「休みたくても休めない」「休みをとっても、心や身体が休まらない」「疲れが取れない」という悩みを抱え、常に心身がくたびれている人は少なくない。「多少休まなくても大丈夫だ」と思っていたのに突然体調不良に陥り、心身が追い詰められていたことに気づいた人もいる。
疲労は目に見えないし、実感を伴わないこともある。だから身体が先に悲鳴をあげて、急に朝、起き上がれなくなったりするのだ。
その原因は、「休むこと」がいかに高等技術であるか、理解されていないことにあるという。うまく「休む」には、「休みが必要な状態だと自覚」し、「休むことができる環境を確保」した上で、「自分の状態にとって適切な休養活動を選択する」というプロセスが必要だ。「テキトー」に休んでいては回復することはできない。
ストレスにさらされていると、その負荷に抵抗するために人体では、アドレナリンなどの「抗ストレスホルモン」が放出される。このホルモンは、血圧や血糖値を上げることで身体を「戦闘モード」にし、パフォーマンスを高める。その「ドーピングモード」は概ね3カ月続き、身体に蓄積するダメージをよそに、むしろ心身の調子を上げる。それに気がつかずに頑張り続け、ストレスホルモンが枯渇すると、一気に疲労感と、頭痛や腹痛、蕁麻疹、不眠といった身体症状が襲ってくる。腰痛にも、こうした「メンタル疾患」の一面がある。
ストレッサーが多様であることも、ストレスに気づけない要因だ。心にダメージを与える「心理的ストレッサー」について著者は、2つ挙げている。まずは、家族との死別や結婚・離婚、失業、引っ越しなどの「ライフイベント」だ。一般的にはポジティブと思われる出来事もストレスになることに注意したい。楽な環境への変化も含め、「変化とは、すべからくストレス」なのだ。ライフイベントストレスは「連発すると危険」であることを心得よう。
もうひとつは、満員電車や生活騒音、面倒な家事など、日常の些細な出来事を指す「デイリーハッスルズ」だ。個別には大した傷にならないからこそ厄介で、無意識にダメージを蓄積させる原因となる。「こういった誰もが頻繁に経験する些細なデイリーハッスルの積み重ねが、心身の健康状態にもっとも影響する」と言う研究者もいる。少しでももやもやを感じたら、それを逐一記録しておこう。特にコミュニケーションにおいては、小骨のような不快感を無視しないことが大切だ。
あなたは「自分が不調だ」と素直に言えるだろうか。心配や迷惑をかけたくない、評価を下げたくない、といったさまざまな心理が、「休みたい」と伝えられない要因になる。疲労によって思考力が低下し、合理的な意思決定や自己評価ができず、「ヘルプを求める」ことがリスクになってしまう。いざ休みに入っても、罪悪感で落ち着かなくなる。休む環境の確保は、「甚大な心理的コストを必要とする技術」なのだ。
こうなってしまうのは、周囲に配慮し、他者との調和を重視しすぎて常に気を張っている「過剰適応」状態にあるからだ。真面目な人ほど、他者のニーズを優先し、自分のケアを後回しにしがちである。
そうしているうちに、次第に感情が動かなくなり、生活に現実味がなくなって、あらゆる痛みに鈍感になる。これは、逆境への適応反応である「解離」だ。どれだけ酷い状況でも「つらい」と思わずにやりすごせてしまう「生ける屍」になる前に、「他者のニーズ」から大きく距離を取る必要がある。
しかしこれがなかなか難しい。他の人と同じように役割を果たすことは、「普通」であり「安心」を与えてくれるからだ。休んでいる間も「動けない」ことに「怒り」を感じる。それも含めて休むことを困難にしている「一連の症状」なのだ、と気づかなくてはならない。
「本当の休みをとる」とはどのようなことか。著者は、「自らの『身体のニーズ』を把握し、それに応えることで自分自身とのつながりを取り戻し、心身が安全・安心を感じられる状態にすること」だと定義する。そこで着目するのは、「ストレスと自律神経の関係」だ。
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