渋沢栄一とドラッカー

未来創造の方法論
未読
渋沢栄一とドラッカー
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未来創造の方法論
未読
渋沢栄一とドラッカー
出版社
出版日
2020年11月20日
評点
総合
3.5
明瞭性
3.5
革新性
3.5
応用性
3.5
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おすすめポイント

誰もが日常生活の中で手にする現金。特に日本の紙幣でもっとも金額が大きい一万円札の図柄は、身近であるとともに、時代を象徴するイメージもある。現在の一万円札の肖像は福澤諭吉だが、2024年に発行される新しい一万円札の肖像は、渋沢栄一になることが決まっている。明治維新の時代を生きた渋沢栄一は、「日本資本主義の父」「近代日本経済の父」とも呼ばれる人物だ。日本初の銀行を作り、約500の企業を育て、ノーベル平和賞の候補にも選ばれている。

著者はそんな渋沢栄一を、意外な人物と結びつける。その人物とはピーター・ドラッカーだ。「近代日本経済の父」と、言わずと知れた「マネジメントの父」がどう結びつくのか。ドラッカーは渋沢栄一を、ビジネスの本質を理解していた人物として高く評価していたそうだ。そして著者は、二度の世界大戦を経験したドラッカーと、明治維新という激動期を生きた渋沢栄一が、共に未来を創造した人物であることに注目する。

グーテンベルクによる活版印刷、そして産業革命に続き、昨今の情報革命も世界を揺るがすような大きな変化であることは間違いない。そんな未来が見通せない時代において、このふたりの人物から多くを学ぶことができるのだと著者は語る。

渋沢栄一とドラッカー。多くの人がよく知るふたりの共通点を探るなかで、未来を創造するための本質が見えてくるだろう。

ライター画像
池田明季哉

著者

國貞克則(くにさだ かつのり)
1961年、岡山県生まれ。東北大学工学部機械工学科卒業後、神戸製鋼所入社。海外プラント建設事業部、人事部、企画部、海外事業部を経て、96年、米国クレアモント大学ピーター・ドラッカー経営大学院でMBA取得。2001年、ボナ・ヴィータコーポレーションを設立。中小企業の経営支援や大手企業の管理職教育を得意分野とし、コンサルティングや研修で活躍。著書多数。

本書の要点

  • 要点
    1
    渋沢栄一とドラッカーは、共に広い視野、高い視点で物事の本質を見極め、誰もやっていない新しい道を進んでいくことで、未来を創造していった。
  • 要点
    2
    渋沢栄一が新紙幣の顔となることには、象徴的な意味がある。明治維新に匹敵する大きな変化が訪れている現代において、産業人が社会の中心になった。そのため、産業人にはそれに相応しい振る舞いが求められるようになった。
  • 要点
    3
    ドラッカーは渋沢栄一を高く評価していただけでなく、日本人が持っている性質も高く評価していた。

要約

渋沢栄一とドラッカーの未来創造

渋沢栄一はどんな人なのか
gyro/gettyimages

渋沢栄一は明治がはじまる28年前、武蔵国(現在の埼玉県深谷市)で豪農の家に生まれた。豪農といっても商売に力を入れており、渋沢は若いときから商売の経験があった。幼少期から知識欲が旺盛で、物覚えのよい子供だったようだ。

渋沢は、当時武蔵国を領有していた一橋家の家臣として成果をあげた。その後、第十五代将軍になった一橋慶喜の弟、徳川昭武のパリ万博行きに同行した。一年半の滞在の間に、渋沢は当時日本になかった銀行や株式会社にふれ、それが彼の事業観に大きな影響を与えることとなる。

幕府が倒れたために帰国した渋沢は、株式会社を参考にした商法会所を設立し、事業に成功した。そんな渋沢を、新政府が放っておくはずがない。渋沢は当初渋りながらも役人となり、3年半ほど近代日本の躍進に必要な制度や法律の整備に貢献した。だが、国家財政の方向性について大久保利通らと意見が合わず、辞任することになる。

民間の実業界に出た渋沢は、日本初の近代銀行である第一帝国銀行の設立を皮切りに、その後500に及ぶ会社の設立にかかわった。国を富ませるためには、官だけでなく民にも品位と才能のある人材が必要だと考えたのだ。

ドラッカーはどのような人なのか

ピーター・ドラッカーは、渋沢栄一に遅れること約70年、1909年にオーストリアでユダヤ系の家庭に生まれた。ドラッカーは、第一次世界大戦後で職が見つからないオーストリアを離れ、ドイツで働く。そして21歳のとき、フランクフルト大学において国際法に関する論文で博士号を取得している。

1933年、ドラッカーは自分が書いた論文がナチスの怒りを買うことを確信し、ロンドンに移り銀行に就職した。1937年にはアメリカに移住。1939年に出版した『「経済人」の終わり』がイギリス首相ウィンストン・チャーチルに絶賛される。その後、大学で政治・経済・哲学・統計などを教えた。

1942年に『産業人の未来』を出版すると、これがゼネラル・モーターズ(GM)の副会長の目にとまった。その後1年半にわたりGMを調査し、その結果をもとにしたドラッカーの著書『企業とは何か』が、世界中の大企業における組織改革ブームの火つけ役となった。

1949年には、ニューヨーク大学のマネジメント研究科の教授に就任。1954年に出版された『現代の経営』により、ドラッカーはマネジメントの発明者、マネジメントの父と呼ばれるようになる。

1964年の『創造する経営者』、続く1969年の『断絶の時代』の出版を経て、1971年にカリフォルニア州クレアモント大学マネジメント研究科の教授に就任。1974年にマネジメントの集大成として『マネジメント 課題、責任、実践』を出版した。

2005年にドラッカーが他界した際は、世界中のメディアが「経営の神様」「卓越した経営思想家」「知の巨人」「現代社会最高の哲人」といった言葉で、その偉業を称えた。

渋沢栄一とドラッカーの共通項とは?
sefa ozel/gettyimages

渋沢栄一は西洋のカンパニーという仕組みを使って、新しい事業を次々に生みだし、社会的イノベーションを起こした。一方ドラッカーは、マネジメントという言葉になじみのなかった時代に、人類史上はじめてマネジメントという分野を体系化した。二人はなぜ、新しい未来を創造できたのだろうか。

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要約公開日 2021.04.08
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