チャーチル・ファクター

たった一人で歴史と世界を変える力
未読
チャーチル・ファクター
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たった一人で歴史と世界を変える力
未読
チャーチル・ファクター
出版社
プレジデント社
出版日
2016年03月30日
評点
総合
4.0
明瞭性
4.5
革新性
4.0
応用性
3.5
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おすすめポイント

第二次世界大戦時のイギリスの首相、チャーチルを知らない人はいないであろう。しかし、彼がどのような人物で、どのような行動によってイギリスを勝利に導いたかを具体的に知っている人は多くないのではないだろうか。本書はチャーチルを尊敬してやまない元ロンドン市長で、現在イギリスの外務大臣を務めるボリス・ジョンソンによる評伝である。天才チャーチルの偉大さを後世に少しでも伝えたいという思いが、本書を貫いており、チャーチルが成し遂げたこと、過去の生い立ち、時には彼が犯した大きな失敗などが熱く語られている。ここで描かれるチャーチルは、尊敬すべき偉大さに満ちていながらも人間味あふれる愛すべき人物である。

チャーチルは70年ものあいだ公人として活動しており、世界のあり方や歴史上の出来事に、多岐にわたって影響を与えてきた。チャーチルはなぜ歴史を変えることができたのか。もしチャーチルがいなかったとしたら、今日の世界はどうなっていたのか。波乱万丈なチャーチルの軌跡をたどりながら、こうした問いと向き合わずにはいられない、実に示唆に富んだ一冊である。

なお、ボリス・ジョンソンはイギリスのEU離脱運動を先導した人物として知られているが、本書においても、EUに関して1章が割かれており注目に値する。チャーチルがイギリスとヨーロッパの関係についてどう考えていたのか。そしてそれをボリス・ジョンソンがどう受けとめているのだろうか。ぜひ本書をお読みいただきたい。

著者

ボリス・ジョンソン
1964年生まれ。イートン校、オックスフォード大学ベリオール・カレッジを卒業。1987年よりデイリーテレグラフ紙記者、1994年からスペクテイター誌の政治コラムニストとして執筆、1999年より同誌の編集に携わる。2001~2008年、イギリス議会下院議員(保守党)。2005年、影の内閣の高等教育大臣に就任。2008年から2016年5月まで2期にわたってロンドン市長を務める。2015年、再び下院議員として選出される。本書のほかに、The Spirit of London、Have I Got Views for You、The Dream of Romeなど著書多数。

本書の要点

  • 要点
    1
    チャーチルは第二次世界大戦においてヒトラーとの交渉を拒否し続けた。チャーチルがいなければヨーロッパに取り返しのつかない被害が及んだとされる。
  • 要点
    2
    チャーチルの愛される人格は、乳母からの愛情によって醸成された。また、妻の献身的な支えがなければ偉業は達成できなかった。
  • 要点
    3
    戦争におけるリスク回避のため、同盟国の艦隊にも爆撃を行うなど、チャーチルは大胆な行動も辞さなかった。さらには、粘り強い交渉により、参戦に消極的だったアメリカを動かし、勝利をつかんだ。

要約

チャーチルは何を成し遂げたのか

チャーチル・ファクター

現代においても、チャーチルに関連した本が、年間100冊も出版されるという。チャーチルは何を成し遂げた人物だったのか。第二次世界大戦が終結してからの長い年月がその偉大さを風化させようとしている。

しかし、私たちは思い出す必要がある。戦時のイギリス首相チャーチルが、私たちの文明を救ったことを。そして、彼がいなければナチスがヨーロッパを支配してしまっていたかもしれないことを。チャーチルの達成した偉業は、彼だからこそ達成できた。チャーチル・ファクター、つまりチャーチル的要素とは、「一人の人間の存在が歴史を大きく変え得る」ことを意味する。

