民間金融機関にはメガバンク、地方銀行、信用金庫、信用組合などがある。メガバンクや地方銀行とは異なり、地域密着で、個人や中小企業を専門としているのが信用金庫だ。
だがバブル崩壊以降、その業績は思わしくない。バブル経済末期(1991年3月末)の時点では、全国に440庫もの信用金庫が存在した。だが2017年9月の段階では、264庫までその数を減らしている。こうした傾向は、今後も続いていくと見られている。
にもかかわらず兵庫県加古川市にある但陽信用金庫は、1985年から30年間で預金量を5.8倍増加させた。全国信用金庫の預金残高の伸びがこの時期2.6倍だったことからも、但陽信用金庫がいかに大きく成長したかがわかる。
但陽信用金庫がこれほどまでに高い評価を受けている要因は、大きく分けて3つある。(1)創業以来一貫して地域のため、地域の企業や住民のために注力してきたこと、(2)心優しい優秀な職員の確保と育成に力を注いできたこと、そして(3)理事長である桑田純一郎さんのリーダーシップが、地域企業や地域住民をはじめ、役職員の信頼を勝ち取ってきたことだ。それぞれ具体的に紹介していこう。
但陽信用金庫が愛される第一の要因は、たぐいまれな地域貢献と社会貢献だ。一民間の金融機関にもかかわらず、地域のまち医者、交番、かけこみ寺として各店舗に「よろず相談室」を設置。取引のあるなしを問わず、暮らしに関するあらゆる相談に乗る。平成28年のよろず相談は7858件だが、そのうち331件は金融にまったく関係ないものだった。また地域のイベントには職員をかならず派遣し、盛り上げ役を買って出たり、裏方の作業を手伝ったりもしている。
同金庫がこれほどまでに地域貢献をするようになったのは、昭和63年の本店移転と平成7年の阪神淡路大震災がきっかけだ。地縁がない場所に移転したことで、地域に認めてもらうための努力を必死に重ねた。加えて阪神淡路大震災を経験し、職員全員が「自分たちもなにかしなければ」と動きだした。
「ボランティア活動を通して、“相手の人に喜んでもらえることをするのが自分の喜び”となるような人間をつくることが、私の仕事」と桑田理事長は語る。だから同金庫では、ボランティア活動が「仕事」の一環として位置づけられているのだ。
ボランティアや社会貢献をおこなうには、それに見合う心優しい人財の確保と育成が必要不可欠だ。但陽信用金庫では、桑田理事長みずからが職員採用に関わり、理念に共感する人財を採用している。これが、同金庫がこれほどまでに高い評価を受けている第二の要因だ。理事長が登壇する説明会は、大学の就職活動担当者のあいだで“伝説の会社説明会”と呼ばれ、「但陽に就職しなくてもいいから、理事長の話だけは聞きに行け」と言われるほどだという。
企業にとって顧客はもちろん大切だが、職員はもっと大切である。職員がしっかりとした思いをもっているからこそ、顧客が増えるのだ。とくに金融業界は差別化がしにくい。生き残るには結局、職員の人間性で勝負するしかないのである。
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