本書ではまず、伊藤羊一氏(以下、伊藤氏)と澤円氏(以下、澤氏)の経験してきた失敗や挫折と、そこから得られた両氏の信念が紹介される。
伊藤氏はこれまでのキャリアを通して、「人は変われる」というメッセージを伝え続けてきた。その背景には、自分自身がかつて「へっぽこな状態」から成長してきたという意識がある。
伊藤氏が斜に構えて生きるようになったのは、高校1年生のときにテニス部をクビになったことがきっかけだった。中学から硬式テニスに打ち込んでいた伊藤氏は、学校のテニス部だけでなく近所のテニスクラブでも練習し、のちにトッププロとなる選手たちと試合ができるほどに強くなっていた。しかし、学校の部活の練習にはあまり出ていなかったことから、クビを言い渡されたのだ。すべてをかけてテニスをやっていたのに、人から拒絶された――そう感じ、あっさりとテニスをやめてしまった。
それからは授業をサボって繁華街へ繰り出してばかりで、勉強もせず、現役で大学に進むことができなかった。浪人中も、なりふり構わず勉強することをかっこ悪いと感じていたため、「東大なんて余裕だ」と斜に構えたふりを続ける。大学に進学できてからも、優秀な人に囲まれてコンプレックスがどんどん増していき、人と触れ合うのが嫌になっていった。
新卒で日本興業銀行へ入社すると、「研修不合格」を言い渡される。研修不合格になったのは、160人いる同期のうちたった4人だった。その後に課された通信教育すら終えられず、不良社員として社会人生活をスタートすることになった。
上下関係が厳しい時代だったことも手伝って、会社に通うのが苦痛になり、まともに眠ることすらできず、生活は荒んでいく。まだうつが一般に認知されていない時代だったため、自分のことを「サボり病」だと思い、玄関先に桶(おけ)を置いて毎朝そこに吐いてから出社していた。
そんなとき、融資を引き受ける銀行を探していたあるマンションデベロッパーから、担当者として指名される。頼られたことをうれしく思うも、それまでまともに働いていなかったため、何から手をつけていいかもわからない。そんな伊藤氏に、周りの同僚や先輩たちは、必要な知識を丁寧に教えてくれた。この出来事をきっかけに、真面目に仕事をすることや、真面目に生きることの大切さを理解した。
伊藤氏はそれ以来、「人は変われる」というメッセージを可能な限り多くの人に伝えるために仕事に取り組んでいる。何十年経ったいまでも、まったく仕事をしない日はないほどだ。
大切なのは、まず自分の「譲れない想い」を考えることだ。その想いを追い求め、人生をかけてがんばり続けた先に、天職が待っている。
現在様々なテーマで精力的にプレゼンを行っている澤氏が、顧客や社内イベント以外でもプレゼンをするようになったのは、2006年に社内でグローバルな賞を受賞したことがきっかけだ。同じ賞の候補になっていた大谷まりさんから、NPO団体の資金集めのイベントでプレゼン講師を務めてほしいと頼まれたのだ。はじめて人からお金をもらってプレゼンを教えたそのとき、自分の経験や持っている情報を「言語化」することの重要性を知った。
そんな澤氏は、自己肯定感が低い子どもだった。「円」という名前から、両親は女の子が欲しかったのだ、自分は期待外れの子なのだと思い込んでいたからだ。
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