめ米国大企業にとっては、最良の製品を最低のコストで生産できるのが中国やその他の国であれば、そこで生産するのが当然の選択なのだ。
問題は大企業がアメリカ国内で雇用を創出しないことではなく、ワシントンで強大な政治的影響力を持っていることだ。利益の最大化を狙う米国のグローバル企業は、減税と企業助成を含んだ政策に対して強力なロビイングを展開し、多額の政治献金を注いでいる。大企業や富裕層の期待に応えるような政治システムになってしまったら、国民の生活は良くはならない。
同様に、億万長者たちが政治家に巨額の寄付をしたり、企業が数億ドルをロビー活動や政治家の選挙運動に投じたりするのは、それらの支出を投資と見なし、特別租税補助金や権益拡大に対する賛成票という形での十分なリターンを期待しているからだ。
超富裕層の人々は慈善団体を設立して寄付もするが、慈善寄付控除を受けている寄付金の大部分は、オペラや美術館など、彼らが余暇を過ごす文化施設に使われている。大学への寄付も含め、それらは彼らが自分の子どもたちにも与えたいと思っているライフスタイルへの投資に過ぎない。
慈善寄付控除による減収の影響は、公共財に現れる。公的歳入が減少すると予算が削減され、公共施設の質が低下する。
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