現在、世界では民主主義と権威主義が対立しているとされている。20世紀末の冷戦終結によって、自由民主主義が勝利し、中東欧やアラブ諸国のようにこれまで十分に民主化されていなかった地域が民主化されていく方向に、歴史が進展すると思われていた。しかし、ここ10年ほどの間、世界中で民主主義が進展するどころか、トランプ大統領の登場に見られるように、西側諸国の間でも権威主義的な右派のポピュリズムが台頭している。20世紀末に勝利したとされる民主主義は、現在、むしろ劣勢にあり危機を迎えている。なぜ、そのような事態が生じるのだろうか。
政治における民主主義と、経済における資本主義は、車の両輪のような関係であると、長い間信じられてきた。なぜ、そうなるのだろうか。選挙には偶然性の要素もあり、その結果は、多くの人にとって自分が望んでいたことと合致しない。それでも人々が選挙の結果に従うのは、投票者たちが、自分と敵対する者も基本的な価値について合意していると考えているからだ。それは、「私のことをも配慮した上で私とは異なる意見をもっているのだ」という基本的な信念である。この暗黙の合意が、市場競争のように人民の意思を決定する選挙を可能にしている。だからこそ、民主主義と資本主義は相性の良い夫婦のような存在となった。
しかし、この夫婦の間に亀裂が入りはじめ、離婚の危機がささやかれている。「別れ話は資本主義の方から切り出される」。政治システムは文化的な要因に強く規定されるため、国民の間に自由民主主義の価値観が深く浸透していなければその体制は維持できない。一方、資本主義の市場経済は、マルクスが「物神」と呼ぶ貨幣の力によっていかなる文化にも適合し、「どのような文化的背景をもつ者も、貨幣を受け入れる」。それに、伝統的な価値観・人間関係は、資本主義の浸透を困難にすると考えられてきたが、逆に、家族や共同体などに重い価値を配分するそれらが残存しているからこそ、人々は、個人だけでは耐え抜けないような「市場経済や資本主義の過酷さを受け入れ、またそれらに適応することができるのだ」。
これまでは、権威主義が資本主義と結合しても、経済的に上手くいかなかった。しかし、21世紀に入ってからの中国で、資本主義が権威主義と幸せな結婚生活を送り始めたように見える。あらゆる権威主義が資本主義の成功をもたらすわけではないが、中華帝国の伝統に根ざした権威主義が、とりわけ現代のグローバル資本主義に適合的だったのだ。
現代の中国は、冷戦時に対立していた両陣営の「いいとこどり」ではなく「悪いとこどり」をしているかのように見える。資本主義陣営からの攻撃的な利己主義と、社会主義陣営からの硬直した官僚制を合成すると、「活動的な権威主義的資本主義が生まれた」かのように思えるのだ。
資本主義の優位性のみなもとは自由にあり、その強みを活かせるのは民主主義的な政治体制だけだと考えられてきた。冷戦中の東側の人々にとって、西側の自由は魅力的なものに見えていた。しかし、中国では経済活動の自由が制限されている一方で、人々は西側諸国の人々の自由を、「それほど羨ましいと感じてはいないように見える」。
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