2003年、ケーブルテレビチャンネルのVH1でコンテンツビジネスを牽引していたレジー・フィサメイ氏(以下、レジー)は、変革的なプロジェクトの指揮をとれないことに業を煮やしていた。そんな彼のもとに、任天堂のリクルーターから電話があった。セールスとマーケティングの次の代表を探しているというのだ。
当時の任天堂は苦境に立たされていた。2001年に家庭用ゲーム機「ニンテンドー ゲームキューブ」を発売したが、その前年に発売されたソニーの「PlayStation2」の前に霞んでいたのだ。任天堂にとっては、小型ゲーム機が最も収益性があるビジネスにもかかわらずだ。
レジーは任天堂への転職について、周囲のほぼ全員から反対された。だが、彼はゲーム業界を消費者の視点で理解していた。「マリオ」「ポケモン」「スマブラ」などのゲームに熱中していたし、子供たちも同じくゲーム好きだった。我が子と同世代の子供たちが稼げるようになれば、ゲーム産業はさらに著しく成長すると見ていたのだ。
キャリアの大きな決断では、分析的思考と、心の奥の直感が求められる。レジーは、任天堂が直面する問題と、自分ならどう解決するかを、何ページもメモにした。そして「自分なら任天堂を変えられる」と判断し、全てを賭けようと決める。
採用の過程では、2002年にグローバル・プレジデントに任命された岩田聡氏とのビデオ会議もあった。重要なのは、彼と強固な関係を築けるかだ。
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