では、どのような要素が彼に偉大な役割を全うさせたのか。まずはチャーチルの業績の数々を振り返ってみよう。

ヒトラーと断固として交渉せず
dr_evil/iStock/Thinkstock

1940年5月、イギリスには暗いニュースが次々に届いていた。ナチスドイツ軍の侵攻はとどまることを知らず、オーストリアは二年前に占領され、チェコスロバキアは消滅し、ポーランドは粉砕され、他の国々も次々とその勢いに飲まれていった。そしてフランスが降服するのも時間の問題であった。他方、ソ連は独ソ不可侵条約を結び、アメリカは参戦する気配はなかった。つまり、イギリスは孤立していた。

その時、首相のチャーチルをはじめとする内閣の閣僚たちが悩んでいたのは、戦うべきか、それとも何らかの現実的な取引をするべきかであった。そう、イギリスはナチスドイツへの抗戦を放棄する瀬戸際まで追い詰められていたのである。

第一次世界大戦の経験者も含む閣僚たちは戦争について知り尽くしていた。あのような苦しみを国民に再び強いることは正しいことなのかと悩み、ドイツ空軍の空爆が始まる前に調停の交渉を開始すべきという強い意見もあった。その背景には、平和を求める多くのイギリス人たちの支持があった。

しかし、チャーチルは交渉を選ばなかった。交渉のテーブルに臨めば、それが抗戦の意欲を消失させてしまうと察知していたからだ。チャーチルは閣僚全員の前で演説を行った。「いま平和をめざせば、ドイツはイギリスを奴隷国家にするだろう。しかし、私たちの島の長い歴史がついに途絶えるとしたら、それはわれわれ一人ひとりが、自らの流す血で喉を詰まらせながら地に倒れ伏すまで戦ってのことである」。閣僚たちはこの演説に感激し、交渉ではなく戦いを選ぶことに決着した。チャーチルはこの時、交渉を拒絶することで大量の死者が出ることを覚悟していた。同時に彼は、抵抗を放棄すれば、さらに悪い結果をイギリスにもたらすことも理解していた。

もしチャーチルがいなかったら
VictorHuang/iStock/Thinkstock

もし1940年にイギリスがドイツに対する抵抗をやめていたらどうなっていたか。今日最高の歴史家たちがこの思考実験を試みてきたが、圧倒的に大多数が同じ結論に達している。それは、ヨーロッパに取り返しのつかない災難が降りかかった、という結論である。

当時ヒトラーは勝利の目前というところにいた。イギリスの邪魔がなければ、後に起こる対ソ連戦にも勝利していただろう。そして、イギリスが自国民のために抵抗をやめていたとしたら、もちろんアメリカが参戦するはずもなかった。こうしてヨーロッパ大陸の全ての国は、ドイツ帝国の一部となるか隷属したことだろう。ナチスはそこで大量殺戮に加え、おぞましい人体実験すら繰り広げていただろう。

もしイギリスがナチスドイツと取引をしていたら、ヨーロッパ大陸は解放されていなかった。チャーチルがしかるべき地位にいて抵抗を訴えなかったとしたら、ナチスの暴走を食い止められなかったのである。

チャーチルをチャーチルにした人々

毒父、ランドルフ

チャーチルはいかにしてチャーチルとなったのか。大きな影響を与えた人物が何人かいた。父親のランドルフがその一人である。チャーチルは父の人生にならって自分の人生を設計していたふしがある。有力な政治家であった父に冷淡に扱われて育ってきたにもかかわらず、常に彼に褒められたいと思い続けてきた。

チャーチルが自分の父親と話したのは、一生のうちに5回あるかないかだった。そしていつも自分が父の期待に応えられていないと感じていた。チャーチルは落ちこぼれとして、もがきながら、父の役に立つことを夢見ていたのである。しかし、父は45歳で亡くなってしまった。それでも父は、チャーチルのその後の人生の枠組みを決めたと言ってよい。

ジャーナリズムで金を稼ぐ点も、特定の政党への忠誠を重視しない姿勢も父と同様だ。

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要約公開日 2017.02.13
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