ビジネスの世界ではこれまで、「ロジカル・シンキング(論理的思考)」や、「クリティカル・シンキング(批判的思考)」の重要性が説かれてきた。しかし、現在は、そうした思考法だけでは解決できない問題が山積みである。たとえば、環境破壊、格差、民族紛争、そして資本主義自体のあり方などだ。
そうしたいま、旧来の思考法とは異なるオルタナティブな発想として、現代アーティストたちに共通する「アート思考」に注目が集まっている。それは「今、何が問われているのか?」「課題は何なのか?」を探るための思考法といえる。
アーティストとは、答えを示すのではなく、「問いを発する人」を意味する。彼らの願望は、社会に対する問題提起にある。新たな価値を提案し、歴史に残るような価値を残していけるかどうかを極限まで追求するのだ。この志は、現状を打開し、息の長いビジネスをめざす世界のビジネスエリートの発想と響き合っている。
今後はビジネスパーソンも、アーティストと同様に、クリエイティブな発想がいっそう求められる。そこで、アートを通じて、自分とは異なる世界のありようを想像できるようになり、洞察力やユニークな視点を身につけることが肝要となる。
シリコンバレーの多くのイノベーターたちが、現代アーティストへの共感を表明している。それはアーティストが、世の中がまだ気づいていない、これから起きる大きな変化を察知する「炭鉱のカナリア」のような存在だからだ。
とりわけ現代アートは、刻一刻と変化する世界を読み解くヒントに満ちている。1980年代以降、現代アートは、LGBTや地球環境の変化、発達障害、ダイバーシティ&インクルージョン、サステナビリティ、シェアリングエコノミーなどをテーマにしてきた。
時代に先駆けるアートは、社会で理解され、認められるには時間がかかる。現に多くの現代アート作品は、鑑賞してすぐに理解できるものではない。著者自身も、作品のコンテクストから推察して理解できる部分もあれば、わからない部分もあるという。しかし、それをわかろうとするプロセスの楽しさが、現代アートの魅力でもある。「わからないから、つまらない」ではなく、「わからないから、面白い」のだ。
現代アートの真髄は、普段、私たちが当たり前と感じていることをリセットし、再構築するところにある。作品に接する前と後では、世界がまったく異なる様相を呈することも珍しくない。
そうした作品の1つとして、ジェームズ・タレル(1943年~ アメリカ)のインスタレーション「バックサイド・オブ・ザ・ムーン」を紹介しよう。これは著者が携わってきた「家プロジェクト」の一環である。
この作品が収められた建物に足を踏み入れた観客は、真っ暗な空間を、壁を伝って進む。さらに進んで、その先にあるベンチに腰掛け、そのまま10分、20分と、一切光の届かない暗闇にたたずむ。すると暗闇の中に、ぼんやりとした大きな長方形が見えてくる。やがてはっきりと光が見え始め、闇に閉じ込められていた観客は、光によって解放されていく。
照明が変化したのではない。明るい屋外から部屋に入った観客は、最初から存在していた微かな光に、気づけないのだ。しかし、目が闇に慣れるにつれ、ようやく光と闇のコントラストに気づくのである。
このインスタレーションを体験した人は、普段当たり前に感じている光を、不思議な存在として捉え直すことになる。光が存在するということの安心感。それは私たちが世界を感じ、その中に存在していると認識できる安心感である。また、夜の闇の中にも、光が満ちていることを実感するであろう。
このように、タレルの作品を通じて、新たに光を体験することができる。光と闇の再発見は、人々に根づいている先入観や固定観念を壊してくれる。
2019年5月15日、クリスティーズ・ニューヨークで、あるオークションが開催された。そこで、ジェフ・クーンズ(1955年~ アメリカ)による作品「ラビット」が、9107万5000ドル(約100億円)で落札された。現存するアーティスト作品の高値記録を更新したのである。
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