聖トマス・アクィナス

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聖トマス・アクィナス
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聖トマス・アクィナス
出版社
定価
1,210円(税込)
出版日
2023年08月10日
評点
総合
3.8
明瞭性
3.5
革新性
4.5
応用性
3.5
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おすすめポイント

哲学史の解説では、古代ギリシア、ローマ帝国の後、一気に千年以上時代が飛んで、近代のデカルトや経験主義に進むことが多い。「哲学は神学の婢」という言葉があるように、中世では、哲学はさらに上位の神学を支えるための下働きをするものと考えられていた。

トマス・アクィナスは、そのような中で高い評価を受け続けている、中世を代表する哲学者だが、実際にどのような思想を論じたのか、詳細に把握している人は少ないのではないだろうか。主著である『神学大全』は膨大な文の量で構成され、よほどの専門家でもない限り通読するのは不可能に近い。しかし、その思想は現代にも生き続けており、必ずしも信仰を持っていない私たちであっても響くものがある。

著者は、トマスの思想を楽観主義、肯定の思想と評している。哲学は、目に見えているものは本当に存在するのかというように、当たり前を疑う。しかし、懐疑が行き過ぎると常識的な感覚から乖離したり、世界や他者が本当に存在しているのかという不安を招いたりする。一方、トマスは、神が創造した世界をありのままに肯定し、世界を善として受け入れる。常識的な感覚を肯定してありのままに受け入れるだけでも、心が軽くなるように感じられるだろう。

コンパクトにまとめられた本書はトマスの思想の全貌を紹介するものではないが、「ブラウン神父」シリーズで有名な推理作家、チェスタトンが書いただけあって、次から次へと人物の裏側に迫っていく面白さがある。本書を入り口として、トマス哲学の扉を開くことができるだろう。

ライター画像
大賀祐樹

著者

G.K.チェスタトン(Gilbert Keith Chesterton)
1874-1936年。ロンドン生まれ。イギリスの作家、詩人、批評家。美術学校を中退後文筆生活に入り、政治評論や文芸批評、評伝、小説など幅広い分野で活動した。「ブラウン神父」シリーズが、推理小説の古典として知られている。その他の著書に『木曜の男』『正統とは何か』など。

本書の要点

  • 要点
    1
    トマス・アクィナスは、異教の賢人であるアリストテレスをキリストに和解させ、本来のキリスト教をキリスト教世界に持ち帰った。
  • 要点
    2
    トマスは、神聖ローマ皇帝のいとこで、貴族の生まれだった。身体が大きく、落ち着いていて、寡黙に省察していた。「だまり牛」というあだ名で嘲笑されることもあったが、その閃きや議論は鋭かった。
  • 要点
    3
    トマス哲学は、常識的感覚でとらえられる存在をありのままに肯定し、存在や自然を賛美する、楽観主義と常識の哲学だった。

要約

偉大な改革

聖フランチェスコと聖トマス・アクィナス
Photos.com/gettyimages

アシジの聖フランチェスコと聖トマス・アクィナスを比較すると、滑稽なほど対照的なことがわかる。聖トマスは「大きくて重い牛のような人物」であり、悠然として、穏やかで、社交的ではなく、ぼんやりしていた。一方、聖フランチェスコは痩せた小男で、「火のように激しく、せかせかした人柄」であり、情熱的に詩を愛したが、書物にはさほど信用を置かなかった。聖トマスは書物に生き、アリストテレスの哲学に関する書物をこの世のどんな富よりものぞんだ。聖フランチェスコは、中産階級の商店主の息子で、社会的適応性があり活動的だった。聖トマスは、余暇を楽しめるほど高貴な家の生まれで、勤勉でありながらいつでも平静さを保ち続けていた。

二人は、同じ世代や同じ歴史的瞬間に属していたわけではない。この托鉢修道士たちは、双生児というよりも、せいぜい伯父と甥くらいの関係である。それでも彼らを比較することは、実は歴史の核心への近道である。この対照的な二人は、実は同じことをしていたのだから。いずれも「偉大な中世の運動」であり、カトリックの可能性を拡大したことを考えても、むしろこれこそが本物の宗教改革だった。特に、聖トマスは、「キリストをアリストテレスに和解させたのではなく、アリストテレスをキリストに和解させた」という。

二人の偉人は、書斎と街頭というそれぞれの場所で、同一の偉大な仕事に取り組んだ。それは、異教的・異端的なものをキリスト教に持ち込んだのではなく、「キリスト教をキリスト教世界に持ち込む」ということであった。彼らは、教会の権威によって硬直し習慣化していたのとは異なる、「本来のキリスト教」をもたらしたのだ。

合理主義的な思想

聖フランチェスコと聖トマスの二人は、「より合理的、より自然的になった時に、より正統的」となり、「正統的であることによってのみ、合理的で自然的たりえた」。これはどういうことか説明を試みよう。

聖トマスの考え方には、肉体と霊魂の両立した全人性から人間をとらえるという特徴がある。屍体は人間ではないが、亡霊もまた人間ではない。過去にはアウグスティヌスらのように霊魂を唯一のものとして重視する者もいたが、これは、霊魂が獣のからだに生まれかわる可能性をもった東方の輪廻の考えに近づくものである。聖トマスはそれを「正統的ではない」としりぞけた。そして、精神も肉体も自らのものであり、人間はこの二つの均衡と結合にすぎないという、ある面では自然主義的な考えを主張する。これは、物質的なもの、肉体を賛美するヒューマニズムに近い。ただし、「肉身の甦り」と結びついている点で、近代主義(モダニズム)とは正反対とも言える。

啓示を擁護する聖トマスの主張は、合理主義的でありながら、民主的、大衆的である。彼は、万人が理性に耳を傾け、時間さえかければ、全ての人を議論によって納得させられると強く信じていた。全ての素朴な人の霊魂は、思想家や真理探究者と同じように重要であるとする考えは、「科学的探究に対する尊敬の念と平凡な人に対する深い思いやり」を示している。その合理的な思考が目指すのは、神と人間の分離ではなく区別であった。

「多」と「一」に関する古くからの哲学的論争については、聖トマスはギリシアの哲学者たちと袂を分かち、多様性の側に立つ。豚とペリカンが違うのは、私たちがそう確信しているからであり、この考えにおいては豚を創造し給うた神の存在を前提としていた。

逃亡した大修道院長
Aramyan/gettyimages

トマスはヨーロッパ中の権力者の縁戚者、神聖ローマ皇帝のいとことして生まれた。皇帝の家門に属するアクィノ一族であるランドルフ伯は、七男のトマスを大修道院の院長にするほかにないと考えていた。トマスは、鷹狩や武芸に関心を持たず、大きくずんぐりとしたおとなしい少年で、驚くほど無口だったためだ。この種の人物に適しているのは教会や修道院であると考えられていた。

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要約公開日 2023.11.23
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